それじゃ、ベトナム戦争が激しくなる経緯とアメリカをとりまく状況の変化、その後の影響などを世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していきます。
- 冷戦期の米ソの代理戦争であった「ベトナム戦争」
- 資本主義を支持する南ベトナムの独立宣言
- 北ベトナムのホー・チ・ミンが南北の統一を試みる
- 「ベトナム戦争」に対する関与を強めていくアメリカ
- ジョン・F・ケネディが南ベトナムの支援を決定する
- 過度な干渉によりジエム政権との間にも溝ができる
- アメリカでは若者のベトナム反戦運動がもりあがる
- 大学のキャンパスがベトナム反戦運動の舞台
- ウッドストック・フェスティバルで若者のアクションはピークに
- 「ベトナム戦争」をめぐり迷走するジョンソン政権
- アフリカ系アメリカ人の公民権運動家も反戦運動に参戦
- ソ連の軍事援助の本格化がジョンソン政権の首をしめる
- 政権交代により「名誉ある撤退」と戦争の終結を模索するように
- 共和党のニクソンが勝利、アメリカは保守化を強める
- アメリカ国内向けのパフォーマンスとしてのパリ和平協定
- 南北統一後のベトナム社会主義共和国のいま
- 「ベトナム戦争」の続きを意識させたベトちゃん・ドクちゃんの姿
- ホー・チ・ミンの肖像画であふれるベトナムの街
- アメリカを分裂させた「ベトナム戦争」はベトナムに何を残したのか
この記事の目次
ライター/ひこすけ
文化系の授業を担当していた元大学教員。専門はアメリカ史・文化史。冷戦期の世界を見ていくとき「ベトナム戦争」を避けて通ることはできない。「ベトナム戦争」から、南北ベトナム、米ソ、反戦運動などさまざまな対立する状況が生まれた。「ベトナム戦争」にてアメリカがいかに弱体化したのか、その経緯を解説していく。
冷戦期の米ソの代理戦争であった「ベトナム戦争」
ベトナム戦争は社会主義国家を目指す北ベトナムと資本主義国家を目指す南ベトナムのあいだの戦闘の総称です。1946年から1954年にかけてのフランスからの独立運動であるインドシナ戦争にてベトナムは南北分裂。その延長上で行われた戦争です。
資本主義を支持する南ベトナムの独立宣言
1954年、反共産主義の立場をとるゴ・ディン・ジエムがベトナム共和国を樹立したことを宣言。南ベトナムと呼ばれるようになりました。この時点で形式的に存在していたベトナム王朝は消滅。最後の皇帝であるバオ・ダイはフランスに亡命します。
第一次インドシナ戦争を停止するために締結されたのがジュネーヴ協定。南北統一総選挙を行うことで合意していましたがジエム政権は拒否。東南アジアに共産化の波が広がることを懸念してのことでした。
北ベトナムのホー・チ・ミンが南北の統一を試みる
北ベトナムのホー・チ・ミンは、南ベトナムをアメリカの「傀儡政権」であるとらえて打倒を宣言。ハノイで第15回ベトナム労働党中央委員会拡大総会にて、南ベトナムをアメリカから解放するために武力を行使することを決議します。
そこでジエム政権に反対する勢力をあつめて南ベトナム解放民族戦線を結成。これをきっかけにベトナムは内乱状態になりました。ベトナム戦争のはじまりは明確ではありませんが、解放戦線の結成からベトナム戦争に突入したとする見方が有力です。
「ベトナム戦争」に対する関与を強めていくアメリカ
By Originally from U.S. Army Operations in Vietnam R.W. Trewyn, Ph.D. , (11) Huey Defoliation National Archives: 111-CC-59948, originally found in Box 1 Folder 9 of Admiral Elmo R. Zumwalt, Jr. Collection: Agent Orange Subject Files. – Item Number: VA042084 , Public Domain, Link
フランスに代わってベトナムの政権争への関与を深めていくアメリカ。これほどまでにベトナムに執着したのは、同じ時期にアメリカはソ連と冷戦状態にあったからです。ベトナムの社会主義政権=北ベトナムの勢力が拡大することで、共産主義が近隣諸国に広がることをアメリカは恐れました。
ジョン・F・ケネディが南ベトナムの支援を決定する
南ベトナムの支援を最初に決定したのがケネディ政権。アメリカでは、ひとつの国が共産主義化すると他の国々も次々と共産主義化されるという考えが浸透。これは「ドミノ理論」と言われ、アメリカの対ソ政策に一定の影響を与えました。
国内への共産主義の浸透を止めるため、特殊作戦部隊600人を派遣すること、軍事物資の支援を増やすことを決定。南ベトナム解放民族戦線を壊滅させるために、クラスター爆弾、ナパーム弾、枯葉剤などの投入を開始しました。
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