ドイツヨーロッパの歴史ローマ帝国世界史

ドイツ的な建築の集大成「ケルン大聖堂」歴史的背景や世界遺産としての今を元大学教員がわかりやすく解説

ケルン大聖堂の建築様式

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天に向かってそびえたつケルン大聖堂の見どころのひとつが外観の迫力。当時のドイツの国力を外部にアピールするかのようにさまざまな彫刻が施されています。建物の大きさという点ではスペインのサグラダファミリアを思い浮かべる方も多いでしょう。しかし視覚的な迫力はケルン大聖堂のほうが圧倒する印象があります。

ケルン大聖堂を彩る聖人の彫刻

ケルン大聖堂の入口に該当するのは西側の表玄関にある三つの扉。そこには聖書に登場する聖人たちの彫刻が施されています。西側の彫刻を製作したのはペーター・フックス。1878年から1881年のあいだにかけて製作されました。それ以外にも大聖堂のさまざまな箇所に設置されている彫刻の数々を、フックスはすべて自分の工房で作りました。

ケルン大聖堂の内部にもまた聖書をモチーフとする彫刻が数多く置かれています。壁際にはいくつかの祭壇があるのですが、なかでも目を引くのは「キリストの埋葬像」でしょう。苦悩に満ちた表情を浮かべるキリストの姿が特徴的。まわりには彼の死を見守るように聖人たちの彫刻が置かれています。

ケルン大聖堂のシンボルである「東方三博士の聖遺物」

ケルン大聖堂の始まりとも密接に関係がある宝物が「東方三博士の聖遺物」です。これが設置されているのは聖堂の中心にある祭壇の奥。そこには高祭壇があり、聖遺物はその後ろに置かれた黄金のなかで保管されてきました。金色の棺の歴史は古く、1190年から1220年にかけて製作されたと伝えられています。

黄金の棺にもまた細やかな彫刻が施されました。棺の側面にはキリストの使徒、預言者、賢者などの彫刻。正面には赤ちゃんのころのイエスを抱く聖母マリアと、祈りをささげる賢者の姿が彫られました。昔は巡礼者はこの棺のなかをのぞき込むことができましたが、今は遠くから眺めるだけとなっています。

ケルン大聖堂がある地域の歴史と今

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ケルン大聖堂は世界遺産にも登録されている歴史ある大聖堂ですが、それがあるケルンという地も歴史的に重要な場所です。ケルンのはじまりは1世紀。古代ローマの植民都市のひとつして創建されたのが由来です。東西のヨーロッパの中間地点にあることもあり、東西を結ぶ要所として発展してきました。

ハンザ同盟のメンバーとして活躍したケルン

ケルンはハンザ同盟が組まれたときに主要メンバーとして大きな影響力を誇りました。ハンザ同盟とは中世の後期に組まれた都市同盟。北海そしてバルト海の沿岸エリアで展開されている貿易をとりまとめ、支配することを目的としたものです。

メンバーとなった都市は、それぞれを干渉することはなく、ゆるやかに協力関係を築いてきました。その趣旨は経済的な協力ですが、ときには軍事的さらには政治的につながることもありました。同盟の意思は定期的に開催される会議で決定。全会一致を原則としていました。ただそこまで厳密にルールは守られていなかったようです。

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