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豊臣から徳川へ移り行く時代の「大坂城」を歴史通サラリーマンが5分でわかりやすく解説

今回は、豊臣秀吉によって建城され堅城とも呼ばれていた大阪城を紹介していきます。

最後は、秀吉の後継者だった豊臣秀頼と共に落城していったところまで歴史らライターのwhat_0831と一緒に解説していきます。

ライター/what

学生時代は、沢山の歴史本を読み知識を深めた歴史好きのサラリーマン。特に、戦国時代が大好きであり、武士に憧れている。今回は西日本の拠点と目された大坂城を建城から落城する姿や戦争時に利用された経緯を紹介する。

石山本願寺の跡地に作られる

image by PIXTA / 23041324

織田信長が本能寺で討ち取られ、信長の跡目を継ぐ形で豊臣秀吉が台頭してきます。その時に西への要衝となっていた石山本願寺跡地に新たな城を計画しました。

大坂城を建城した理由

1583年から建城を開始していくことになる大坂城でしたが、建築場所には元々石山本願寺が建てられていました。石山本願寺は信長との戦いで本願寺顕如と争っていたところでもあります。

石山本願寺が建てられていた場所は、北の団地下に淀川本流が流れていて天然の要塞化しており淀川を上っていくと海に直結することや京都への交通場所でした。顕如が信長に降伏した時に、ここに城を建てる計画していましたが、本能寺の変で討たれ跡目を継いだ秀吉がそのまま建城することになります。

大坂城の築城

1585年から施工され築城奉行を任されたのは、秀吉参謀の黒田如水でした。当時から築城の明主と呼ばれていた如水は秀吉に指示に従い絢爛豪華であるとともに秀吉の力を示す城建築していきます。残されている平面図を見ると天守閣は北東の隅に描かれていて天守は天守台いっぱいには建てられておらず余地を残して天守曲輪を持っていたと考えられていました。

天守閣は連結式望楼型5重6階地下2階と考えられていて外観は、黒漆塗で瓦には金箔が施されてかなり目立った城でもあったようです。ルイスフロスが書いた日本史では最上階に金箔の茶室も作られていたようで、しかも運搬が可能とな移動式茶室にもなっていたようで1592年には大坂城が完成する前に名護屋城へと移した記録も残されていました。

そして秀吉が亡くなった年の1598年に大坂城が完成します。

秀頼方と家康方の対立で戦場化する大坂城

ようやく築城することができた大坂城でしたが、一番の権力者であった秀吉が亡くなったことで五大老だった家康がこの時代の主導権を握っていきます。

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