それじゃ、世界史に詳しいライターひこすけと一緒にロシア革命が世界にあたえた影響を解説していきます。
- 1917年に帝政ロシアで起こった「ロシア革命」
- 二つの段階を経て革命が進む
- 社会主義国家の樹立につながった革命
- 帝政ロシアとはロマノフ家が統治した時代
- ツァーリ=皇帝による専制政治が基本
- 厳格な身分制度がロシア革命をうながす
- 血の日曜日事件をきっかけにロシア革命の動きが始まる
- 労働者の平和的な請願行進に対して軍隊が発砲
- 皇帝の専制政治から立憲君主制に移行する
- 大規模な暴動によりロマノフ王朝は終わりを告げる
- 10月革命にてボリシェビキが権力を獲得
- 社会主義国家であるソビエト連邦が樹立
- 帝政ロシア時代の耽美的な芸術はダブー視される
- 労働者の国家にとってブルジョワジーの芸術はご法度
- 帝政ロシア時代の俳優イワン・モジューヒンはパリに亡命
- 民衆を革命に導くロジカルな新芸術を確立
- マルクスの唯物論的歴史観を表現する芸術を推奨
- 「戦艦ポチョムキン」は革命までの道のりを視覚的に表現
- 「ロシア革命」が生んだ芸術は今でも輝きをはなっている
この記事の目次
ライター/ひこすけ
文化系の授業を担当していた元大学教員。専門はアメリカ史・文化史。芸術史を見ていくとき、避けて通ることができないのが「ロシア革命」。政治経済はもちろんのこと芸術の概念を大きく変えた芸術の革命でもある。そこで、「ロシア革命」がどのような変革をもたらしたのか、いろいろな視点から解説していく。
1917年に帝政ロシアで起こった「ロシア革命」
ロシア革命とはロマノフ王朝の排斥と社会主義国家樹立をもたらした革命のことを指します。その年代は1917年。しかし、その先駆けとなる「血の日曜日事件」を含むとする考え方も。その場合、1905年からその運動が起こっているという解釈になります。
二つの段階を経て革命が進む
ロシア革命は、1917年に起こった主に二つの事件を経て達成されます。ひとつは二月革命。国際婦人デーに食用配給の改善を訴えるデモが起こります。警官隊の鎮圧により多数の死者が出ました。これに反発した兵士の一部が暴徒化し、一般民衆を巻き込んで反乱を起こします。
もうひとつが十月革命。労働者や兵士らが武装蜂起したことで拡大しました。十月革命の特徴は中心的な革命家が存在したこと。革命家は理論的にも武装しており、ロシア革命をアカデミックに意味づけする役割も果たしました。
社会主義国家の樹立につながった革命
資本主義は、自由な競争を通じて各自が利益を追求。それが結果として国家の成長につながると言う考えです。ただ資本主義は、成功者とそうではない者が出てくるため、貧富の格差が広がるという問題がありました。
帝政ロシア末期はまさにそんな状況。そこであらわれたのが社会主義という発想です。経済活動を管理するのは国。社会主義とは、資本家と労働者の区別をなくして労働者の国を作ろうという考えに基づきます。社会主義国家を初めて実現したのがロシア革命でした。
帝政ロシアとはロマノフ家が統治した時代
ロシア革命が起こったのは帝政ロシア時代。このとき国を統治していたのはロマノフ家でした。ロマノフ家がツァーリ=皇帝に初めてなったのは1613年。ロシア革命が起こる1917年まではロマノフ王朝時代とも言われています。
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ツァーリ=皇帝による専制政治が基本
ロマノフ家は政治家というより大富豪。ロシアの支配地であったシベリアの毛皮の売買で財を成した一族でした。同じ時期、他の貴族階級が没落したこともありロマノフ家に権力が集中。大富豪が皇帝として政治をつかさどる専制政治が実現します。
大富豪の一族による専制政治は、その他の一般民衆との格差を拡大させていきました。失業率が増加し、食料も十分に得られない状況になります。貧しい生活を強いられた人々は徐々に不満を抱くように。それが血の日曜日事件の引き金となりました。
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