
簡単でわかりやすい「岡崎久彦」!著書や陸奥宗光との関係・集団的自衛権も歴史好きライターが詳しく解説
2.現役外交官による『国家と情報』
1980(昭和55)年に出版された『国家と情報-日本の外交戦略を求めて』も、やはり現役外交官としての立場から書かれた著書です。出版の翌年である1981(昭和56)年に、サントリー学芸賞の社会・風俗部門を受賞しました。受賞当時の岡崎久彦は、駐米日本国大使館公使でした。
作品には、作者と思われる15歳の少年が登場し、その後外交官となった少年を取り巻く当時の諸外国の様子が描かれています。自叙伝的な作品ではありますが、幻想的なものを書いたわけではありません。日本の外交は何を元にどう展開すべきかを、極めて現実的に説こうとしているのです。
3.20万部のベストセラー『戦略的思考とは何か』
1983(昭和58)年に出版され、20万部を売り上げるベストセラーとなったのが、『戦略的思考とは何か』です。当時の岡崎久彦は現実的に外務省の調査企画部長で、その翌年の1984(昭和59)年から外務省の情報調査局長となりました。つまり、その当時の日本の外交を最も熟知した者が書いた著書といえるでしょう。
岡崎は『戦略的思考とは何か』で、地理と歴史を入り口にして、日本が置かれた戦略的環境をつまびらかにしていきます。その上で、平和を望むのであれば国家戦略を軽んじてはならないと憂いているのです。情報分析を重視して、現実的な戦後日本の国家戦略を説いています。
祖父のいとこが陸奥宗光
陸奥宗光(むつむねみつ)は、明治時代に活躍した政治家です。日本史の教科書には必ず陸奥宗光についての記述がありますので、具体的に何をしたかは思い出せなくても、名前だけは聞いた覚えがある人は多いでしょう。そんな人物が、岡崎久彦と深い関係があるのです。
実は、岡崎久彦の祖父である岡崎邦輔は、陸奥宗光のいとこにあたります。岡崎邦輔の母親が、陸奥宗光の母親と姉妹なのだそうです。1868(明治元)年の明治維新以降、陸奥は新政府に仕えて、廃藩置県や地租改正などに尽力しました。しかし、陸奥は1877(明治10)年の西南戦争に加担したとして、投獄されたのです。
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陸奥宗光は不平等条約の改正に尽力した
1883(明治16)年に陸奥宗光が釈放されてからは、ヨーロッパに留学して西洋社会を学びます。その後は、岡崎久彦と同じく外務省に入省。駐米公使時代には、メキシコとの間で対等条約を締結させます。さらに、政治の世界に転じると、第1次山縣有朋内閣と第1次松方正義内閣で農商務大臣に就任しました。
1892(明治25)年に、第2次伊藤博文内閣の外務大臣として入閣。日英通商航海条約の締結など、次々と不平等条約を撤廃させました。さらに、日清戦争の講和会議では全権委員となり、1895(明治28)年調印の下関条約では手腕を発揮します。陸奥宗光の外交手法は、日本の外交史に確かな足跡を残しました。
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