今は「国際連合」という組織があるけど、第二次世界大戦の前にあったのは「国際連盟」です。どっちも世界の平和を守るためにできた国際組織なんですね。ほとんど同じ名前だけど、国際連盟については知らないことも多い。国際連合との違いにも注目しつつ見てみよう。

世界史に詳しいライター万嶋せらと一緒に解説していきます。

ライター/万嶋せら

会社員を経て、現在はイギリスで大学院に在籍中のライター。歴史が好きで関連書籍をよく読み、中でも近代以降の歴史と古典文学系が得意。専門として学んでいるグローバリゼーションの知識を活かして、今回は「国際連盟」について解説する。

国際連盟の基礎知識

Flag of the League of Nations (1939–1941).svg
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国際連盟とはどんな組織だった?

「国際連盟」とは、第一次世界大戦後に発足した組織です。世界で初めて、集団安全保障の原則に基づいて国際平和の維持を目指した国際機関でした。英語ではLeague of Nationsと呼ばれています。

国際連盟の本部はスイスのジュネーヴにあり、合計すると60か国を超える国が加盟していました。しかし、残念ながら第二次世界大戦の勃発を防ぐことはできませんでした。組織にはいくつか問題があり、世界の安定を目指す国際機関としてうまく機能しなかったと言われています。大規模な戦争を引き起こしてしまった反省を活かして第二次世界大戦後に新たに国際連合が設立されたことを受け、国際連盟は解散。平和を維持する役割は、国際連合に受け継がれました。

国際連盟が設立された経緯は?

国際連盟の設立が提唱されたのは、第一次世界大戦中のことでした。提唱者はアメリカのウッドロウ・ウィルソン大統領です。1918年、ウィルソン大統領は議会での演説で「十四か条の平和原則」を発表し、戦後に目指すべき国際秩序の構想を提案しました。この平和原則の第14条で、国際平和機構の設立がうたわれたのです。

ウィルソン大統領が提唱した国際平和機構の構想は、イギリスなどの連合国とドイツとの間で結ばれた第一次世界大戦の講和条約であるヴェルサイユ条約の第1条に記載されました。また、連合国がドイツ以外の敗戦国と結んだサン=ジェルマン条約やヌイイ条約などにも、同じ条項が記載されます。

これらの条約を根拠として、国際連盟の設立が実現したのです。ヴェルサイユ条約が発効した1920年1月10日、国際連盟も正式に発足しました。

国際連盟の加盟国

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加盟国数はどれくらいだった?

国際連盟の原加盟国は42か国で、その活動期間に合計で63か国が加盟しています。ただし、1930年代を中心に加盟国の離脱が相次いだことから、設立から解散まで加盟し続けていた国は25か国しかありません。

国際連合と比較してみましょう。国際連合の発足時の加盟国は、51か国。そして現在は193か国が加盟しています。国際連盟の加盟国は、国際連合の加盟国よりもずいぶん少ない印象を受けますね。なぜでしょうか?理由は、「途中で脱退する国があったこと」や「そもそも加盟を避ける国が多かったこと」だけではありません。当時、アジアやアフリカの多くの国が列強の植民地とされていました。そのため、独立国として国際連盟に加盟できた国自体が今よりも少なかったのです。

理事会の常任理事国

国際連盟の設立当初に理事会の常任理事国を務めていたのは、イギリス・フランス・日本・イタリアの4か国でした。常任理事国にはほかの加盟国よりも大きな影響力がありました。ただし、拒否権を持つ現在の国際連合の常任理事国とは異なり、国際連盟では総会における全会一致での意思決定が原則です。そのため、国際連合の常任理事国ほどの絶対的な権力があったというわけではありません。

第一次世界大戦の敗戦国であるドイツは、戦後すぐには国際連盟への加盟は認められませんでした。数年後、1925年に締結されたロカルノ条約に基づいて加盟が承認されます。ドイツは1926年の加盟と同時に常任理事国の地位を得ました。

大国のひとつであったソ連は、資本主義国家を中心に構成された組織に反発して当初は加盟を否定します。しかし1930年代にドイツでナチスが台頭したことなどの国際情勢の変化を受け、連合国と接近するように。1933年に日本とドイツが相次いで国際連盟を離脱したのち、ソ連は1934年に国際連盟に加盟し、同時に常任理事国の地位を得ました。なお、ソ連は1939年のフィンランドへの侵攻が戦略行為とみなされ、国際連盟から除名されています。

当初の常任理事国が4か国だったほか、あとから加盟したドイツとソ連も常任理事国となったので、国際連盟の常任理事国を務めた国は合計で6か国です。しかし日本やドイツとソ連の加盟期間がすれ違っていたため、6か国が同時に常任理事国を務めることはありませんでした。

国際連合の問題点

Woodrow Wilson (Nobel 1919).jpg
By Unknown, printed by A. B. Lagrelius & Westphal, Stockholm - http://www.nobelprize.org/nobel_prizes/peace/laureates/1919/, パブリック・ドメイン, Link

大国アメリカの不参加

アメリカのウィルソン大統領は、国際連盟の構想を提唱してその設立に尽力した人物の一人です。しかし、アメリカは国際連盟に加盟していません。国際連盟の加盟について、アメリカ国内では支持が得られなかったからです。

第一次世界大戦への参戦で一時はその立場を転換していたものの、アメリカは伝統的に「孤立主義(モンロー主義)」の外交戦略をとっていました。保守派の人々を中心に、基本的には「アメリカはヨーロッパの争いとは一線を画すべき」という意見だったのです。そのため、戦後の国際協調を目指すウィルソン大統領に対して、議会の保守派が反発。上院でヴェルサイユ条約が否決され、国際連盟への加盟も実現しませんでした。もし加盟していたらアメリカも常任理事国を務めるはずでしたが、国際連盟が解散に至るまで、アメリカが加盟国となったことは一度もありません。

大国のアメリカやソ連が設立当初から加盟に消極的だったことに加え、主義が対立し日本やドイツも途中で脱退。国際連盟には大国の不在が目立ちました。これは、国際連盟が国際社会における意思決定機関としてうまく機能しなかった理由の一つと考えられています。

理想主義すぎた全会一致の原則

国際連盟には、大国の不在のほかにも重大な問題点がありました。国際連盟の意思決定には、原則として「総会における加盟国の全会一致」が必要とされていたことです。

置かれた状況の異なる国々の意見を一致させるのは非常に困難で、決定のスピードも遅くなってしまいます。もちろん国際連盟が問題解決に機能した例もありましたが、国際政治における重要問題はほとんど解決することができませんでした。

この反省を活かし、現在の国際連合では全会一致の原則は採用されていません。安全保障理事会における採決は、15の理事国のうち常任理事国5か国を含む9か国以上の賛成をもって可決とされます。もちろん国際連合のシステムについても、大国一致の原則として5か国の常任理事国に拒否権が与えられていることについて様々な問題や批判があるのは事実。たとえば、5大国の利権が絡む国際問題はなかなか解決しません。しかし政治機構としては、国際連盟における全会一致の原則の方がより非現実的だったことは確かでしょう。

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国際連盟と日本の関わり

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国際連盟での日本の活躍

日本は国際連盟の原加盟国であり、理事会の常任理事国としても一定の影響力を持っていました。地理的な距離があることから、ヨーロッパの問題に対して中立的な介入も可能で、そうした立ち位置も期待されていたようです。

国際連盟設立に際し、日本は人種的差別の撤廃を明記することを提案しています。このような場で人種平等が主張されたのは、歴史上初めてのことでした。日本は当時、非白人が治める唯一の列強です。人種的差別撤廃案の提出には、自国が平等な利益を得られるようにという意図があったことは事実でしょう。しかしこの案は、欧米諸国において人種差別に苦しむ人々から大きな支持を得ました。採決ではイギリスやアメリカの反対により残念ながら可決に至らなかったものの、過半数の国の支持を得たとの記録が残っています。

なお旧五千円札の肖像だった新渡戸稲造は、国際連盟の設立当初の事務次長の一人でした。『武士道』の著者としてよく知られていますが、国際連盟においても重要な地位で活躍していたのですね。

日本の国際連盟脱退

日本は1933年に国際連盟からの脱退を決めます。これは、満州事変の影響でした。

1932年の満州国建国に抗議して、中華民国が国際連盟に提訴。国際連盟が満州に派遣したリットン調査団は、満州国の建国を認めないという結論を出しました。審議の結果、これは42票の賛成のもと可決されます。タイが棄権したものの、反対したのは日本のみという圧倒的な敗北でした。

リットン調査団は日本の立場にも配慮し、満州における日本の特殊権益を認める旨を表明していました。しかし日本政府はこの結果に納得せず、全権を担っていた松岡洋右が国際連盟からの脱退を表明。そのまま会場を後にしたのです。その後、日本は国際連盟の離脱を正式に通告。猶予期間を経て、1935年3月に脱退するに至りました。

ただし正式な脱退に至るまでの猶予期間中、日本政府は分担金の支払いを続けています。また、国際連盟の関連活動へも協力は続けていました。いよいよ戦争の気配が濃厚となるまで、国際社会での一定の役割は果たしていたのです。

時代は変わり、国際連合へ

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世界大戦の被害を再び繰り返さないようにと、国際協調を目指して設立された国際連盟。しかし、結果として国際連盟はさらなる世界大戦を防ぐことができませんでした。1930年代後半、第二次世界大戦が勃発。世界はより厳しい惨劇に巻き込まれていくのです。

実は戦争中も、規模を縮小しながら総会が継続されていました。それと同時に新しい国際平和機構の構想も議論されていて、これが国際連合へとつながっていきます。第二次世界大戦終戦後の1945年10月、戦争を引き起こした国際連盟の反省を踏まえつつ51か国を原加盟国として国際連合が設立。国際連盟と国際連合は異なる機関であり、国際連盟がそのまま名称だけを変えて国際連合になったというわけではありません。

国際連合の設立からほどなくして、国際連盟の最後の総会が開かれました。1946年4月のことでした。このとき、国際連盟の解散が決議されたのです。資産やその機能の一部が国際連合に引き継がれ、国際連盟はその役割を終えました。

国際連盟から国際連合へ、平和な世の中への努力は続く

第一次世界大戦が終わった後、もっと協調した国際社会を築くことができるようにとの期待を込めて設立されたのが国際連盟です。しかし、国際連盟は第二次世界大戦の勃発を防ぐことができず、世界は再び悲惨な戦争に巻き込まれていきました。平和を希求する初めての国際機関として、国際連盟にはまだまだ成熟していなかった部分がたくさんあったのです。大国を中心とした世界の国々が、力を武器に、自国の利益ばかりを求めて動いていたこともまた事実でしょう。

第二次世界大戦後、国際連盟は解散されました。今では新たに国際連合が活動を行っていますね。国際連合にも様々な問題点はありますが、国際連盟の反省を取り入れて改善された面も数多くあります。それは、秩序ある国際社会を願う人々の努力の結果かもしれません。

国際連盟の創始者の1人であるイギリスの政治家ロバート・セシルは、最後の総会に出席してこんな言葉を残しました。「国際連盟は終わった。国際連合よ、長寿であれ」。戦争を引き起こすのは人間ですが、安定した世界を求めるのも同じ人間なのでしょうね。

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「国際連盟」の歴史的意義、2つの問題点とは?国際情勢を学ぶ大学院生ライターがわかりやすく解説

今は「国際連合」という組織があるけど、第二次世界大戦の前にあったのは「国際連盟」です。どっちも世界の平和を守るためにできた国際組織なんですね。ほとんど同じ名前だけど、国際連盟については知らないことも多い。国際連合との違いにも注目しつつ見てみよう。

世界史に詳しいライター万嶋せらと一緒に解説していきます。

ライター/万嶋せら

会社員を経て、現在はイギリスで大学院に在籍中のライター。歴史が好きで関連書籍をよく読み、中でも近代以降の歴史と古典文学系が得意。専門として学んでいるグローバリゼーションの知識を活かして、今回は「国際連盟」について解説する。

国際連盟の基礎知識

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国際連盟とはどんな組織だった?

「国際連盟」とは、第一次世界大戦後に発足した組織です。世界で初めて、集団安全保障の原則に基づいて国際平和の維持を目指した国際機関でした。英語ではLeague of Nationsと呼ばれています。

国際連盟の本部はスイスのジュネーヴにあり、合計すると60か国を超える国が加盟していました。しかし、残念ながら第二次世界大戦の勃発を防ぐことはできませんでした。組織にはいくつか問題があり、世界の安定を目指す国際機関としてうまく機能しなかったと言われています。大規模な戦争を引き起こしてしまった反省を活かして第二次世界大戦後に新たに国際連合が設立されたことを受け、国際連盟は解散。平和を維持する役割は、国際連合に受け継がれました。

国際連盟が設立された経緯は?

国際連盟の設立が提唱されたのは、第一次世界大戦中のことでした。提唱者はアメリカのウッドロウ・ウィルソン大統領です。1918年、ウィルソン大統領は議会での演説で「十四か条の平和原則」を発表し、戦後に目指すべき国際秩序の構想を提案しました。この平和原則の第14条で、国際平和機構の設立がうたわれたのです。

ウィルソン大統領が提唱した国際平和機構の構想は、イギリスなどの連合国とドイツとの間で結ばれた第一次世界大戦の講和条約であるヴェルサイユ条約の第1条に記載されました。また、連合国がドイツ以外の敗戦国と結んだサン=ジェルマン条約やヌイイ条約などにも、同じ条項が記載されます。

これらの条約を根拠として、国際連盟の設立が実現したのです。ヴェルサイユ条約が発効した1920年1月10日、国際連盟も正式に発足しました。

国際連盟の加盟国

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