
旧幕府軍のその後
朝敵となって新政府軍に追われることになった徳川慶喜ですが、ここで徳川慶喜は命を落とすことはありませんでした。旧幕臣の勝海舟、そして新政府側についている薩摩藩の西郷隆盛との間で江戸無血開城の交渉が成立し、戦わずして徳川慶喜と幕府は終わりを迎えることになったのです。
この江戸無血開城は戦いではなく交渉で問題を解決しており、一切の犠牲者を出さなかったことで西郷隆盛は評価されました。しかしこれで戦いが終わったわけではなく、東北地方や北陸地方などで戦いが勃発して戊辰戦争はまだ続き、会津戦争・箱館戦争などが起こっていったのです。
鳥羽・伏見の戦いの戦いはあくまで戊辰戦争の初戦であり、1868年に勃発した戊辰戦争が終わるのは翌1869年のことでした。最後の舞台となった箱館戦争では新選組の土方歳三が戦死、五稜郭のある地での土方歳三の死はドラマのテーマになるほど有名ですね。
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戊辰戦争後の日本
旧幕府軍と新政府軍による戊辰戦争によって、これまで日本で300年以上も続いてきた幕府の歴史は終わりました。その後は明治政府が誕生して明治天皇による新政治が始まりますが、決して平和が訪れたわけではありません。と言うのも、この後日本では戊辰戦争以来の内戦である西南戦争が起こるのです。
戊辰戦争で活躍した薩摩藩の西郷隆盛は、戊辰戦争時は明治政府側についているものの、新政治を行う過程で不満が溜まっていきます。いや、西郷隆盛だけでなく戊辰戦争で活躍した多くの士族が明治政府に不満を抱くようになり、ついには反乱を起こして明治政府と戦うのでした。
江戸時代、武士の階級についていた士族は倒幕……つまり、江戸幕府を倒して明治政府の誕生に力を貸します。ところが、その士族達はやがて明治政府のやり方に不満が溜まっていき、とうとう我慢できなくなって仕掛けた戦いこそ、日本の歴史において最後の内戦となる西南戦争です。
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鳥羽・伏見の戦いのまとめ
倒幕の動きが漂う中、徳川慶喜はその情報を知ると大政奉還を行って自ら幕府を終わらせました。倒すべき幕府がなくなったことで倒幕は延期されたものの、倒幕派にとって不満だったのは徳川慶喜が依然政治の中心に立っているという状況で、これでは江戸幕府の頃と全く変わりません。
そこで倒幕派だった薩摩藩の西郷隆盛が執拗に挑発、ついに徳川慶喜……つまり、旧幕府側と戦争する形を作ることに成功します。これが1868年に起きた戊辰戦争で、鳥羽・伏見の戦いはその初戦となった戦いでした。新政府軍と旧幕府軍の戦いがこれで始まることになります。
兵力では旧幕府軍が圧倒していたものの、戦場の狭さや指揮官の逃亡などによって意外にも苦戦、この戦いに勝利したのは新政府軍でした。徳川慶喜はとうとう力を失って幕府も正真正銘終わりを迎えるものの、戦火はさらに広がっていき戊辰戦争は一年も続いていったのです。
鳥羽・伏見の戦いは戊辰戦争とセットで覚える
本文でも何度か解説したとおり、鳥羽・伏見の戦いは戊辰戦争の初戦です。このため、鳥羽・伏見の戦いを覚えてそれで終わりではなく、その後の戊辰戦争もしっかり覚えていきましょう。
ただ戊辰戦争では何度か戦いが起こるため、完全に覚えるのは大変かもしれません。そこで重要な戦いに的を絞ると、最後の舞台となった箱館戦争、そして今回解説した鳥羽・伏見の戦いをまずは覚えてください。