アメリカの歴史世界史歴史独立後

どうしてアメリカは「ベトナム戦争」にて敗北したのか?その経緯を元大学教員がわかりやすく解説

過度な干渉によりジエム政権との間にも溝ができる

もともとアメリカは軍事顧問団の派遣という形をとっていました。しかしケネディ政権は南ベトナムに駐留する米軍の数を一気に増やすことを決断。武器、航空機、戦車を送り込むことで、実質、正規軍の派遣と同じだけの規模としていきます。

ケネディ政権がベトナム戦争に深入りしたことで、支援しているはずのジエム政権と溝を深めることに。次第に南ベトナムはアメリカに対する不信感を強めていきます。それに対してアメリカは、支援の規模を減らすと発表。ジエム政権にゆさぶりをかけてまで関与に執着しました。

アメリカでは若者のベトナム反戦運動がもりあがる

1960年代の後半になるとアメリカ国内の反戦運動はさらに熱を帯びていきます。映画にくわえてテレビが家庭に浸透した時期だったこともあり、戦闘の様子を目撃する機会が増加。反戦の機運が高揚するなか、とくに世界中の若者たちが強い反発を示しました。

大学のキャンパスがベトナム反戦運動の舞台

当時の大学では「フリースピーチ運動」が過熱。カリフォリニア大学バークレー校にて、学生の政治運動を禁止した大学当局に反発した学生たちが、自分の主張を訴える場を設けたことがはじまりです。こうした背景もあり、若者によるベトナム反戦運動の主な舞台となったのが大学のキャンパスでした。

国内の各地の大学にてベトナム戦争反対を訴えるフリースピーチが行われるようにカリスマ的な人気をほこる学生運動家も登場。同時に学生によるデモやイベントも開催されます。これらは、音楽やファッションの革命と結びつき、派手なパフォーマンスを伴うという特徴がありました。

ウッドストック・フェスティバルで若者のアクションはピークに

若者の反戦運動のピークとなったのがウッドストック・フェスティバル。1969年8月15日から17日にかけて行われた野外フェスです。開催の表向きの理由は、ボブ・ディランをはじめとするスターがウッドストックにレコーディングスタジオをつくる資金集めとなっていました。

このフェスティバルに集まったのは「愛」「平和」「反戦」を支持する若者たち。ヒッピーと呼ばれるカウンターカルチャーの一派も集結しました。想定以上の参加者が殺到したこともあり会場は混乱。予定されていたスケジュールは大幅に短縮されました。

「ベトナム戦争」をめぐり迷走するジョンソン政権

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By Yoichi Okamoto – This media is available in the holdings of the National Archives and Records Administration, cataloged under the National Archives Identifier (NAID) 192508., パブリック・ドメイン, Link

アメリカにて大統領選挙の一般選挙が行われたのが1964年11月3日。これは、ジエム政権がクーデターによって倒され、ケネディ大統領が暗殺されたあと。北ベトナムの魚雷艇がアメリカ海軍に魚雷攻撃をしたトンキン湾事件が起こった直後でもありました。一連の緊張が続く時期に大統領となったのがリンドン・ジョンソンです。

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