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「西部開拓時代」に名をあげたアウトロー系ガンマン!歴史的背景と共に元大学教員がわかりやすく解説

よぉ、桜木建二だ。アメリカの19世紀の歴史の中心となるのが「西部開拓時代」。ヨーロッパから入植した人々が、新天地をもとめて西方に移動する現象のことを指す。この時期、フロンティアの先は先住民の居住地であるものの、開拓者にとっては無法地帯。そのためアウトローが集まりたびたび銃撃戦が繰り広げられていた。

それじゃ、日本史に詳しいライターひこすけと一緒に「西部開拓時代」に名をあげたアウトロー系ガンマンについて解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

ライター/ひこすけ

文化系の授業を担当していた元大学教員。専門はアメリカ史・文化史。アメリカ形成過程を見ていくとき「西部開拓時代」を避けて通ることはできない。「西部開拓時代」は無法地帯における諍いが勃発していた時期。そこで、「西部開拓時代」をキーワードに、名をあげたガンマン&アウトローについて解説していく。

「西部開拓時代」のガンマンはふたつの立場がある

image by PIXTA / 49422207

南北戦争期から19世紀末までの北アメリカの開拓期間を「西部開拓時代」と総称。この時期は、未開拓の地における利益をめぐり様々な抗争が繰り広げられました。そこで登場したのが銃の熟練者であるガンマンです。

保安官やカウボーイなど合法的なガンマン

西部開拓時代の北アメリカの大部分は無法地帯。犯罪者も多く集まりました。そこで大きな役割を果たしたのが保安官です。保安官は銃に熟練したガンマンという顔も持っていました。

また、牛を中継地点まで輸送するカウボーイもガンマン。輸送の途中に牛を狙った強盗と戦うため、銃の扱いに慣れた男性たちが重宝されていました。

犯罪を繰り返すアウトロー系のガンマン

ガンマンの大部分は犯罪歴のある人々。窃盗、強盗、殺人などを繰り返していました。故郷で犯罪を犯したすえに西部に漂着。一獲千金をねらって強盗団を組むというケースも珍しいことではありませんでした。

アウトロー系のガンマンは、多くの場合、開拓地を恐怖に陥れる存在でした。しかしなかには、その巧みな銃使いなどから英雄視され、小説や映画のヒーローとして愛される者も。また保安官や市長になるガンマンもいました。

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アウトロー系のガンマンが活躍の場を広げたのは、西部の開拓地がなんでもありの無法地帯だったから。19世紀末になるとガンマンをヒーローのように見立てたダイムノベル(三文小説)が大流行したそうだ。犯罪者ではあるものの徐々に英雄化されていく不思議な存在だな。

「西部開拓時代」の伝説のガンマンといえばビリー・ザ・キッド

西部開拓時代を代表するガンマンがビリー・ザ・キッド。のちに彼を「弱い者を助ける義賊」として描く映画が流行したことから、今でも愛されているガンマンのひとりです。

10代前半でアウトローになったニューヨーカー

ビリー・ザ・キッドが生まれたのはニューヨーク。その後、ニューメキシコで育ちます。12歳のときに母親を侮辱した男性を殺害。アウトローの道を歩みはじめます。その後、アリゾナ、テキサス、メキシコ国境にて、牛泥棒や強盗、殺人などの罪を重ねていくことに。

ニューメキシコにて商店の用心棒となったビリー・ザ・キッドは、ライバルのグループとテリトリー争いを開始。大規模な抗争のすえ保安官パット・ギャレットに逮捕されます。しかし脱走することに成功し、有名なガンマンのひとりとなりました。

ニューメキシコ暗殺されるも真相は不明

1881年、ニューメキシコ州にてビリー・ザ・キッドはパット・ギャレットにより射殺。寝室から出たところ、銃をもたない丸腰の状態で撃たれたと言われています(パット・ギャレットはそれを否定)。

しかし、ビリー・ザ・キッドが死んだ状況には不自然な点が多く、実は生き延びていたという説もあります。彼のお墓が存在しますが、それはガンマンとしての功績をたたえるもの。石碑には「21人を殺した。少年悪漢王。彼は彼らしく生きて死んだ」と刻まれました。

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