そのへんに昔から興味を持っていたというあんじぇりかと一緒に解説していきます。
- 1-1、本名はグリゴリー・エフィモヴィチ・ラスプーチン
- 1-2、子供時代のラスプーチン
- 1-3、ラスプーチンは19歳で結婚、そしてお告げを聞いて巡礼の旅に
- 1-4、ラスプーチンは青年期より「鞭身派」を信仰
- 1-5、ラスプーチンは30歳で、聖人(スターレツ)に
- 2-1、ラスプーチン、ぺテルスブルグへ
- 2-2、血友病を患っていた皇太子アレクセイ
- 2-3、ラスプーチン、アレクサンドラ皇后の信頼を勝ち取る
- 2-4、ラスプーチン、ペテルブルグで寵児に
- 2-5、ラスプーチン、政治にも介入
- 2-6、ラスプーチンとアレクサンドラ皇后
- 2-7、反ラスプーチン派のラスプーチン評
- 3、ラスプーチン、暗殺される
- 4、ラスプーチンの予言
- 「神の人」と言われほんとうに人々を癒したのか、暗殺の真相まで謎の残る怪僧
この記事の目次
ライター/あんじぇりか
子供の頃から歴史の本や伝記ばかり読みあさり、なかでも女性史と外国人から見た日本にことのほか興味を持っている。昔からロマノフ家の最後について調べるのが大好きで、ネット検索で系図をたどって確認も。グレゴリー・ラスプーチンについて昔読んだ本の数々を引っ張り出しネットで調べまくって、5分でわかるようにまとめた。
1-1、本名はグリゴリー・エフィモヴィチ・ラスプーチン
グレゴリー・ラスプーチンは、1869年1月21日にシベリアのトボリスク県ポクロフスコエ村で農民の子として誕生。ロシア名のファーストネームの後に付くのは父称と言い、父の名をあらわしているので、ラスプーチンの場合は、父の名がエフィムということになります。ラスプーチンは、12歳頃に兄と妹が、そして母も亡くなって父と2人の暮らしになったそう。
尚、ラスプーチンという姓には三叉路と意味があり、そういう場所に住んでいたということ。
1-2、子供時代のラスプーチン
ロシアの農村部では、「学校は人間をふしだらにして、真の信仰から遠ざける」という考え方があり、教育が重要視されていなかったので、読み書きができなくても普通のことでした。
「怪僧ラスプーチン」マッシモ・グリランディ著によれば、ラスプーチンは子供の頃から馬と話が出来るとか、直感で馬泥棒を当てるという子供で、シベリアの冷たい川でおぼれて(兄は死亡)肺炎になった後、聖母マリア(きれいな奥さん)が見えたなどと言い出すようになったとか。
また、ロシアには昔から日本で言えば托鉢僧のような、聖人(スターレツ)と呼ばれる放浪する修行僧がいました。彼らは各地を巡礼して歩き一宿一飯を乞い、代わりに説話や予言をしたり、不思議な力で病を癒すことも(もちろん中には単なる浮浪者や詐欺師も)。ラスプーチンは村にこういう修業僧が来ると話を聞きたがり、彼らに憧れていたということです。
1-3、ラスプーチンは19歳で結婚、そしてお告げを聞いて巡礼の旅に
1887年に、19歳のラスプーチンはポクロフスコ近くの修道院に参加して、そこで会った2歳年上の女性プラスコヴィア・フョードロヴナ・ドゥブロヴィナと結婚。
1892年、ラスプーチンは「聖母マリアが何かを伝えようとしていた、天のお告げだ」と言い出して、ギリシャを目指す巡礼の旅に出、聖地を訪れたということ。巡礼から戻っときには別人のように容貌が変わっていて、ヒーリングや予知能力、透視といった特殊能力を身につけていたのでした。そして家に礼拝堂を作り、病人を癒したり説話をしたりすることで、多数の人が集まってきたということです。
1-4、ラスプーチンは青年期より「鞭身派」を信仰
「鞭身派」は神の許しを得続けるためには罪を自ら犯す必要があるという教義を説いている、いわゆる異端とされている宗派でした。(罪を犯す=淫楽に溺れる)ラスプーチン自身の宗教的理論というのは、「人間は誰もがキリストであり、お互いに愛し合わねばならない。神が男性、肉体的欲望その他のものをつくられた。この欲望を満たす事がどうして罪を認められようか」という、まさかの「性的欲望」を正当化した理論だったわけです。
人間、普通に生きていても小さな嘘をついたりごまかしとか、何かしら罪を犯しているので、それについて神様に許しを乞い、悔い改めて襟を正して生きるのが信仰深い人の姿なのですが、わざわざモーゼの十戒にもある罪を犯して神様の許しを得るって、どうみてもおかしい宗派ですよね。
1-5、ラスプーチンは30歳で、聖人(スターレツ)に
ラスプーチンは、1903年に再び村を離れて数か月の巡礼の旅に出かけましたが、そのときにキエフのペチェールシク大修道院へ、そしてカザンでは司教や上流階級の人々に会って注目を集めたということ。この年はペテルブルグ建都200年で記念行事があったのですが、皇帝夫妻がサーロフ修道院に巡礼に出かけたとき、「長く待ち望んでいるロシア皇帝の後継者の誕生は、1年とかからないだろう」と翌年の皇太子アレクセイの誕生を予言した聖人(スターレツ)が、ラスプーチンだったと言う説も。
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