
それじゃ、「クー・クラックス・クラン KKK」の思想や活動、同時に展開されたアフリカ系アメリカ人の公民権運動の流れについて、世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していきます。
- 「クー・クラックス・クラン KKK」とはどのような組織?
- 奴隷制度の影響が色濃いアメリカ南部で組織化
- 白人至上主義にもとづく独自の経典と儀式をもつ秘密結社
- 「クー・クラックス・クラン KKK」の第1次ブームが沈静化した理由は?
- 南部では「ジム・クロウ法」が制定される
- 指導者ネイサン・ベッドフォード・フォレストの脱退と組織の脆弱化
- 20世紀初頭に公民権運動の萌芽が見られる
- 手に職を持つことの大切さを説いたブッカー・T・ワシントン
- 黒人の組織化を目指したW・E・B・デュボイス
- 第一次世界大戦は「クー・クラックス・クラン KKK」を愛国団体に変える
- 「クー・クラックス・クラン KKK」の後ろ盾をなる政治家も出現
- D・W・グリフィスの「国民の創生」は「クー・クラックス・クラン KKK」を英雄化
- 低迷と分裂を繰り返す「クー・クラックス・クラン KKK」
- 指導者の性犯罪により信頼を失う
- 政治家との癒着も露呈することに
- キング牧師の登場と公民権運動の加速
- バスボイコット運動からワシントン大行進まで
- ジョン・F・ケネディ政権による人種隔離法の撤廃
- 「クー・クラックス・クラン KKK」の思想は過去のものではない
この記事の目次

ライター/ひこすけ
文化系の授業を担当していた元大学教員。専門はアメリカ史・文化史。アメリカの歴史を見ていくとき人種差別の問題を避けて通ることはできない。「クー・クラックス・クラン KKK」は、奴隷制度から派生する人種差別の歴史と密接に結びついている。そこで、「クー・クラックス・クラン KKK」をキーワードに、アメリカの人種差別の歴史と公民権運動の高まりの流れをまとめてみた。
「クー・クラックス・クラン KKK」とはどのような組織?

日本で耳にすることがほとんどないKKK。南北戦争後、解放された元黒人奴隷に対する人種差別を展開した組織です。とくに20世紀転換期に大きな影響を持ちましたが、現在はアメリカの「負の歴史」のような位置づけとなっています。
奴隷制度の影響が色濃いアメリカ南部で組織化
奴隷制度をめぐりアメリカは2つに分裂した状態となりました。それが1861年から1865年にかけて勃発した南北戦争です。南部に住む人々は広大なプランテーションを維持するために奴隷制度を支持。しかし敗北したことで奴隷は解放されました。
そのような時期につくられたのがKKK。南北戦争を戦った元軍人を中心に組織されました。敗北後の南部の人々は、プランテーションを維持できずに経済的困窮。このような状況の反動から元奴隷の黒人を敵視するようになり、リンチ活動が展開されます。
白人至上主義にもとづく独自の経典と儀式をもつ秘密結社
KKKを特徴づけるのが白い装束。もともとカーテンをかぶったことが起源のようです。メンバーが増えるにしたがい、独自の儀礼や位階を整えて、秘密結社としての規模を拡大させていきます。
KKKの思想は排他的なもの。過剰なまでの白人至上主義がとられ、とくに「北方人種(ノルディック)」の優位性を主張します。一方、元奴隷である黒人は白人の「純血」をおびやかす存在であるとみなして徹底的に排除しました。
「クー・クラックス・クラン KKK」の第1次ブームが沈静化した理由は?
南北戦争における北部の立場は奴隷解放であるため、人種差別は完全に撤廃されたと思われがち。しかし実際は、アメリカ南部を中心に人種差別的な隔離政策が継続。KKKが戦う意味が徐々になくなっていきます。
南部では「ジム・クロウ法」が制定される
南北戦争のあといちど人種隔離政策は廃止されます。しかし北部側である連邦政府の干渉は縮小。アメリカ南部では隔離政策を復活させる州がそくぞくと出てきます。それが「ジム・クロウ法」と呼ばれるものでした。
「ジム・クロウ法」とは公共の場を黒人が使うことを禁止するもの。レストランや公共の乗り物などが「白人専用」と「黒人専用」と区別されました。つまり人種隔離が合法。結果、黒人は脅威ではなくなり、KKKが排除する理由がなくなっていきます。
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