
簡単でわかりやすい「岡崎久彦」!著書や陸奥宗光との関係・集団的自衛権も歴史好きライターが詳しく解説

そのあらましを、岡崎久彦と陸奥宗光の関係などとともに、日本史に詳しいライターのタケルと一緒に解説していくぞ。
- 岡崎久彦の生涯はどのようなものだった?
- 初代外務省情報調査局長にしてベストセラー作家
- 晩年は安倍晋三のブレーンに
- 岡崎久彦の代表的な3つの著書は?
- 1.長坂覚名義で書かれた『隣の国で考えたこと』
- 2.現役外交官による『国家と情報』
- 3.20万部のベストセラー『戦略的思考とは何か』
- 岡崎久彦と陸奥宗光との関係は?
- 祖父のいとこが陸奥宗光
- 陸奥宗光は不平等条約の改正に尽力した
- 岡崎久彦の祖父である岡崎邦輔とは?
- 異名は「政界の策士」
- 岡崎邦輔は原敬を支え続けた
- 岡崎久彦と集団的自衛権との関わりは?
- 安倍内閣の有識者委員に就任
- きっかけはイラン・イラク戦争
- 集団的自衛権は何が問題?
- 岡崎久彦は自らの体験が元で集団的自衛権を提言した
この記事の目次

解説/桜木建二
「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

ライター/タケル
資格取得マニアで、士業だけでなく介護職員初任者研修なども受講した経験あり。現在は幅広い知識を駆使してwebライターとして活動中。
初代外務省情報調査局長にしてベストセラー作家
岡崎久彦(おかざきひさひこ)は、1930(昭和5)年に中国の大連で生まれました。その後、日本の旧制高等学校を経て、東京大学法学部に入学します。しかし、そこからの経歴が並外れているのです。岡崎は大学在学中に外交官試験に合格すると、大学を中退して外務省に入省しました。
入省後にケンブリッジ大学で修士課程を修了すると、大使館勤務などを歴任して、1984(昭和59)年より初代の情報調査局長に就任。情報部門の重要ポストを務めました。さらに、現役の外交官として数々の著書を出版。その内容が認められて、数々の賞を受賞しています。
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晩年は安倍晋三のブレーンに
岡崎久彦は、1984(昭和59)年より駐サウジアラビア日本国特命大使、1988(昭和63)年からは駐タイ日本国特命大使となりました。外務省の要職を数々務めると、1992(平成4)年に退官。2002(平成14)年に認定特定非営利活動法人岡崎研究所を設立し、所長となります。
退官後の岡崎は、保守で現実派の外交評論家として活動しました。晩年は安倍晋三元首相のブレーンとなり、集団的自衛権を提言して、閣議決定への道を開いたのです。2012(平成24)年秋の叙勲で瑞宝章受章を受章し、2014(平成26)年に死去。享年84でした。
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岡崎久彦は東大卒の外交官で、外交評論家として多くの著書を残した。そんなインテリといえる彼が気功にハマっていたと聞けば、意外に感じる人は多いだろう。『なぜ気功は効くのか』など、気功にまつわる著書を残しているぞ。ひょっとしたら、岡崎が中国生まれだったというのが影響しているかもしれないな。
1.長坂覚名義で書かれた『隣の国で考えたこと』
『隣の国で考えたこと』は、1977(昭和52)年に出版されました。出版当時のペンネームでは「長坂覚」でした。その後、本名の岡崎久彦名義でも出版されています。その内容が高く評価され、1978(昭和53)年の日本エッセイストクラブ賞を受賞しました。
題名にある「隣の国」とは、韓国のことです。その作品を書いた当時の岡崎は、フィリピンやフランスなどの大使館に勤務して、そのキャリアの中にはもちろん韓国も入っていました。この著書では、日本と韓国の関係を、古代からさかのぼって歴史を振り返っています。悪化と良化を繰り返す日韓関係を改めて考えるには、適した1冊といえるでしょう。
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