
「キング牧師」の非暴力主義はマハトマ・ガンディーに由来
キング牧師の本名はマーティン・ルーサー・キング・ジュニア。ブーカー・T・ワシントン高校からモアハウス大学に進学。いずれも黒人専用の教育機関でした(現在、モアハウス大学はすべての男性が入学できる)。聖職者の道に進むことを決めたキング牧師は神学校に入学。そこで出会ったのがインドの宗教家マハトマ・ガンディーの思想でした。
マハトマ・ガンディーは「非暴力」と「不服従」を理念にイギリスからインドが独立する流れを作り出した人物。不買運動などを通じて態度を示す、平和的な方法をとりました。この非暴力主義はキング牧師に受け継がれ、人種差別に反対する「モンゴメリー・バス・ボイコット」や「ワシントン大行進」につながっていきます。
言葉の力を信じた「I Have a Dream」演説
アメリカ南部における「ジム・クロウ法」は、公共施設などにおける人種隔離を法的に容認。白人に席を譲らなかった黒人女性が逮捕されたことに異議を申し立て「モンゴメリー・バス・ボイコット」が382日にわたり展開されます。それをきっかけに各地で差別の撤廃をもとめる運動が活発になり、キング牧師はそれらを支援しました。
リンカーンの奴隷解放宣言100年を記念して行われた1963年の「ワシントン大行進」はもっとも大規模な運動となりました。リンカーン記念堂の前で行われたのが「I Have a Dream」という有名な文言を含む演説です。
「I Have a Dream」演説の抜粋
I have a dream that one day this nation will rise up and live out the true meaning of its creed: “We hold these truths to be self-evident, that all men are created equal.”
日本語訳:私には夢がある。それは、いつの日か、この国が立ち上がり、「すべての人間は平等に作られているということは、自明の真実であると考える」というこの国の信条を、真の意味で実現させるという夢である。
American Center Japan「米国の歴史と民主主義の基本文書」より引用
https://americancenterjapan.com/aboutusa/translations/2368/
ワシントン大行進と「キング牧師」の演説はアメリカの歴史を変える
By Cecil Stoughton, White House Press Office (WHPO) – http://photolab.lbjlib.utexas.edu/detail.asp?id=18031, パブリック・ドメイン, Link
キング牧師の「I Have a Dream」演説はアメリカのみならず世界中で高く評価。アメリカ国内ではジム・クロウ法に代表される人種隔離を撤廃し、アフリカ系の人々の「法的」な平等を実現を主張する声が高まります。このような流れをうけて公民権法を議会に提出する準備が始まりました。
ジョン・F・ケネディ政権が公民権法案を議会に提出
公民権法案を最初に議会に提出したのがジョン・F・ケネディ政権。その後、ケネディが暗殺されたことを受けて、当時の副大統領であったリンドン・B・ジョンソンが大統領として制定にむけて動きました。議会で法案を通すためにキング牧師自身もジョンソンが大統領の活動に協力したと言われています。
1964年7月2日に合衆国連邦議会にて公民権法が制定。公共施設などにおける人種隔離は禁じられ、差別のシンボル的存在であったジム・クロウ法は無効となります。法案の制定は、おもに北部の民主党・共和党の超党派議員が中心。その過程では反対する南部議員の活動も根強くあり、修正案は500以上つくられました。
キング牧師はノーベル平和賞を受賞するも暗殺される
キング牧師の暴力を介さない運動は世界的に高く評価され、1964年度のノーベル平和賞の受賞者に選ばれます。キング牧師は、この受賞はすべてのアフリカ系アメリカ人のものであるとコメント。公民権運動に関わったアフリカ系の人々すべての功績をたたえました。
その4年後の1968年、キング牧師は遊説のために訪れたテネシー州の宿泊施設にて暗殺されます。当時、ベトナム反戦運動に関わっていたこともあり、以前からテロや殺害未遂にみまわれていました。キング牧師を殺した犯人は強盗をはたらいた脱獄囚。政治的な立場は不明です。
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