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喜劇王「チャップリン」映画スターとしてのキャリアと歴史のつながりを元大学教員がわかりやすく解説

よぉ、桜木建二だ。喜劇の映画スターとして名をはせた「チャップリン」。今でも「チャップリン」の作品に触れる機会がたびたびある。彼は喜劇俳優としてのイメージが強いが、映画監督として時代の潮流に言及するような作品を数多く残した。

それじゃ、「チャップリン」の映画スターとしてのキャリアと彼が製作した作品について、世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

ライター/ひこすけ

文化系の授業を担当していた元大学教員。専門はアメリカ史・文化史。アメリカ文化を見ていくとき「チャップリン」を避けて通ることはできない。「チャップリン」は長いキャリアゆえ歴史とのつながりも多彩にある人物。そこで、「チャップリン」とアメリカの歴史のつながりについて解説していく。

「チャップリン」は世界的に有名な映画スター

image by PIXTA / 48627843

チャンプリンの本名はチャールズ・スペンサー・チャップリン。イギリス生まれの映画コメディアンです。チャップリンの才能は多岐にわたり、映画製作者、映画監督、脚本家、作曲家としても活躍しました。

職を転々とする幼少期を過ごしたチャップリン

ロンドンで生まれたチャップリン。彼が1歳のときに両親が離婚したため、ミュージックホールの歌手であった母親と一緒に暮らします。母親は声帯を痛めて歌うことができなくなり、チャップリンの生活はどん底に陥ることに。

そこでチャップリンは、床屋や新聞の売り子などいろいろな仕事を渡り歩きます。その後、小劇団を渡り歩きながら芸を磨いていきました。こうした幼少期の極貧生活を、チャップリンは自身の映画製作のなかで活かしていくことになります。

ハリウッドを中心に俳優兼映画製作者として活躍

チャップリンに転機が訪れたのが1913年。アメリカ巡業中に当時の喜劇映画スターであったマック・セネットの目に留まります。キーストン社と契約を結んだチャップリンは、マック・セネットが製作者をつとめる映画に出演することに。

そこで生まれたのが、チャップリンのトレードマークでもある、だぼだぼのズボン、どた靴、ちょび髭、ステッキという風貌です。当時は15分程度の短編映画が主な出演作。キーストン社の看板女優と共演することも増え、アメリカで知名度を獲得していきました。

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チャップリンは、ファースト・ナショナル社と年間100ドルに契約を結ぶまでに。この時には自分の映画スタジオも作り、ビッグスターの仲間入りを果たした。第一次世界大戦中は、戦争プロパガンダ映画も製作したようだ。

上流階級を茶化した喜劇でチャップリンは人気を獲得

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By Keystone Studios – DVD screenshot, Public Domain, Link

チャップリンの数ある映画に共通しているのが、滑稽な紳士風のいでたちによるドタバタ劇。上流階級を茶化しているかのような内容は当時の映画観客の心をつかみました。

哀愁ただようホームレス紳士「チャーリー」

チャップリンは喜劇俳優に区分されますが、単に面白おかしいことを演じたわけではありません。彼が演じているのがホームレスの「チャーリー」。貧しい生活をしていますが、弱い立場にある人を助けるやさしい心を持っています。

またチャーリーは放浪者として特定の場所に居を構えません。困っている人々と心を通わせ、そこにいたいと思うものの、最後はその場を去るというパターン。彼の後ろ姿にはいつも哀愁がただよっています。

\次のページで「徹底した平和主義を貫くチャップリンの作品」を解説!/

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