日本史歴史江戸時代

伝統芸能「歌舞伎」の成り立ちを歴史マニアが5分でわかりやすく解説

元禄文化の中で育つ歌舞伎

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発展する歌舞伎とジャンルの確立

「市川團十郎」は現代でもとても有名な歌舞伎役者さんですね。その一番最初、初代市川團十郎が登場したのが元禄年間(1688年~1704年)、徳川綱吉の時代です。元禄は政治的、経済的に安定した期間であり、文芸・文学・芸術部門が非常に発展した時期でもあります。

歌舞伎は成人男性中心の野郎歌舞伎へと移行しましたが、その中でお芝居のジャンルがふたつに分かれていきました。ひとつは、上方で流行した「和事(わごと)」です。これは、阿国歌舞伎のころから行ってきたような男女の恋慕や濡場の様子を題材にしたお芝居でした。もうひとつは「荒事(あらごと)」。初代市川團十郎を中心として創始された雄々しい芸風です。荒事は江戸の活気溢れる場や関東人の荒々しい気質とがマッチして大変なヒットとなりました。

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スター誕生! 市川團十郎から近松門左衛門まで

元禄文化では小説の井原西鶴、俳諧の松尾芭蕉、浮世絵の菱川師宣など様々な芸能者たちが生まれました。歌舞伎においても、初代市川團十郎をはじめ、初代坂田藤十郎、初代芳沢あやめなどのスターが誕生します。三人とも現代に残る名前であり、今もご襲名された役者さんがいらっしゃいますね。市川團十郎は今や当たり前となった隈取や六方の足拍子、見得を切る所作などを演じて人気を博します。初代藤田藤十郎は貴人流離譚系の「やつし事」や「和事」を得意とし、初代芳沢あやめは女形として活躍しました。

役者が揃う一方、シナリオもしっかりしたものでなければ観客は離れてしまいます。それまで浄瑠璃で執筆していた近松門左衛門が新作、あるいは既存の作品を歌舞伎で演じられるようにしたりして人気の作品となりました。それはもうとんでもない人気で、近松門左衛門らの心中物語に触発された心中が流行ってしまったため、幕府が心中を扱う舞台の上演を禁止したほどでした。

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赤穂事件による影響

歌舞伎の中でも一、二を争う有名演目「仮名手本忠臣蔵」。この演目は江戸で起こった赤穂事件をもとにして書かれた作品でした。ざっくり説明しますと、江戸城内松之大廊下で起こった刃傷沙汰で切腹を言い渡された赤穂藩主・浅野内匠頭の仇を討つため、大石内蔵助率いる47人の元赤穂藩の武士たちが仇の吉良上野介の屋敷に討ち入りするというもの。天下泰平であるはずの江戸城内で刀が抜かれたことはもちろん、吉良邸討ち入り後に首級を下げた武士たちが町を歩くなど幕府にとって非常にショッキングな事件でした。

しかし、庶民にとってこんなニュースはありません。さっそく歌舞伎や浄瑠璃での演目になりそうなところで、事件の脚色や風刺を嫌った幕府から規制がかかったのです。そこで作家たちは登場人物の実名や時代を変え、この作品はフィクションだというていで発表するようになりました。

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関ヶ原以降、戦のなくなった世で元禄年間に華やかな文化が展開した。歌舞伎はもとより、小説に俳句、浮世絵、それに音楽界にも新しい風が吹き込む。これを鑑みて、高度成長期下の昭和を「昭和元禄」と言うことがある。

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歌舞伎舞台の進化、三大歌舞伎の登場

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