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なぜカトリック信者「ルイ13世」はプロテスタントの味方に?三十年戦争の舞台裏を歴女が解説!

よぉ、桜木建二だ。今回はルイ13世について紹介していくぞ。ルイ13世はブルボン王朝の君主で、父アンリ4世が亡くなった後に王位に就いた人物だ。

じゃあここからはブルボン家に詳しい歴女のまぁこと一緒に解説してくからな。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

totocco0630

ライター/まぁこ

ヨーロッパ史が好きなアラサー女子。ヨーロッパの絵画も好きで、関連した本を読み漁り、歴女ライフを満喫中。ここ最近はブルボン家に関する本を愛読中!そんなまぁこがフランス絶頂期の礎を築いたルイ13世について解説する。

ルイ13世とは?

image by iStockphoto

ルイ13世をご存知でしょうか。彼はフランス絶頂期の基礎を築いたブルボン朝2代目の王です。彼は宰相リシュリューを登用し、王権強化に努めました。また彼の息子は、太陽王として有名なルイ14世。今回はそんな王権強化を図ったルイ13世の生涯を解説していきたいと思います。

1-1 わずか9歳で王となったルイ

Louis XIII Richelieu devant La Rochelle.jpg
By 不明, Ecole française du xviie siècle不明, パブリック・ドメイン, Link

ルイ13世はわずか9歳で即位しました。これは父アンリ4世が暗殺されたため。ルイ13世が幼かったので、母のマリー・ド・メディシスが摂政となりました。

実権を握った彼女はイタリアから下級貴族のコンチーニを呼び、彼を重用しました。これに対してフランス国内ではイタリア人に国が乗っ取られるのではないかという声が上がる事態に。マリーは反プロテスタント政策や宿敵であるハプスブルク家との婚姻を結びました。夫アンリ4世が自身の信仰をくるくると変えたりナントの王令を出すなどして尽力した宗教に関する政策をマリーは無視したのです。この反プロテスタント政策によって国内は再び不安定な状態となることに。

1-2 息子ルイに追放された母マリー

ルイ13世が成人してからもマリーは摂政として政治を行います。ルイはそんな母に対して次第に不満が募り、反乱を起こしました。これによってコンチーニを暗殺し、母マリーはブロワ城に追放。その後、許されてパリへ戻ることができました。

一度息子ルイから追放されたマリー。再度戻ることを許されたマリーは自身がどれほどフランスに貢献したのかを示すため行動します。なんとルーベンスに自身のこれまでの人生を連作「マリー・ド・メディシスの生涯」を描かせたのです。その数20。かなりの大作ですよね。絵画では、マリーが女神に扮し彼女の生涯での重要なシーンを劇的にかつ、過剰ともいえる美化がされています。連作の「和解」では息子ルイとマリーがローマ神話のゼウスとヘラに扮して描かれていますが、実際にこの2人の仲を取り持ったのは宰相リシュリュー

1-3 うぬぼれ屋マリー

Peter Paul Rubens 049.jpg
By ピーテル・パウル・ルーベンス – The Yorck Project (2002年) 10.000 Meisterwerke der Malerei (DVD-ROM), distributed by DIRECTMEDIA Publishing GmbH. ISBN: 3936122202., パブリック・ドメイン, Link

多くのマリーの連作を描いたルーベンス。特にマリーの生涯にとって重要なこの絵を見ていきましょう。

この絵は「サン・ドニ聖堂におけるマリー・ド・メディシスの戴冠式」です。夫のアンリ4世がパリを留守にするため、統治権をマリーが委譲されている場面。マリーが手を合わせて、冠が被せられるのを待っている瞬間が描かれていますね。マリーの人生にとってこの場面は最も輝かしい時。本来ならばマリーではなく神格化されるべきアンリ4世がマリーの奥に小さく描かれています。また左側に立って見つめている婦人は、アンリの前妻マルゴです。前妻をわざわざ登場させて自分の優位を示そうとするところやアンリの功績をたたえるのではなく自分の連作を依頼するところに、彼女のうぬぼれがよく表れています。ここまで自分を自画自賛している様子は少し滑稽ですね。

ところでなんとなくこの絵と同じような構図を目にしたという方もいるでしょう。そう、「ナポレオンの戴冠式」と同じ構図ですよね。これは作者ダヴィッドがルーベンスのこの絵をヒントにあの名画を描いたのです。

1-4 マリー、再び追放

母マリーを許したルイでしたが、またも母との確執が。マリーが懲りずに政治について口出ししてきたのです。しかもマリーは恩人のリシュリューを失脚させようと企んでいました。これによってルイはマリーを2度目の追放に。今回は誰も2人を仲裁しようとはしませんでした。こうして母マリーはコンピエーニュ城へ軟禁されることに。マリーは半年後に城を抜け出しますが、その後はパリに戻ることはなく、11年もの亡命生活の後亡くなりました。

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