世界遺産にも指定されているケルン大聖堂。歴史的背景や保存をめぐる今を世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していきます。
ライター/ひこすけ
アメリカの歴史と文化を専門とする元大学教員。世界の建築物に興味があり気になることがあると調べている。今回はドイツのケルン大聖堂についてまとめてみた。
ケルン大聖堂とはどのような建築物なのか?
By Theodor Verhas – Udo Mainzer: Köln in historischen Ansichten. Wuppertal 1977, S. 71, Public Domain, Link
ケルン大聖堂はドイツのケルンにある大聖堂です。ゴシック様式の建築物としては世界最大の大きさを誇りますが最初から大きかったわけではありません。増築や改修などを重ねながら現在のように形作られていきました。現在は世界遺産として世界中の観光客を迎えながら、ローマ・カトリック教会のミサを行っています。
現在のケルン大聖堂は3代目
現在私たちが見ることができるケルン大聖堂は3代目です。初代のケルン大聖堂が完成したのは4世紀。ローマ帝国が各地に影響力を誇っていた時代です。大聖堂というと天上にそびえる高さが特徴的ですが、初代のケルン大聖堂は正方形でした。
2代目のケルン大聖堂が完成したのは818年のこと。東方三博士の聖遺物が置かれたこともあり、たくさんの巡礼者がケルンに集まりました。東方三博士とは、イエスが誕生したときに拝んだとされている人物で、マリアに乳香、没薬、黄金を捧げました。日本では東方の三賢人と呼ばれることもあります。
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1248年より3代目の建築が開始
2代目が火災で焼けてしまったため、3代目のケルン大聖堂が建造されはじめます。しかしながら完成まで多くの困難に見舞われました。そのひとつが16世紀の宗教改革。ルターにより聖職者の堕落が指摘されたことでローマ・カトリック教会に対する人々の不信感が高まり財政難に陥りました。
宗教改革の影響もありケルン大聖堂の建築は一時中断することになります。そのため長らくケルン大聖堂を特徴づける正面のファサードの塔はひとつのみという状態が続きました。工事の中断期間は2世紀以上におよび、19世紀に入ってから再開されます。
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この時期のドイツはイスラム教徒が北アフリカからヨーロッパに侵入してくる時代。国としての一体感を高めるために、カトリック教を布教する活動を積極的に支援していました。各地には豪族の私有地がひろがっており、それを教皇の管轄下に置いて教会の建設に利用したのです。
ケルン大聖堂のはじまりは小さな教会。知名度もありませんでした。自由都市の集まりという一面もあった当時のドイツ。キリスト教の信仰を国家の精神的な軸とするために、多額の資金を投じてあれだけの規模の聖堂をつくりあげたと言ってもいいでしょう。
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