平安時代日本史歴史

「平安時代」を元大学教員が徹底解析!摂関政治・政権争いーー3分で簡単平安末期までの流れ

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遣唐使は、律令制や仏教の教えを日本に持ち込むことに貢献したのか。しかし、当時の船旅はたいへんなリスクがあっただろう。ちなみに、遣唐使の廃止を提言した藤原道真は、言わずと知れた学問の神様。政治家としても高い地位につくが、藤原時平の攻略で失脚。九州の大宰府に左遷されたんだ。今でも九州の太宰府天満宮に行けば会えるぞ。よし次は地方の武士の動向に目を向けてみよう!

地方武士が台頭、全国で戦乱が勃発!

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藤原道長を中心に藤原家の権力が強くなりますが、地方では反乱の兆しが出てきます。地方では、豪族や有力農民が勢力を拡大。武装して武士と呼ばれるようになります。彼らの一部は、警備に従事するなど貴族につかえるように。

その一方、部下を引き連れて対抗する勢力もあらわれました。そのため朝廷は、治安の悪化を懸念するようになります。

どのような武士団が結成されたの?

日本各地には、数多くの武士団が結成されました。関東エリアでは「武蔵7党」と呼ばれる武士団が一段勢力に。また四国エリアでは、藤原純友を中心とする武士団が大宰府等を襲うという事件が起こります。

九州エリアにおいても、女真人と呼ばれる武士団の内乱が発生。これらは鎮圧されるものの、新たな勢力の存在を感じさせるのに十分なものでした。

地方武士の内乱で最もインパクトがあったのは平将門

関東地方で大規模な内乱を起こしたのが平将門。関東エリアの有力者のなかには元皇族もおり、平将門もそのひとり。勢力を拡大した平将門は、地元の有力者と争いを繰り広げるようになります。935年、国府を襲撃して関東エリアを制圧して「新皇」を名乗るまでに。

同時期に、藤原純友の内乱も起こったことから、朝廷は鎮圧を試みます。940年、平将門はあっという間に討たれてさらし首に。この結末は、怨念により首が空を飛んだなどインパクトあるエピソードを生み出しました。

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平安時代は貴族のイメージが強いから、武士が登場するのは意外な感じがするぞ。でも、武士の行動が、政治を大きく動かすきっかけになったのだろう。平安時代は、天皇や貴族と同じくらい武士の存在感が大きい時代だった。個人的には、そんな平安時代の武士に会ってみたいぞ!

藤原道長の時代、平安文学も最盛期に

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藤原道長は、摂関制の確立など権力を集中させた人物です。同時に、道長は芸術に対する関心が高く、平安文学の確立に大きな役割を果たしたという一面も。

とくに有名な作品が、紫式部の『源氏物語』そして清少納言の『枕草子』。この2作品は、道長時代の貴族の生活や政権争いの様子を、細かく観察していることでも知られています。

『源氏物語』の主人公は藤原氏の政敵!王朝文学の代表作

『源氏物語』は、日本で最古の物語文学と言われています。その作者である紫式部は、藤原家道長の長女である顕子の家庭教師でした。『源氏物語』の主人公は藤原氏と対立的な位置にある源氏。藤原道長の摂関制の全盛期、どうして政敵の話を書けたのか、いろいろな説があります。

ひとつは、藤原道長はすべての権力を持っていたので、紫式部が源氏のことを書こうともまったく動じなかったという説。もうひとつは、自分が排除した政敵の怨念を恐れ、それを払拭するために許していたというもの。実際どうだったのかは分かりません。

清少納言『枕草子』は敗者の立場から書かれた文学

一方、『枕草子』を書いた清少納言は、藤原道長に排除された中関白家の定子に仕えた女房。清少納言が『枕草子』を書き続けるためには、藤原家の悪口はご法度です。そのため、敗者の立場でありながら、藤原道長に仕える男性たちの容姿や能力をほめちぎる場面がたくさん見られます。

敗者の立場から書かれた文学が残ることはとても珍しいこと。『枕草子』は、藤原摂関政治から排除された人々の生活を垣間見れる、貴重な作品でもあります。

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平安文学を学校で勉強すると、紫式部派と清少納言派に分かれるよな。文学としては『源氏物語』の方が面白いけど、友達になるなら清少納言の方がいい!という同級生もいたのを思い出した。俺は、明るい女性が好きだから清少納言派だけど、紫式部のように影がある女性も嫌いじゃないぞ。

\次のページで「藤原摂関家が衰退すると、上皇支配の院政の時代に」を解説!/

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