

それじゃ、「チャップリン」の映画スターとしてのキャリアと彼が製作した作品について、世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していくぞ。
- 「チャップリン」は世界的に有名な映画スター
- 職を転々とする幼少期を過ごしたチャップリン
- ハリウッドを中心に俳優兼映画製作者として活躍
- 上流階級を茶化した喜劇でチャップリンは人気を獲得
- 哀愁ただようホームレス紳士「チャーリー」
- 徹底した平和主義を貫くチャップリンの作品
- ゴールド・ラッシュを描いた「黄金狂時代」(1925)
- アラスカ州の金採掘者の写真をヒントに作成
- 一獲千金を狙う人々の境遇をコミカルに表現
- 「モダン・タイムス」(1936)はアメリカの機械化を風刺
- 人間が機械の一部になる生産システム
- 機械化により仕事がなくなる現状を描写
- 反ナチスと平和主義を訴えた「独裁者」(1940)
- アドルフ・ヒトラーの軍事政権を批判
- 床屋のチャーリーの演説
- チャーリーの平和主義はドイツとアメリカを重ね合わせる
- 「ライム・ライト」(1952)は冷戦による赤狩り激化のなかで製作
- 道化師の過去の栄光と自らを重ね合わせる
- 本作完成後に赤狩りによりアメリカ追放
- 「チャップリン」はアメリカの歴史の証言者
この記事の目次

解説/桜木建二
「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

ライター/ひこすけ
文化系の授業を担当していた元大学教員。専門はアメリカ史・文化史。アメリカ文化を見ていくとき「チャップリン」を避けて通ることはできない。「チャップリン」は長いキャリアゆえ歴史とのつながりも多彩にある人物。そこで、「チャップリン」とアメリカの歴史のつながりについて解説していく。
「チャップリン」は世界的に有名な映画スター

チャンプリンの本名はチャールズ・スペンサー・チャップリン。イギリス生まれの映画コメディアンです。チャップリンの才能は多岐にわたり、映画製作者、映画監督、脚本家、作曲家としても活躍しました。
職を転々とする幼少期を過ごしたチャップリン
ロンドンで生まれたチャップリン。彼が1歳のときに両親が離婚したため、ミュージックホールの歌手であった母親と一緒に暮らします。母親は声帯を痛めて歌うことができなくなり、チャップリンの生活はどん底に陥ることに。
そこでチャップリンは、床屋や新聞の売り子などいろいろな仕事を渡り歩きます。その後、小劇団を渡り歩きながら芸を磨いていきました。こうした幼少期の極貧生活を、チャップリンは自身の映画製作のなかで活かしていくことになります。
ハリウッドを中心に俳優兼映画製作者として活躍
チャップリンに転機が訪れたのが1913年。アメリカ巡業中に当時の喜劇映画スターであったマック・セネットの目に留まります。キーストン社と契約を結んだチャップリンは、マック・セネットが製作者をつとめる映画に出演することに。
そこで生まれたのが、チャップリンのトレードマークでもある、だぼだぼのズボン、どた靴、ちょび髭、ステッキという風貌です。当時は15分程度の短編映画が主な出演作。キーストン社の看板女優と共演することも増え、アメリカで知名度を獲得していきました。

チャップリンは、ファースト・ナショナル社と年間100ドルに契約を結ぶまでに。この時には自分の映画スタジオも作り、ビッグスターの仲間入りを果たした。第一次世界大戦中は、戦争プロパガンダ映画も製作したようだ。
上流階級を茶化した喜劇でチャップリンは人気を獲得
By Keystone Studios – DVD screenshot, Public Domain, Link
チャップリンの数ある映画に共通しているのが、滑稽な紳士風のいでたちによるドタバタ劇。上流階級を茶化しているかのような内容は当時の映画観客の心をつかみました。
哀愁ただようホームレス紳士「チャーリー」
チャップリンは喜劇俳優に区分されますが、単に面白おかしいことを演じたわけではありません。彼が演じているのがホームレスの「チャーリー」。貧しい生活をしていますが、弱い立場にある人を助けるやさしい心を持っています。
またチャーリーは放浪者として特定の場所に居を構えません。困っている人々と心を通わせ、そこにいたいと思うものの、最後はその場を去るというパターン。彼の後ろ姿にはいつも哀愁がただよっています。
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