

それじゃ、日本史に詳しいライターひこすけと一緒に「西部開拓時代」に名をあげたアウトロー系ガンマンについて解説していくぞ。
- 「西部開拓時代」のガンマンはふたつの立場がある
- 保安官やカウボーイなど合法的なガンマン
- 犯罪を繰り返すアウトロー系のガンマン
- 「西部開拓時代」の伝説のガンマンといえばビリー・ザ・キッド
- 10代前半でアウトローになったニューヨーカー
- ニューメキシコ暗殺されるも真相は不明
- 列車強盗グループをとりまとめたブッチ・キャシディ
- 牧場を経営しながら犯罪を重ねる
- 晩年はアルゼンチンやボリビアで強盗活動
- 賭博場を経営したベン・トンプソンは保安官になる
- 南北戦争従軍からメキシコ・マクシミリアンの軍隊へ
- テキサスの保安官に抜擢されるも殺人罪にて起訴
- カスター将軍のもとで働いたカラミティ・ジェーン
- アメリカ西部で生き残るためにガンマンになる
- 軍隊を離れたあとはショー・ビジネスの世界に
- 先住民族のアウトローと共に名をはせたのがベル・スター
- 先住民系アウトローの夫と共に悪事に手を染めていく
- 3回目の結婚は先住民族の保留地を所有するため
- ハンサムで支持率が高かったヘンリー・プランマー
- ゴールドラッシュに沸くカリフォルニア成功して市長に就任
- 殺人事件を起こすものの市民の嘆願により保釈
- 「西部開拓時代」は何でもありの時代だった
この記事の目次

解説/桜木建二
「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

ライター/ひこすけ
文化系の授業を担当していた元大学教員。専門はアメリカ史・文化史。アメリカ形成過程を見ていくとき「西部開拓時代」を避けて通ることはできない。「西部開拓時代」は無法地帯における諍いが勃発していた時期。そこで、「西部開拓時代」をキーワードに、名をあげたガンマン&アウトローについて解説していく。
「西部開拓時代」のガンマンはふたつの立場がある

南北戦争期から19世紀末までの北アメリカの開拓期間を「西部開拓時代」と総称。この時期は、未開拓の地における利益をめぐり様々な抗争が繰り広げられました。そこで登場したのが銃の熟練者であるガンマンです。
保安官やカウボーイなど合法的なガンマン
西部開拓時代の北アメリカの大部分は無法地帯。犯罪者も多く集まりました。そこで大きな役割を果たしたのが保安官です。保安官は銃に熟練したガンマンという顔も持っていました。
また、牛を中継地点まで輸送するカウボーイもガンマン。輸送の途中に牛を狙った強盗と戦うため、銃の扱いに慣れた男性たちが重宝されていました。
犯罪を繰り返すアウトロー系のガンマン
ガンマンの大部分は犯罪歴のある人々。窃盗、強盗、殺人などを繰り返していました。故郷で犯罪を犯したすえに西部に漂着。一獲千金をねらって強盗団を組むというケースも珍しいことではありませんでした。
アウトロー系のガンマンは、多くの場合、開拓地を恐怖に陥れる存在でした。しかしなかには、その巧みな銃使いなどから英雄視され、小説や映画のヒーローとして愛される者も。また保安官や市長になるガンマンもいました。

アウトロー系のガンマンが活躍の場を広げたのは、西部の開拓地がなんでもありの無法地帯だったから。19世紀末になるとガンマンをヒーローのように見立てたダイムノベル(三文小説)が大流行したそうだ。犯罪者ではあるものの徐々に英雄化されていく不思議な存在だな。
「西部開拓時代」の伝説のガンマンといえばビリー・ザ・キッド
By Unknown – kagin.com, via https://www.theguardian.com/us-news/2015/oct/13/billy-the-kid-croquet-junk-shop-two-dollars, Public Domain, Link
西部開拓時代を代表するガンマンがビリー・ザ・キッド。のちに彼を「弱い者を助ける義賊」として描く映画が流行したことから、今でも愛されているガンマンのひとりです。
10代前半でアウトローになったニューヨーカー
ビリー・ザ・キッドが生まれたのはニューヨーク。その後、ニューメキシコで育ちます。12歳のときに母親を侮辱した男性を殺害。アウトローの道を歩みはじめます。その後、アリゾナ、テキサス、メキシコ国境にて、牛泥棒や強盗、殺人などの罪を重ねていくことに。
ニューメキシコにて商店の用心棒となったビリー・ザ・キッドは、ライバルのグループとテリトリー争いを開始。大規模な抗争のすえ保安官パット・ギャレットに逮捕されます。しかし脱走することに成功し、有名なガンマンのひとりとなりました。
ニューメキシコ暗殺されるも真相は不明
1881年、ニューメキシコ州にてビリー・ザ・キッドはパット・ギャレットにより射殺。寝室から出たところ、銃をもたない丸腰の状態で撃たれたと言われています(パット・ギャレットはそれを否定)。
しかし、ビリー・ザ・キッドが死んだ状況には不自然な点が多く、実は生き延びていたという説もあります。彼のお墓が存在しますが、それはガンマンとしての功績をたたえるもの。石碑には「21人を殺した。少年悪漢王。彼は彼らしく生きて死んだ」と刻まれました。
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