平安時代日本史歴史

「平安時代」を元大学教員が徹底解析!摂関政治・政権争いーー3分で簡単平安末期までの流れ

よぉ、桜木建二だ。みんな、平安時代というとどんなイメージを持つ?
貴族たちが優雅に歌を詠んだり、蹴鞠(けまり)をしたりと、雅な文化が発達した時期と思う人も多いだろう。もちろんその通り。しかし平安時代は、政権をめぐる政治的争いが拡大した時期。また、行政の仕組みが確立したことでも知られているんだ。

よし!今回は、平安時代に詳しいライターのひこすけと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

ライター/ひこすけ

文化系の授業を担当していた元大学教員。枕草子が好きなことから平安時代にも興味を持ち、いろいろ調べるように。平安時代は、政治や行政の視点から見てもとても面白い時期。そこで、得意分野のひとつである平安時代から記事をまとめた。

平安時代の開始は桓武天皇による平安京の遷都から!

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奈良時代の終わり、そして平安時代の開始は、桓武天皇が長岡京から平安京に移ったタイミングからとされています。天皇の住まいが移ることが「遷都」。この遷都が行われたのは794(延暦13)年です。

もともと、長岡京を交通の便がいいなどの理由から都としていました。しかし、長岡京の側近の暗殺、疫病の流行、不作、さらには桓武天皇の近親者の病死と不幸が続きます。そこで、平安京に遷都することを決断しました。

桓武天皇とはどんな人?

桓武天皇は、平安前期を特徴づける取り組みを行った、いわばキーパーソン。父親の光仁天皇の体調が悪化したことにより、天皇に即位します。このときの桓武天皇の年齢は44歳。平安時代の基準でいえば高齢での皇位継承です。皇位継承後、24年11か月のあいだ天皇として行政や仏教の改革にとりくみました。

桓武天皇はどうして遷都を決意したの?

天皇は、世の中の平和を保ってこそ地位が安定します。しかし、桓武天皇が皇位継承したとき、殺害、疫病、不作など、人々を不安にさせることが続くように。また、桓武天皇の親族が病死したことも、遷都の決意を後押ししたと言われています。

不吉な出来事を払拭するために、早々に遷都することを決意した桓武天皇。大変な時期に皇位継承をすることになったと言えます。

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不吉な出来事が続いたことが理由だったとはいえ、平安京に遷都したからこそ、平安時代を特徴づける制度や文化が生まれたんだな。桓武天皇の決断は、その後の政治や文化にたくさんの影響を与えた。それは感慨深いな!

平安時代初期は律令制の再建と東北経営の転換期!

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平安時代の初期は、律令制度を立て直した時期。飛鳥時代の後期に、中国の制度をもとに作られたのが律令制度です。この制度は、土地を国のものとみなして徴税を推し進めるもの。中央が国を管理する国家の中央集権体制に近い体制です。

しかし、徴税の負担に苦しむ農民が逃げ出すように。さらに、有力な寺院や貴族が、逃げ出した農民を集めて私有地を増やし始めます。桓武天皇が即位した時期、律令制は崩壊状態でした。

桓武天皇が行った律令制の改革とは?農民への取り締まりを強化?

まず、逃げ出した農民をきびしく取り締まります。さらに、私有地を勝手に作ることも禁止。土地の状況を把握するために、所有者などを記録することを徹底します。同時に、農民に対する徴税の負担を軽くすることも試みました。

ひとつは、貸し付けの利息を少なくすること。もうひとつは、労役の期間を短くすることです。しかし、律令制が十分に機能することはなく、記録により管理しきれない土地は増えていく一方という展開に。それが、平安時代における天皇制の弱体化を引き起こす理由のひとつとなりました。

蝦夷征伐は、東北地方の定住化をすすめる試み

律令制とは土地の管理を通じて農民を支配すること。管理しきれないと、それは不安材料になります。実は、東北地方も同じような状況でした。東北地方の内陸部は、古代から狩猟や採集の生計が中心。そこで桓武天皇は、農業による定住をすすめます。

しかし、それを嫌がる人々の反乱を頻発させることに。そこで桓武天皇は、坂上田村麻呂を征夷大将軍に登用して東北地方の制圧を試みました。これが「蝦夷征伐」と呼ばれるものです。

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朝廷が土地をしっかり管理して、徴税をすすめるという方法は、現代にも通じる方法だな!でも、平安時代は、年金制度も福祉制度もないから、農民の不満がたまるのも分かる気がする。だから、農民が逃げ出す、私有地が増えるなど、律令制はどんどん息詰まるわけだ。東北地方の人々も、狩猟や採集に慣れ親しんでいたから、管理されることに抵抗感があったのだと思うな。

平安初期は、主要な仏教の始まりの時期

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平安初期は、従来の仏教と新しい仏教の勢力が入れ替わる時期。当時、法相宗や華厳宗など、6宗の奈良仏教が権力を持っていました。それに対抗する勢力とされたのが平安仏教です。

平安仏教の中心となったのが真言宗と天台宗。真言宗の開祖は空海、天台宗の開祖は最澄です。朝廷は、2つの宗派を持ち上げて力を持ちすぎた奈良仏教の勢力を弱めることを試みました。

\次のページで「奈良仏教と平安仏教の違いは?公開型か非公開型かが教えのポイント!」を解説!/

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