19世紀末のアメリカで沸き起こった現象が「ゴールド・ラッシュ」です。カリフォニアで金鉱が発見されたことで、一獲千金を狙う人々が世界中から殺到した。それによりアメリカ西海岸は急速に発展する。しかし「ゴールド・ラッシュ」は、先住民の生活圏を破壊するだけではなく、富に対する価値観を完全に変えてしまった。

それじゃ、「ゴールド・ラッシュ」が沸き起こった経緯とその影響について、世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していきます。

ライター/ひこすけ

文化系の授業を担当していた元大学教員。専門はアメリカ史・文化史。アメリカ形成過程を見ていくとき「ゴールド・ラッシュ」を避けて通ることはできない。「ゴールド・ラッシュ」はアメリカ西海岸を世界を代表する地域に押し上げた現象。そこで、「ゴールド・ラッシュ」をキーワードに、その経緯と影響を解説していく。

「ゴールド・ラッシュ」はアメリカの移民構成を刷新した

image by PIXTA / 28926602

カリフォルニアを舞台に金をめぐって白熱したゴールド・ラッシュ。金鉱を掘り当てたら巨額の富を得られると、アメリカ国内のみならず南アメリカ、ヨーロッパ、アジアから採掘を狙う人々が入国しました。

1848年の金鉱発見をきっかけに火がつく

はじめてカリフォルニアで金鉱をみつけたのがジェームズ・ウィルソン・マーシャル。工場の水を排出するために溝を掘っていたところ、純度の高い金を見つけました。それが1848年の1月24日です。

アメリカ国内にいた人々がカリフォルニアに向かったピークが1849年。金を掘り当てるために西へ向かう人々は「フォーティナイナーズ」と総称されました。その1年だけで8万人の人々がカリフォルニア入りしたと言われています。

世界中から一獲千金を狙った人々が殺到

当時のカリフォルニアはほとんど開拓されていない状態。たくさんの採掘者が来ても、彼ら・彼女らが生活するための基本的なライフラインはありませんでした。また、急激な人口増加により深刻な食料不足に陥って物価が高騰します。

また、老人や子供を含む家族で移住する人も多かったゴールド・ラッシュ。カリフォルニアに到着するまえに事故、病気、飢餓などで亡くなる人も多かったようです。カリフォルニアは命を危険にさらしてまで一獲千金を狙う人々で熱気を帯びていきました。

「ゴールド・ラッシュ」期のカリフォルニアはアメリカではなかった

California Clipper 500.jpg
By - G.F. Nesbitt & Co., printer - http://content.cdlib.org/ark:/13030/tf1r29p10v/?layout=metadata, Public Domain, Link

ゴールド・ラッシュはアメリカ史の重要な出来事のひとつですが、実はもともとカリフォルニア周辺は「州」になっていませんでした。その当初はメキシコの一部のような扱いで、スペイン統治の影響も。そのため英語を話さない人がたくさん住んでいました。

スペインと争っていたメキシコの一部であったカリフォルニア

カリフォルニアはメキシコの「アルタ・カリフォルニア」の一部でした。現在のカリフォルニア州、ネバダ州、ユタ州、アリゾナ州の北部、ワイオミング州の南西部を包括する広大なエリアのが、当時のアルタ・カリフォルニアです。

アルタ・カリフォルニアを舞台に争っていたのがスペインとメキシコ。そのため長いあいだ、スペイン領とメキシコ領を行ったり来たりしていました。たびたびメキシコが反乱を起こすことも。領有権がいまひとつはっきりしないエリアだったと言えます。

米墨戦争の末にアメリカの州に組み込まれる

1846年から1848年のあいだ、アメリカとメキシコが米墨戦争をくりひろげます。そのきっかけとなったのがテキサス共和国のメキシコからの独立宣言。テキサスを占領した不法移民によって宣言されました。

アメリカ軍はメキシコの影響力を排除するためにカリフォルニアを占拠します。衝突のピークが1846年。ゴールド・ラッシュの2年前です。たくさんの人がカリフォルニアに入り混乱状態となることで、アメリカへの併合が加速したという一面もあります。

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金の採掘技術を高めるきっかけになった「ゴールド・ラッシュ」

Gold seeking river operations California.jpg
By Harper's Magazine - Page 603, Public Domain, Link

これほど大掛かりな金の採掘ブームは世界でも例がありません。そのためゴールド・ラッシュが始まったころは、個人や家族が手作業で金を探しました。しかし、徐々に機械化がすすめられ、企業の参入を促していきます

ほそぼそと砂金採取をするが大部分が破産

カリフォルニアに集まった人たちは、金がありそうな川の周辺に住まいをかまえ、ろ過しながら砂金を探しました。金の採掘に関するルールがなかったので、あらゆるところで砂金をさがす作業が行われることに。

一獲千金を夢見て金を探す人々が集結するものの、ほとんどが失敗に終わり破産したと言われています。最初に金を発見したマーシャルは、土地を追い出されたあげく、再び金を探し始めますが失敗。破産するに至ります。

水圧採掘法の導入により企業が参戦

手作業で砂金を集めるのは限界がありました。そこで導入されたのが水圧採掘法。金を含む砂礫層に水を直接吹きかけるというものです。やわらかくなった金を含む砂礫層をあつめ、沈んだ金をまとめて採取しました。

この方法は金を採取するには効率的だったものの大量の土砂や有害物質を残すことに。これらは近くを流れる川に捨てられました。それにより川が汚染されて自然が破壊されることに。現在もそのエリアは植物が育たない不毛地帯のままとなっています。

「ゴールド・ラッシュ」により世界をつなぐ交通網が充実

East and West Shaking hands at the laying of last rail Union Pacific Railroad - Restoration.jpg
By Andrew J. Russell - Yale University Libraries, Public Domain, Link

カリフォルニアで金が見つかったニュースをうけて世界中から一獲千金を狙う人々が集まりました。そのとき大量の採掘者を運んだのが鉄道と船。ゴールド・ラッシュは、鉄道や船などの交通網の整備を推し進める役割も果たしました。

パナマとサンフランシスコの交通手段が確立

ゴールド・ラッシュの影響により人口が爆発的に増加したのがサンフランシコ。そこに乗客と物資を輸送するために大きな役割を担ったのがパナマ地峡鉄道です。パナマ運河が開通するまえのアメリカで、太平洋と大西洋をショートカットする主要手段となりました。

そのほか、パナマからサンフランシスコまで定期的に運行される蒸気船の数も増加。採掘を試みる人々、彼ら・彼女らの生活を支える物資、そして採掘された金が輸送されました。

金を掘り当てて得た資金をもとに大陸横断鉄道が完成

ネブラスカ州オマハとカリフォルニア州サクラメントをつなげた大陸横断鉄道が開通したのは1869年。最終的に完成するのはその6年後でした。そのため、鉄道自体はゴールド・ラッシュがひと段落ついたころに走行が開始されたことになります。

ただ、この広大なプロジェクトのための資金の一部は、ゴールドラッシュの金から補填されているという見方が。カリフォルニアで沸き起こった金の採掘ブームは、西海岸だけではなく東海岸の発展にも寄与することになりました。

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はげしい人種差別を引き起こした「ゴールド・ラッシュ」

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カリフォルニアに流入した大量の採掘者たちは、金鉱を求めて先住民の生活圏にも侵入します。それを拒んだ先住民を虐待する、殺害するなどの事件が頻発。さらに中国系や南アメリカからの移民を排除する動きが加速しはじめます。

金を採掘するために先住民の命を奪う

ゴールド・ラッシュが始まったとき、金は取り放題で、土地を所有する権利もはっきりしていませんでした。金の採掘が見込める場所を見つけては、だれの土地かを考えることなく採掘を開始。何も見つからないとそのまま放置して、次の場所に移動することが繰り返されました。

加えて急激な人口増加により食料不足に陥った採掘者たちは先住民が食べるものまでも強奪します。その結果、飢餓や病気で亡くなる先住民も。1845年の時点で15万人ほどいた先住民は、1870年になると3万人ほどまでに減少したと言われています。

移民を排除するために独自の法律や税制をつくる

金鉱がある可能性が高い土地を独り占めするため、国外からの移民を排除する動きが目立ち始めます。当時のカリフォルニアは無法地帯。採掘者たちは、土地の取得や金の採掘に関わるルールを独自に作りはじめました。

競争率を低くするために非白人に対するあからさまな差別主義がとられます。とくにターゲットとなったのが中国人と南アメリカからの移民。不利な法律や高い税金だけではなく、虐待など犯罪行為も行われました。

「ゴールド・ラッシュ」はアメリカン・ドリームのあり方を変えた

image by PIXTA / 46222201

アメリカには、古くから社会的・経済的成功への道筋の考え方が根付いていました。それがアメリカン・ドリームと呼ばれるものです。この伝統的な考え方は、ゴールド・ラッシュにより大きく変貌することになりました。

アメリカン・ドリームは地道に富を築くことの大切さを説く

伝統的なアメリカン・ドリームは、地道に努力を重ねることで、最終的に富を得ることができるというものです。開拓されていないアメリカ大陸に降り立ち、苦難の連続にさらされた入植者を鼓舞する意味合いも。報われないことがあっても、努力を重ねることで夢がかなうという、長期的なビジョンに基づく考え方でした。

地道な努力を良しとする考えは、北アメリカの13植民地がイギリスから独立するときに起草された「独立宣言」にも含まれます。新天地で成功することを夢みて努力した結果がアメリカの国家の誕生に他ならないと考えられました。アメリカン・ドリームは、その後の西部開拓にも大きく影響を与えることになります。

一獲千金を狙うのがカリフォルニア・ドリーム

しかしながら、カリフォルニアにおける金鉱の発見は、伝統的なアメリカン・ドリームを一転させます。地道な努力ではなく一発当てることで「夢」を実現する、短期決戦型の考え方に人々を向かわせました。努力ではなく博打に近い感覚だったと言えます。

このカリフォルニア・ドリームは、当時の人々にとってはアメリカン・ドリームの一部。アメリカ国家を形成する地道な努力のすえ、金鉱という巨大な富が出現したと捉えられました。金鉱がアメリカを瞬く間に変えると信じられていたのです。しかし、ほとんどの人はその夢をかなえることができませんでした。

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「ゴールド・ラッシュ」は負の影響も大きかったカリフォルニアの混乱期

ゴールド・ラッシュは、カリフォルニアをはじめアメリカ全土を成長させたことは事実です。金鉱発見は、学歴も手に職もない人々でも富が得られる可能性を感じさせるものでした。しかし、金鉱採掘ブームは短い期間で終わり、富を得た成功者はほとんどいませんでした。20世紀にはいると、ゴールド・ラッシュの狂乱を過去の反省材料とするような小説や映画が生まれます。アメリカの歴史に含まれる「負」の側面に注目すると、覇権国アメリカとは異なる一面が見えてくるはずです。

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アメリカの歴史世界史歴史独立後

アメリカの価値観を変えた「ゴールド・ラッシュ」!カリフォルニア・ドリームの行く末を元大学教員がわかりやすく解説

19世紀末のアメリカで沸き起こった現象が「ゴールド・ラッシュ」です。カリフォニアで金鉱が発見されたことで、一獲千金を狙う人々が世界中から殺到した。それによりアメリカ西海岸は急速に発展する。しかし「ゴールド・ラッシュ」は、先住民の生活圏を破壊するだけではなく、富に対する価値観を完全に変えてしまった。

それじゃ、「ゴールド・ラッシュ」が沸き起こった経緯とその影響について、世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していきます。

ライター/ひこすけ

文化系の授業を担当していた元大学教員。専門はアメリカ史・文化史。アメリカ形成過程を見ていくとき「ゴールド・ラッシュ」を避けて通ることはできない。「ゴールド・ラッシュ」はアメリカ西海岸を世界を代表する地域に押し上げた現象。そこで、「ゴールド・ラッシュ」をキーワードに、その経緯と影響を解説していく。

「ゴールド・ラッシュ」はアメリカの移民構成を刷新した

image by PIXTA / 28926602

カリフォルニアを舞台に金をめぐって白熱したゴールド・ラッシュ。金鉱を掘り当てたら巨額の富を得られると、アメリカ国内のみならず南アメリカ、ヨーロッパ、アジアから採掘を狙う人々が入国しました。

1848年の金鉱発見をきっかけに火がつく

はじめてカリフォルニアで金鉱をみつけたのがジェームズ・ウィルソン・マーシャル。工場の水を排出するために溝を掘っていたところ、純度の高い金を見つけました。それが1848年の1月24日です。

アメリカ国内にいた人々がカリフォルニアに向かったピークが1849年。金を掘り当てるために西へ向かう人々は「フォーティナイナーズ」と総称されました。その1年だけで8万人の人々がカリフォルニア入りしたと言われています。

世界中から一獲千金を狙った人々が殺到

当時のカリフォルニアはほとんど開拓されていない状態。たくさんの採掘者が来ても、彼ら・彼女らが生活するための基本的なライフラインはありませんでした。また、急激な人口増加により深刻な食料不足に陥って物価が高騰します。

また、老人や子供を含む家族で移住する人も多かったゴールド・ラッシュ。カリフォルニアに到着するまえに事故、病気、飢餓などで亡くなる人も多かったようです。カリフォルニアは命を危険にさらしてまで一獲千金を狙う人々で熱気を帯びていきました。

「ゴールド・ラッシュ」期のカリフォルニアはアメリカではなかった

California Clipper 500.jpg
By – G.F. Nesbitt & Co., printer – http://content.cdlib.org/ark:/13030/tf1r29p10v/?layout=metadata, Public Domain, Link

ゴールド・ラッシュはアメリカ史の重要な出来事のひとつですが、実はもともとカリフォルニア周辺は「州」になっていませんでした。その当初はメキシコの一部のような扱いで、スペイン統治の影響も。そのため英語を話さない人がたくさん住んでいました。

スペインと争っていたメキシコの一部であったカリフォルニア

カリフォルニアはメキシコの「アルタ・カリフォルニア」の一部でした。現在のカリフォルニア州、ネバダ州、ユタ州、アリゾナ州の北部、ワイオミング州の南西部を包括する広大なエリアのが、当時のアルタ・カリフォルニアです。

アルタ・カリフォルニアを舞台に争っていたのがスペインとメキシコ。そのため長いあいだ、スペイン領とメキシコ領を行ったり来たりしていました。たびたびメキシコが反乱を起こすことも。領有権がいまひとつはっきりしないエリアだったと言えます。

米墨戦争の末にアメリカの州に組み込まれる

1846年から1848年のあいだ、アメリカとメキシコが米墨戦争をくりひろげます。そのきっかけとなったのがテキサス共和国のメキシコからの独立宣言。テキサスを占領した不法移民によって宣言されました。

アメリカ軍はメキシコの影響力を排除するためにカリフォルニアを占拠します。衝突のピークが1846年。ゴールド・ラッシュの2年前です。たくさんの人がカリフォルニアに入り混乱状態となることで、アメリカへの併合が加速したという一面もあります。

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