南北統一後のベトナム社会主義共和国のいま
ジュネーブ協定にて取り決められていた南北統一選挙が実現したのはパリ和平協定の3年後の1976年。ベトナム社会主義共和国が成立して現在に至ります。その後のベトナムは、急速に産業を発展させると共に、アメリカが残した負の遺産に苦しめられることになりました。
「ベトナム戦争」の続きを意識させたベトちゃん・ドクちゃんの姿
最も深刻な被害をもたらしたのがアメリカ軍がまき散らした枯れ葉剤。ベトナム国民だけではなくアメリカ兵が枯葉剤の影響により健康を害したという報告が相次ぎます。さらに結合双生児のような奇形児出産など、戦争の負の影響が次世代に引き継がれることに。
日本では下半身がつながったベトちゃん・ドクちゃんの姿を大々的に報道。分離手術するための支援活動がはじまります。ホーチミン市内の病院で分離手術をするときに日本は医師団を派遣。ふたつの国が協力して手術を行いました。
ホー・チ・ミンの肖像画であふれるベトナムの街
くわえて現在のベトナムが社会主義国家であることもベトナム戦争の影響と言えます。ベトナムの街を歩くと、学校の校舎の真ん中には北ベトナムの中心人物であるホー・チ・ミンの肖像画が。ベトナムで使用されている紙幣に印刷されている人物もすべてホー・チ・ミンです。
学校では、ベトナム戦争とホー・チ・ミンの業績をしっかりと学習。そのためベトナム国民の多くは、アメリカに勝利した戦争に対する誇りを持っようになりました。とはいえ、最近はインターネットや留学を通じていろいろな情報に触れられるようになり、水面下では歴史観が多様化しつつあります。
アメリカを分裂させた「ベトナム戦争」はベトナムに何を残したのか
アメリカは長きに渡って「ベトナム戦争」に関与。目的がはっきりしないまま巨額の軍事費を投入したことで、ベトナムだけではなくアメリカの分裂も深めていきました。アメリカがベトナムに執着した理由は冷戦期におけるソ連や共産主義の脅威という「幻想」に取りつかれたから。だからこそ最後まで「栄誉ある撤退」にこだわり、ベトナム国内の被害を拡大させました。現在のベトナムは社会主義共和国。アメリカに唯一勝利した国としての力強さを、今の急速な発展から垣間見ることができます。