なぜ戦後初の好景気は「神武景気」と名付けられた?「岩戸景気」「いざなぎ景気」も行政書士試験合格ライターが簡単にわかりやすく解説
神武景気といえば、戦後初めて日本が迎えた好景気です。しかし、なぜそんな名前になったのか、詳しく知らない人もいるのではないでしょうか。
「神武景気」という名前になった理由を、当時の内閣やキーワードとともに、日本史に詳しいライターのタケルと一緒に解説していきます。
- 神武景気の前の日本はどのような経済状況だった?
- 戦後インフレとドッジライン
- 朝鮮特需
- 神武景気を2つのキーワードとともに解説
- 1.「もはや戦後ではない」
- 2.「三種の神器」
- 神武景気の頃の内閣は?
- 神武景気の始まりは第5次吉田茂内閣が終わる間際
- 鳩山一郎内閣は神武景気の真っ只中だった
- 石橋湛山内閣から岸信介内閣へ
- 神武景気の後に何が起きた?
- なべ底不況
- 高度経済成長
- 神武景気以外に覚えておきたい日本の好景気は?
- 1.岩戸景気:「天の岩戸神話」が由来の好景気
- 2.いざなぎ景気:戦後最長の好景気
- 3.バブル景気:実体経済からかけ離れた泡のような好景気
- 神武景気を迎えた日本は高度経済成長を実現した
この記事の目次
ライター/タケル
資格取得マニアで、士業だけでなく介護職員初任者研修なども受講した経験あり。現在は幅広い知識を駆使してwebライターとして活動中。
戦後インフレとドッジライン
終戦直後の日本では、ハイパーインフレーションが発生していました。戦争に巨額の国家予算を投じていたのに加え、生産設備の焼失で国内の生産力が低下していたことなどが原因です。政府は新円切替などで対応しましたが、それでもインフレは収まりませんでした。
1949(昭和24)年、アメリカの銀行家だったジョゼフ・ドッジがGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の金融政策顧問に就任して、日本のインフレ対策に取り組みます。そして、総予算の均衡化・復興金融金庫の廃止・1ドル=360円の単一為替レート設定などが内容の、ドッジラインを策定しました。
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朝鮮特需
ドッジラインを反映させる形で、日本政府は戦後インフレの収束に努めました。その結果、ハイパーインフレは解消され、国家財政が健全化してます。ところが、国家予算の支出を大幅に減らしたことで、一転してデフレーションが発生。企業が相次いで倒産して、失業者が急増しました。
このデフレは、結果として朝鮮特需により解消されました。1950(昭和25)年に勃発した朝鮮戦争で、国連軍が日本に大量の物資やサービスを発注したことで、日本国内の産業を復興させるきっかけとなったのです。その後、日本の経済は徐々に拡大して、1954(昭和29)年から発生した神武景気に繋がっていきます。
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