平安時代日本史歴史

「平安時代」を元大学教員が徹底解析!摂関政治・政権争いーー3分で簡単平安末期までの流れ

奈良仏教と平安仏教の違いは?公開型か非公開型かが教えのポイント!

奈良仏教と平安仏教のいちばんの違いは、「顕教」か「密教」かにあります。顕教は、経典を読むと教えがはっきり分かるもの。いわば公開型の教えです。

一方、密教は、悟りの境地に達したものしか、教えは分かりません。顕教とは対照的に非公開型の教えということ。また、厳しい修行により、悟りの境地に達するという教えも特徴的です。修行により条件をクリアすれば、誰でも生きたまま仏になれるということ。この考えは、即身成仏と言われています。

空海と最澄はどんな人?

空海は、現在の香川県である讃岐国の出身。774年に生まれました。31歳で遣唐使の使節団の1人として中国へ行き、密教の教えを受けます。帰国後、嵯峨天皇から高野山を与えられ、そこを真言宗の拠点としました。

最澄は、現在の滋賀県である近江国に生まれます。804年、いわゆる短期留学生として中国にわたり、密教を学びました。帰国後、比叡山延暦寺を建立。最澄は天台宗の開祖となりました。

no-img2″>
 <figcaption class=桜木建二

顕教より密教の方が難しい教えのような気がするけど、誰でも悟りを開ける可能性があったのは密教だ。だから密教が、平安時代を通じて、庶民の生活のなかにまで浸透できたのだろう。ただ、密教の修業は、本当に大変らしいぞ。面白いのは、仏教を学びに、中国に派遣されたり、留学のようなことをしたり、なんだかグローバルな感じだ!

藤原氏の台頭により摂関政治が確立

image by PIXTA / 31324510

平安時代中期を特徴づけるのが摂関政治。藤原氏が天皇の外戚である摂関家として、重要な役職を占める政治形態です。

天皇は形式的には頂点にいます。しかし、実際に政治を動かしていたのが藤原摂関家。天皇を補佐するという形で政権を独裁するようになりました。直接は権力を持たないものの、間接的に政治を操る黒幕のような存在として力を持ったと言えいます。

藤原摂関家の始まりは?結婚を通じて権力を獲得?

もともと、天皇が幼いときや病気のとき、代わりに政治を行う立場の人はいました。ただその場合、天皇家から選ばれることが原則。それが866年に新たな形態が生まれます。

藤原北家の藤原良房が、初めて天皇家外から選出。それを可能にしたのが結婚でした。自分の娘を天皇家に嫁がせて後継ぎを生ませるという方法で、摂関家による政治の実権を獲得していったのです。

摂関政治の最大権力者が藤原道長

平安時代中期、摂関制により大きな力を持ったのが藤原道長。道長は、天皇の補佐として権力を持ちます。さらに自分の権力を維持するため、娘を次々と宮中に入れるように。そうすることで、道長の孫が政権の重要なポジションにつけるからです。そこから、息子たちの地位をさらに高めるという方法をとりました。

藤原道長の時代は、なんの不安もなく、栄華を誇っているように見えます。しかし同じ時期、地方官吏のために派遣した国司が不正や非道をはたらき、農民などから訴えが続出しました

no-img2″>
 <figcaption class=桜木建二

藤原家は、政略結婚を繰り返すことで朝廷のなかに入り込み、天皇に代わり権力を獲得したわけだ。その分、激しい権力争いや妬みも多かっただろう。中央政権制の確立を目指すものの、地方では問題も多かったのか。もしかすると、藤原道長は、いつか自分立場がなくなるのでは、と不安を抱えていたかもしれない。

遣唐使の廃止が国風文化を生み出した!

image by PIXTA / 21717932

平安時代を特徴づけるのはやっぱり文化。独自の美しさを持つ建築物や、中国とは異なる仏像の作風がみられるようになります。この時代の文化は「国風」と表現されることもしばしば。

国風文化が生まれた理由ははっきりしません。国風文化が生まれたのは唐に派遣する遣唐使が廃止されたからと言われることが多いようです。

遣唐使の廃止は唐の衰退が理由?財政の負担も大きかった?

遣唐使が持ち帰る最新の情報は、日本の政治、行政、文化に、大きな影響を与えます。しかし、9世紀の終わりになると、黄巣の乱が起きるなど唐の権力は弱体化するように。さらに、遣唐使を派遣する費用が負担に感じられるようになりました。

そこで、藤原道真が遣唐使の廃止を提案、894年から行われることはなくなりました。

国風文化の特徴は?ひらがな、カタカナも国風の一環?

建築では、貴族の住まいにその特徴がよく現れています。国風の建築としてよく取り上げられるのが「寝殿造り」と呼ばれる様式。また、檜皮葺、白木造、板床の建物が増えました。さらに、庭園に植える花も、梅より桜が増えるという変化も。

漢字とは別にかな文字が使われるようになったのも、この時期の文化の特徴です。「ひらがな」「カタカナ」が使われることで、詩歌、物語文学、日記の分野で、宮廷で眠っていた女性の才能が開花しました。

\次のページで「地方武士が台頭、全国で戦乱が勃発!」を解説!/

次のページを読む
1 2 3 4
Share: