ヴェルサイユ宮殿のことを知っているか?パリの南西にあるバロック建築で知られている豪華な宮殿です。フランス革命が勃発する前の歴代の国王たちが居住していた宮殿としても知られている。

ヴェルサイユ宮殿はどのような人物により建てられたのか、どのような建築様式が採用されているのか、世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していきます。

ライター/ひこすけ

アメリカの歴史と文化を専門とする元大学教員。世界の文化に関心があり、気になることがあると調べている。今回はフランスに行く機会があったら絶対に見てみたいヴェルサイユ宮殿についてまとめてみた。

ヴェルサイユ宮殿とはどのような宮殿?

A painting of the Palace and Versailles and its gardens as it appeared in 1668
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ヴェルサイユ宮殿があるのはパリから南西に20キロちょっとのところ。イヴリーヌ県の県庁所在地であるヴェルサイユにあります。フランス芸術の最高峰の建築物としてユネスコ世界遺産に登録。それによる知名度の高さから、たくさんの観光客が世界中から集まっています。

ルイ14世が建造した宮殿

ヴェルサイユ宮殿のルーツはルイ13世が使っていた狩猟の館と呼ばれる城館。それをルイ14世が増築して豪華絢爛な宮殿へと発展させていきました。国王が居住する宮殿は別にありましたが、1682年に正式に移動。代々の国王に継承され、フランス革命が勃発する前まで使用されていました。

ヴェルサイユ宮殿の基本はルイ14世の時代に形作られました。さらに代々の国王により増築されていきます。ブルボン王朝時代のあらゆる建築技術が凝縮され、フランスの歴史上もっとも豪華とされる宮殿となりました。フランス革命では王族の贅沢の象徴として否定的に見られました。

ヴェルサイユ宮殿の顔である庭園

ヴェルサイユ宮殿のなかでもとくに有名なものが庭園。当時の造園の名師として知られていたル・ノートルにより設計されたものです。植栽や池により幾何学的な模様を形作るフランス式庭園のモデルと言われるのがこの宮殿の庭園。その景色は小さな木々でデザインされた大広間のようです。

ヴェルサイユ宮殿の庭園は高く評価され、フランスのみならずイギリスでも採用されるようになりました。庭園のなかにはふたつの離宮が置かれています。そのひとつは、ルイ16世の妃であるマリー・アントワネットにプレゼントしたもの。牧歌的な雰囲気があることが特徴です。

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ヴェルサイユ宮殿の生みの親ルイ14世

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ルイ14世はブルボン朝の第3代のフランス国王。王朝の最盛期を築いたことから太陽王という異名も持っています。ルイ14世の影響力が一気に高まったのは1680年代のはじめころ。まさにその時期にルイ14世はヴェルサイユ宮殿の造営事業をスタートさせました。

自ら現場で指示を出すことも

財務総監のコルベールは、あまりにお金がかかる宮殿の構想にはいい顔をしていませんでした。それに対してルイ14世は宮殿の造営に熱中します。時間があるときは何度も現場に足を運び、自ら指示を出すこともありました。気に入らない箇所があれば納得するまで修正を繰り返しました。

ただ、これだけの規模の宮殿であったため、事故で亡くなる人夫は後を絶ちませんでした。工事が完了するたびに豪華な祝典を催すことでルイ14世の絶大な権力を貴族たちに誇示します。太陽王としての地位を確固たるものにするためにヴェルサイユ宮殿は大きな役割を果たしたのでしょう。

王朝の財政破綻を加速させたルイ14世

ルイ14世は長年にわたる戦争の戦費やヴェルサイユ宮殿の造営費用により、フランスの財政を破綻に導きます。赤字をまかなうためにルイ14世が行ったのが課税。度重なる重税によりフランスの民衆は疲弊していきます。このときからのフラストレーションが将来のフランス革命につながっていきました。

77歳のときにルイ14世は壊疽が進行したことにより亡くなります。そのとき息子に、自分の真似をしてたくさんの戦争をしてはいけないと諭したとのこと。ルイ14世が亡くなったときに民衆は喜び、葬列に向かって罵声を浴びせたとも言われています。

ヴェルサイユ宮殿におけるマリー・アントワネット

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ヴェルサイユ宮殿というとマリー・アントワネットのことを思い浮かべる人も多いでしょう。マリー・アントワネットはフランス国王ルイ16世の王妃。オーストリアの出身ではありますが、いわゆる政略結婚によりフランスに。ヴェルサイユ宮殿で贅をつくした生活を繰り広げます。民衆の強い反感を買ったこともありフランス革命では処刑されました。

マリー・アントワネットは公務にも取り組んでいた

マリー・アントワネットは宮殿のなかで贅沢を楽しんでいたと思われがちですが、政治や宗教行事に関わる公務にも取り組んでいました。公務の主な場となったのが王妃の居住エリアのなかにある貴族の控室です。スウェーデンの貴族であるアクセル・フォン・フェルセン伯爵と深い関係であることが宮廷で噂されましたが、その舞台となったのも王妃の居住エリアでしょう。

ルイ16世は王妃にトリアノンの敷地をプレゼント。それは王妃が初めて得た自分の土地でした。そこに王妃は大規模な庭園を造ります。これまでの伝統的なフランス式庭園を大々的にアレンジ。イギリス式そして中国式の庭園に作り変えました。マリー・アントワネットはこの庭園がある離宮を愛しており、晩年はそこにこもることが多かったそうです。

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専用の劇場も完備

マリー・アントワネットは演劇や音楽をこよなく愛していました。そのためヴェルサイユ宮殿のなかには王妃専用の劇場も用意されました。これは決して特殊なことではなく、この時代は演劇が大ブームだったこともあり、富裕層の多くは専用の劇場を保有していました。細やかな手入れが必要とされる空間ということもあり今は上演はされていません。

マリー・アントワネットの演劇熱はオーストリア時代に始まります。母親であるマリア・テレジアは家族が住む宮殿に子どもたちがダンスや芝居をするための劇場をつくっていました。王妃も少女のころ自らが舞台に立ってダンスや芝居を楽しんでいたのでしょう。

フランス革命のときのヴェルサイユ宮殿

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ヴェルサイユ宮殿はフランス革命を加速させたヴェルサイユ行進の舞台としても知られています。この事件が起こったのは1789年10月5日。王政に反対するパリの女性を中心とする人々がヴェルサイユ宮殿まで行進し、当時のフランス王国の国王であったルイ16世をパリに連行します。事件が起こった日付から十月事件と呼ばれることもありました。

物価の高騰により民衆の生活は困窮

フランスでは不作や政混乱により物価が高騰。人々の生活が困窮しているにも関わらず、ヴェルサイユ宮殿では華やかな宴が繰り広げられていました。そこで7000人もの女性たちがパンを求めてパリの広場に集結。ヴェルサイユ宮殿がある方に向かって歩き出しました。ヴェルサイユ宮殿の門の前に集まった人々の代表者がルイ16世と面会。国王は食料庫を解放することに同意しますが、人々はそれで納得しませんでした。

武装した一部の人々が宮殿のなかに乱入。混乱を収束させることができず、ルイ16世、マリー・アントワネット、子どもたちはパリに連行されます。それからしばらくはパリ1区にあるテュイルリー宮殿にて軟禁生活を送りました。国王一家は王妃の故郷であるがオーストリアに逃げようとします。しかしながらそれはあえなく失敗、パリへ送還されました。

ルイ16世と国王の家族たちの処刑

ルイ16世と家族たちはパリに軟禁されたあと、住まいであるヴェルサイユ宮殿に戻ることはありませんでした。国王裁判により死刑が宣告。現在のコンコルド広場にてギロチンで処刑されました。このとき使われたギロチンは奇しくもフランス革命の前にルイ16世が、自ら改良に携わったもの。苦しむことなく命を絶つ人道的な処刑器具として、工学の知識があるルイ16世により導入されたものです。

マリー・アントワネットもまた公費乱用などにより処刑が決定。夫のルイ16世と同じ広場のギロチンにて命が絶たれました。ルイ16世とマリー・アントワネットのあいだには4人の子どもがいましたが、天寿を全うしたのは長女マリー・テレーズのみ。各地を転々としたのち王政復古の機運が高まるとフランスに戻ります。そこでブルボン家の再興に力を注ぎました。しかしながらかつての栄光を取り戻すことはできず、亡くなるまで亡命生活が続きました。

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ヴェルサイユ条約の調印の場となったヴェルサイユ宮殿

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ヴェルサイユ宮殿に再びスポットが当たるのは第一次世界大戦後のこと。連合国とドイツ国の間で講和条約を締結する場として、ヴェルサイユ宮殿の鏡の間が選ばれました。鏡の間にある回廊にあるのが「平和の間」と「戦争の間」。戦争の終結を宣言する場として適切であると判断されたのでしょう。

ヴェルサイユ宮殿はドイツ帝国成立の場でもあった

第一次世界大戦より前にフランス第二帝政期に起こったのが普仏戦争。フランス帝国とプロイセン王国のあいだで諍いが起こり、それが発展して勃発した戦争です。1871年にパリに砲撃を開始したプロイセン。その最中、ヴェルサイユ宮殿の鏡の間にてヴィルヘルム1世をドイツ皇帝とする儀式が行われました。

ドイツ帝国が樹立されたのがまさにヴェルサイユ宮殿。鏡の間は宮廷人の出会いの場さらには要人を接待する場として使われてきました。また、プロイセン王国の初代の王であるフリードリヒ1世が、ルイ14世時代の豪華絢爛な文化や生活を愛していたことも、この宮殿が選ばれた要因かもしれません。

ヴェルサイユ宮殿における取り決め

ヴェルサイユ条約によりドイツの境界を規定。過去に得たさまざまな権益を放棄することが決まりました。連合国などに支払う多額の賠償金もまたヴェルサイユ条約によるものです。ドイツを弱体化させることが目的。そのためドイツの支払い能力をはるかに超える額となりました。財政圧迫はナチスの台頭を促す要因にもなります。

ドイツ側の代表として出席する予定であった外交官のウルリヒ・フォン・ブロックドルフ=ランツァウ伯爵は、ドイツに不利な条約に調印することに抵抗。代わりにヘルマン・ミュラー外相が調印しました。鏡の間の空間は平和の象徴として位置付けられましたが、条約の内容は第二次世界大戦の引き金を引いたという一面もあるでしょう。

ヴェルサイユ宮殿は世界の歴史を刻む空間

ヴェルサイユ宮殿は世界史に登場するさまざまな歴史的出来事の象徴的な場として登場します。フランス革命、ナポレオン戦争、第一次世界大戦など、世界の歴史の変化を見続けてきた宮殿と言ってもいいでしょう。今では宮殿の一部は開放されており、豪華絢爛な建築様式を楽しむことができます。機会があったらぜひ訪れてみたいところですね。

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世界の歴史の変化を見続けてきた「ヴェルサイユ宮殿」建てられた経緯や建築様式も元大学教員が簡単にわかりやすく解説

ヴェルサイユ宮殿のことを知っているか?パリの南西にあるバロック建築で知られている豪華な宮殿です。フランス革命が勃発する前の歴代の国王たちが居住していた宮殿としても知られている。

ヴェルサイユ宮殿はどのような人物により建てられたのか、どのような建築様式が採用されているのか、世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していきます。

ライター/ひこすけ

アメリカの歴史と文化を専門とする元大学教員。世界の文化に関心があり、気になることがあると調べている。今回はフランスに行く機会があったら絶対に見てみたいヴェルサイユ宮殿についてまとめてみた。

ヴェルサイユ宮殿とはどのような宮殿?

ヴェルサイユ宮殿があるのはパリから南西に20キロちょっとのところ。イヴリーヌ県の県庁所在地であるヴェルサイユにあります。フランス芸術の最高峰の建築物としてユネスコ世界遺産に登録。それによる知名度の高さから、たくさんの観光客が世界中から集まっています。

ルイ14世が建造した宮殿

ヴェルサイユ宮殿のルーツはルイ13世が使っていた狩猟の館と呼ばれる城館。それをルイ14世が増築して豪華絢爛な宮殿へと発展させていきました。国王が居住する宮殿は別にありましたが、1682年に正式に移動。代々の国王に継承され、フランス革命が勃発する前まで使用されていました。

ヴェルサイユ宮殿の基本はルイ14世の時代に形作られました。さらに代々の国王により増築されていきます。ブルボン王朝時代のあらゆる建築技術が凝縮され、フランスの歴史上もっとも豪華とされる宮殿となりました。フランス革命では王族の贅沢の象徴として否定的に見られました。

ヴェルサイユ宮殿の顔である庭園

ヴェルサイユ宮殿のなかでもとくに有名なものが庭園。当時の造園の名師として知られていたル・ノートルにより設計されたものです。植栽や池により幾何学的な模様を形作るフランス式庭園のモデルと言われるのがこの宮殿の庭園。その景色は小さな木々でデザインされた大広間のようです。

ヴェルサイユ宮殿の庭園は高く評価され、フランスのみならずイギリスでも採用されるようになりました。庭園のなかにはふたつの離宮が置かれています。そのひとつは、ルイ16世の妃であるマリー・アントワネットにプレゼントしたもの。牧歌的な雰囲気があることが特徴です。

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