平安時代日本史歴史

「平安時代」を元大学教員が徹底解析!摂関政治・政権争いーー3分で簡単平安末期までの流れ

藤原摂関家が衰退すると、上皇支配の院政の時代に

image by PIXTA / 48493836

藤原家による摂関政治は、平安後期になると権力を失っていきます。代わりに台頭したのが上皇。天皇の地位を継承者に譲り、上皇の立場から政治に参画。この政治形態が院政です。

院政により、天皇は藤原摂関家から政権を取り戻すことに成功。1086年に白河天皇が退位して白河上皇となってから、平家が滅亡する1185年までの間を院政時代と呼びます。

白河上皇は、どうして政権を取り戻せた?

白河上皇が政権を取り戻せたのは、その前の天皇である後三条天皇がキーパーソン。後三条天皇は、藤原摂関家の外戚がおらず、摂関家の力を弱める政策を一気に推し進めます。

摂関家から嫁入りした女性が、子宝に恵まれなかったこともあり、源氏の人々を重要な役職につくことに。そんな父親のもと育ったのが白河上皇。若いころから政権を取り戻すことを強く意識して育ったと言えます。

白河上皇が院政を始めた理由は財政問題?

白河上皇が院政を始めた理由のひとつが財政問題。父親の後三条天皇の時代から、荘園整理令を出して、年貢の取り立てを進めまていました。しかし、その収入は不十分。天皇家の財政を圧迫することに。

そこで行われたのが天皇を早々に辞めて上皇になるという作戦。自由な立場で財政を立て直しはじめます。

白河上皇の作戦は、寺を建立し、その寺に荘園を持たせて年貢を取り立てるというもの。また、自ら選んだ国司を通じて富を吸い上げるという方法を確立しました。財力を高めることで、天皇家の権力を強めることにし成功したのです。

no-img2″>
 <figcaption class=桜木建二

長らく藤原摂関家が権力を握っているところ、白河上皇が上手いこと政権を取り戻したというわけだ。なかなかの策略家だ。財を成すプロセスは抜け道を使うもの。決していい方法ではなかった。だから、徐々にほころびが出てきて、源平争乱につながっていくのだろう。それじゃ、次に鎌倉幕府の成立に向かう平安時代の終わりを見ていくぞ!

平安末期、源平争乱の始まりから鎌倉幕府の成立へ

image by PIXTA / 38311824

院政により天皇の権力を取り戻す一方、利権をめぐる交渉のなかで武士の活躍の場が増えていきます。1180年から1185年の5年間、権力闘争から大規模な内乱が勃発。源平争乱と言われるものです。ここで力をつけたのが平清盛。天皇家とうまく交渉して政治的権力を持つようになりました。

結果として、反乱の対象が平清盛が引き入る平家にシフトすることに。最後は、平家の滅亡により内乱は収束します。そして源頼朝を中心とする鎌倉幕府が成立。平安時代は幕を下ろし、時代も古代から中世に移り変わります。

平清盛はどうして力をつけることができたの?

平安末期、関東で力をつけていたのが源頼朝を生み出す河内源氏です。なかでも、河内源氏のひとりである源義家が関東で活躍、朝廷を警戒させる存在にまで成長。とりわけ河内源氏は、藤原摂関家と関係があるため、天皇家にとっては好ましい存在ではありませんでした。

そこでライバル的な位置にあった伊勢平氏を味方につけます。伊勢平氏は、のちに平清盛を生み出すグループ。このとき棟梁だったのが、清盛の祖父にあたる正盛でした。

正盛は、白河上皇の身辺を警護する北面武士に登用されることに。祖父の活躍により平家の地位が一気に高まり、平の清盛の台頭を後押ししたというわけです。

源頼朝はどさくさに紛れて政権をとった?

平清盛は天皇家にうまく取り入るものの、荘園の没収をめぐって関係性が悪化。清盛は、内乱を起こして平家による政権の確立を画策します。しかし、反平家の勢力が動き出すようになるなど、政権の周囲ばバタバタに。そのあいだの1185年、関東に追われていた源頼朝が現在の山口県にある壇ノ浦で平家を滅ぼします

ただ、源頼朝が後白河法皇といい関係を築いているわけではありませんでした。そのため、源頼朝が征夷大将軍になって鎌倉幕府を作るのは、後白河法皇の崩御のあととなります。

no-img2″>
 <figcaption class=桜木建二

これが有名な壇ノ浦の戦いか。平家は滅亡したと言われるが、実際は、敗走した生き残りがいたらしい。平家の生き残りには、武士だけではなく、女性や子供もいたと言われている。生き残った平家側の人々は、日本各地に散らばって、ひっそりと暮らしていたそうだ。平家の隠れ里と言われる場所が日本各地にあり、伝説のような存在になったんだ。

平安時代は政権をめぐる争いと、行政や文化の発展が特徴

平安時代は、美しい装束を身にまとった男女が、歌を詠みあっているというイメージが強い時代。しかし実際は、激しい政権争いのなかでいかに一族が生き残るか、野心がぶつかり合う時代でした。そのような時期だからこそ、行政の仕組みを整えようとする、新たな政治形態を確立する試みが生まれたと言えます。

また平安時代は、新しい仏教が力を持つというように新旧の価値観が交代する時期という特徴も。平安時代の大きな特徴である文化の発達は、政治や文化の転換期だったからこそ生まれたと考えることもできます。政権争いの勃発からくる野心や不安を読み解く材料として、興味深い時代であることは間違いありません。

1 2 3 4
Share: