なぜ政友会は二大政党制を維持できなかった?その理由を他の二大政党制時代とともに行政書士試験合格ライターが簡単にわかりやすく解説
民主党と自由民主党による二大政党制
2003(平成15)年から2012(平成24)年にかけては、自由民主党と民主党による二大政党制ともいえる時期でした。2003年の衆議院総選挙では、比例区で民主党が獲得議席数で自民党を上回りました。2004(平成16)年の参議院選挙でも、総獲得議席数で民主党が自民党を上回ったのです。
2009(平成21)年の衆議院総選挙で民主党が圧勝して、戦後初めて野党が単独過半数を獲得。ついに民主党は、政権交代を実現させたのです。しかし、民主党の政権運営は評価されず、2012(平成24)年の総選挙では自民党が圧勝しました。民主党は分裂を繰り返した後に消滅し、それ以降は自民1強といえる体制が続いています。
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自由民主党と日本社会党による55年体制
1955(昭和30)年から1993(平成5)年までの、日本における政治体制を「55年体制」と呼びます。1955年、自由党と日本民主党が保守合同して自由民主党を結成。左右両派に分裂していた日本社会党も、統一を果たしました。それ以降は、自民党が第1党、社会党が第2党となる時代が続きます。
ただし、そのような状態を「二大政党制」ではなく、「1と1/2政党制」と呼ぶ人もいました。なぜなら、社会党は1度も衆議院で過半数の議席を獲得したことがなく、常に野党第1党であり続けたからです。社会党の議席数は自民党の半分ほどにしかならない時が多かったので、「自民党の2分の1」と言われていました。
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政友会をはじめ日本では二大政党制が定着していない
政友会は多くの総理大臣を輩出し、一時は二大政党制を実現させました。しかし、日本が戦争への道を選んだため、二大政党制と政友会はその役目を終えたのです。戦後になってからも、日本が二大政党制になりかけた時期はありましたが、完全な形では実現していません。2つの政党が並び立つ体制が整わないと、これからも日本では二大政党制が定着しないでしょう。