アメリカの歴史世界史歴史独立後

「クー・クラックス・クラン KKK」の白人至上主義とは?公民権運動の歴史と共に元大学教員がわかりやすく解説

指導者ネイサン・ベッドフォード・フォレストの脱退と組織の脆弱化

指導者であったネイサン・ベッドフォード・フォレストは、1867年に開催された大規模あ大会でグランド・ウィザードの称号を得ます。これは実質的にKKKのトップとなること。この時期にKKKの勢いはピークに達するに至りました。

しかし、フォレスト自身は過激化するKKKの傾向に疑問を持つように。資質がある黒人は社会進出することを認めるようになります。最終的にフォレストはKKKの解散を宣言。フォレスト抜きでKKKは継続しますが、勢いを失い自然消滅するに至ります。

no-img2″>
 <figcaption class=桜木建二

奴隷解放により力を失った南部の人々は、解放された元黒人奴隷に報復されるのではないかと恐れた。その反動としてKKKが生まれたと言える。しかし現実には法的に人種差別は続いた。そうした安心感からKKKは活動する意義を失っていったと言える。

20世紀初頭に公民権運動の萌芽が見られる

南北戦争後に奴隷解放が行われたものの、黒人を取り巻く環境は向上しませんでした。とはいえ、優秀な人を経済支援する白人もおり、そこから地位向上運動のリーダーとなるアフリカ系の知識人が出現します。

手に職を持つことの大切さを説いたブッカー・T・ワシントン

ブッカー・T・ワシントンはアフリカ系の教育学者。奴隷という立場でしたが南北戦争後に開放、それから学問を道を深めていきます。白人の富裕層の支援を受ける機会があったことから、元奴隷の地位を向上させるために「技能」を身に着けることの重要性を説きました。

彼によると、家を建てる技能を持つことで白人社会との接触が生まれます。その技能が優れていれば有益な存在として評価。それにより白人社会のなかで地位が得られるという考えでした。そして、アフリカ系の職業訓練学校の校長として自身の理念を実行に移していきます。

黒人の組織化を目指したW・E・B・デュボイス

ブッカー・T・ワシントンは白人迎合主義であると批判する立場も出現。黒人のアイデンティティを確立することを訴えたのがW・E・B・デュボイスです。彼は、アフリカ系アメリカ人の運動家と位置づけられますが、厳密にはハイチ系アメリカ人でした。

W・E・B・デュボイスは、黒人は「アメリカ」と「アフリカ」の狭間にある存在と主張。この「二重性」こそがアフリカ系アメリカ人の本質であると考えました。彼は全米黒人地位向上協会を創立すると共に、アフリカルーツの人々の連携をとなえ、世界中で講演活動を行いました。

no-img2″>
 <figcaption class=桜木建二

ブッカー・T・ワシントンとW・E・B・デュボイスは、アフリカ系アメリカ人が「アメリカ」と「アフリカ」のどちらに身を置くか、対照的な考えを持っていた。デュボイスはハーバード大学で博士号を取得、社会学者として多くの功績をのこす。しかし最後はアメリカ国籍を捨ててガーナに帰化したという。

第一次世界大戦は「クー・クラックス・クラン KKK」を愛国団体に変える

Birth-of-a-nation-klansmen-1140x688.jpg
By FransuraciOwn work, CC BY-SA 4.0, Link

第一次世界大戦が勃発すると、アフリカ系アメリカ人が従軍することになります。そこから「アメリカ国民」としての貢献が指摘されるように。その反動としてKKKは排他色を強め、愛国的な団体として存在感を回復させます

\次のページで「「クー・クラックス・クラン KKK」の後ろ盾をなる政治家も出現」を解説!/

次のページを読む
1 2 3 4
Share: