不満1. 領事裁判権の取り決め
そもそも、日米修好通商条約の締結はなぜ日本にとって問題だったのでしょうか。その理由は簡単で、条約の内容が日本にとって不利なものだったからです。このため、日米修好通商条約は不平等条約とされ、だからこそ無勅許で条約に調印した幕府や井伊直弼が批判されたのです。
そこで、条約の内容について少し見てみましょう。まず「さらなる港の開港」で、現在の下田と箱館に加えて神奈川、長崎、新潟、兵庫、江戸、大阪の港が開港することになりました。これは、今後他国が日本と貿易するための準備に等しいものでしょう。
次に「領事裁判権の取り決め」、これは日本で犯罪を犯した外国人を法律で裁く際、日本ではなくその外国人の国で裁くというものです。これは日本にとって不満であり、なぜなら日本で重罪を犯しても大した罰を受けずにすんでしまう可能性があるからですね。
不満2. 関税自主権の放棄
「関税自主権の放棄」、これも日本にとって不満でしょう。関税自主権というのは、物を輸入する時につけられる関税の税率を決める権利です。関税自主権の放棄により、他国の商品を日本が輸入して売る場合、その商品に対する関税額を日本で決めることができなくなります。
そうするとどうなるか?……簡単に言えば、他国の製品が日本のものより安い値段で入ってくるようになり、日本の製品が売れなくなってしまうのです。このため、関税自主権の放棄は日本の産業の衰退を招く恐れがあり、それ以前に売る側の稼ぎにも影響してしまうでしょう。
こうした点から、日米修好通商条約は日本に不利で不平等な条約とされています。日米修好通商条約の締結後、日本は外国・外国人に対して、またこの不平等条約をこともあろうに無勅許で条約に調印した井伊直弼をはじめとする幕府に対して不満が高まっていきました。
安政の大獄の発生
不平等な日米修好通商条約の締結は、当時の日本からすれば外国や外国人を嫌う充分な理由になりました。また孝明天皇も外国を嫌う攘夷の思想を持っていたことから、世間では幕府ではなく天皇が政治を行って排外するべきという尊王攘夷の思想が生まれます。
イコールそれは反幕府とも受け取れる思想であり、同時に無勅許で条約に調印した幕府に対する批判でもありました。この状況に危機感を持った井伊直弼は無理やりな弾圧で攘夷派の者達を黙らせようと判断、これが1858年から行われた安政の大獄です。
井伊直弼は尊王攘夷派を次々と捉えて処罰、西郷隆盛、一橋慶喜(後の徳川慶喜)、吉田松陰らも逮捕され、吉田松陰に至っては老中の暗殺計画が発覚したため処刑されました。こうして、井伊直弼は弾圧によって荒れる尊王攘夷派を抑えようとしましたが、それが自身の命取りにもなってしまうのでした。
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桜田門外の変の発生
安政の大獄によって、確かに尊王攘夷派は井伊直弼や幕府を怖れたことでしょう。しかしそれ以上に不満が高まり、密かに井伊直弼の暗殺が企てられるようになります。幕府はその情報を掴むものの当の井伊直弼は深刻に考えず、そのためとうとう事件が起こりました。
1860年、江戸城桜田門外にて水戸藩を脱藩した者達が井伊直弼を襲撃したのです。桜田門外で起こった事件からこれを桜田門外の変と呼び、この事件で井伊直弼は殺害され、1858年から続いていた安政の大獄は、主導者の死という思わぬ形で終わることになりました。
幕府の最高職である大老が、脱藩した浪士に暗殺されたことは世間に衝撃を与えるでしょう。幕府もそれを危惧して隠蔽しようとしますが、何しろ白昼の大名行列中に起こった事件だったため病死と公表するもののすぐにウソが発覚、井伊直弼が殺害された事実は日本中に広まってしまいました。
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攘夷の過激化と限界
安政の大獄が終わったことで尊王攘夷派は堂々と思想を広められるようになり、そのため一部では攘夷活動が過激化していきました。開国していたため既に日本には多くの外国人が訪れていましたが、過激な攘夷派はそんな外国人達を次々と攻撃します。
しかし、外国も日本人の攻撃に黙ってはおらず、1862年に生麦事件を起こした薩摩藩はイギリスと対立して翌年に薩英戦争が起こりました。また、外国船への砲撃を繰り返していた長州藩は1864年に下関戦争とも呼ばれる四国艦隊下関砲撃事件によって大敗してしまいます。
薩摩藩も長州藩も数多く存在する藩の中で力のある大きな藩でしたが、それでも戦いを通じて外国の軍事力の高さを思い知らされることになり、そのため攘夷が不可能であることを悟ったのです。それは、尊王攘夷の思想に限界を感じた瞬間でした。
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