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アメリカ独立の父「ベンジャミン・フランクリン」のスーパー公務員的生き方を元大学教員が解説

ペンシルベニアの代理人としてイギリスに駐在

さらにベンジャミン・フランクリンはペンシルベニア植民地の議員としても活躍。フレンチ・インディアン戦争が起こったときは、イギリス軍に軍需品を提供するために尽力。さらにバラバラであった13の植民地をまとめるために奔走しました。

イギリスの支配下にあった北米13植民地。それらの待遇を改善するためにペンシルベニア植民地の代表としてイギリスにも駐在しました。植民地の連合とイギリスとの交渉の中軸として、アメリカ独立の流れを作ることに貢献します。

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ベンジャミン・フランクリンは若き日に得た成功体験を「公的利益」のために活用した人物。個々が利益を追求することで国の反映につながる「アメリカン・ドリーム」の実践者というわけだ。まさに理想の上司あるいはスーパー公務員と言えよう。

アメリカ独立宣言の起草者のひとりに抜擢

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By Rdsmith4Own work, CC BY-SA 2.5, Link

アメリカの偉人としてのベンジャミン・フランクリンのポジションを決定づけたのがアメリカ独立宣言。13植民地の地位向上を目指して奔走していたフランクリンは、独立宣言の草稿をつくる過程にも中心人物のひとりとして関与します。

13植民地のイギリスからの独立を宣言

北米13植民地はそれぞれ独自の発展を遂げていました。それがベンジャミン・フランクリンの努力もあり通信連絡委員会が発足、本国との交渉が本格化します。交渉は難航するものの、独立宣言の草稿案をつくる準備が進められました。

その内容は「全ての人間は平等に造られている」ということ。さらに、「生命、自由、幸福を追求する」権利があることを宣言するものでした。独立宣言の内容は、その後の政治・経済の思想に大きな影響を与え続けることになります。

われわれは、以下の事実を自明のことと信じる。すなわち、すべての人間は生まれながらにして平等であり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられているということ。こうした権利を確保するために、人々の間に政府が樹立され、政府は統治される者の合意に基づい て正当な権力を得る。
~略~
従ってわれわれアメリカ連合諸邦の代表は、大陸会議に参集し、われわれの意図が公正であることを、世界の最高の審判者に対して訴え、これらの植民地の善良な人民の名において、そしてその権威において、以下のことを厳粛に公表し宣言する。すなわち―これらの連合した植民地は自由な独立した国家であり、そうあるべき当然の権利を有する。

引用:American Center Japan「米国の歴史と民主主義の基本文書」

のちの大統領となるジョン・アダムズやトーマス・ジェファーソンらと共に署名

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By John Trumbull – US Capitol, Public Domain, Link

独立宣言起草委員会のメンバーは、トーマス・ジェファーソン、ジョン・アダムズ、ベンジャミン・フランクリン、ロジャー・シャーマン、ロバート・R・リビングストンの5人。独立宣言は1776年7月に大陸会議にて採択されました。

署名者のひとりであるジョン・アダムズは2代目の大統領。マサチューセッツ湾植民地の議員でした。トーマス・ジェファーソンは、バージニア植民地の議員でしたが、その後、アメリカ第3代大統領になります。

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hikosuke