簡単でわかりやすい「山縣有朋」出自や軍のトップになれた理由・内閣総理大臣になってからの業績も歴史好きライターが詳しく解説
竹橋騒動の発生
そうした、山縣のいわば「民権運動アレルギー」がもっともよく表れていたのが、竹橋騒動です。これは近衛兵たちの反乱事件で、西南戦争時の近衛砲兵隊に対する論功行賞の遅れと給与の引き下げが原因で発生したものですが、山縣はこの騒動の背後には、軍人たちへの民権論の浸透があるとにらんでいました。
そこで山縣が中心となって作られた軍人勅諭では、「兵力は国家を保護し国権を維持するのが役割であり、兵士は世論に惑わされず、政治にかかわらず、ただ一途に自分の本分の忠節を守れ。義は山嶽よりも重く死は鴻毛よりも軽いと思え(意訳)」と書き記しています。
山縣有朋の「軍事・政治」分離思想
ここまでで、山縣有朋がどのように明治政府の軍勢トップまで上り詰めたのか、そしてその思想信条はどのようなものだったのかを見てきました。次に、そんな「軍人政治家」の山縣はどんな施策を行ったのかを解説します。
最も特徴的で、後年まで大きく影響したのは、彼の「軍事・政治」の分離思想です。前項の竹橋騒動でも垣間見えましたが、彼は軍人は政治に関わるべきでなく、政治家は軍事に関わるべきでないと考えていました。ではその考えに基づき、彼はどのように動いたのでしょうか。
参謀本部の設置
彼はもともと軍事と政治を完全に分かつことを是としていました。特に、「政治が軍事に介入する」のを防ぐことについては徹底していたと言えます。
彼は、1878年に参謀本部を設置しました。これは政治が軍事に介入することを防ぐためで、参謀本部長は軍事に関して天皇をサポートする最高機関であり、陸軍卿や政府からも独立した存在として位置づけたのです。
独立された軍令権は、後に大日本帝国憲法第11条で、政府も議会も干与(関与)できない統帥大権として規定されました。こうして「政治家の軍事への介入」は厳しく戒められます。
「軍人」山縣有朋と政治との関わりは?
反対に「軍人が政治に介入する」ことについては、不徹底だったと言えるでしょう。山縣自身はけっこう政治に関わっています。彼は1882年に参事院議長になったのを皮切りに、その後も数年おきに行政上の重要ポストに就きました。それと同時に、現役の軍人として軍部の要職にもあったのです。
もちろん、軍人による政治への介入を放置していたわけではありません。1881年には、海陸軍刑律の廃止と陸軍刑法・海軍刑法の制定にあわせて、軍人が政治に関する事柄を申し立てたり・講談・論説・広告してはならず、これを破れば禁錮刑に処する、というルールを定めています。
しかし前述の通り、山縣のやり方は、こうしたルールの根底にある思想とは矛盾していました。その後も、軍人が文官の要職に就くというやり方は桂太郎にも引き継がれ、日本の政治で軍人政治家が続出したのはよく知られている通りです。
山縣有朋内閣の業績
ここまでで、明治政府における軍政のトップとしての山縣有朋の思想信条や業績について見てきました。しかし山縣についてよく理解するには、軍人としてだけではなく、政治家としての顔もよく知っておく必要があります。よって、次は彼の内閣総理大臣としての業績も見ていきましょう。彼は伊藤博文・黒田清隆に続く第三代内閣総理大臣も務めています。
地方自治制度の整備
彼は1889年に首相に就任しましたが(第一次山縣内閣)、その直後に行った最大の仕事の一つが「地方自治制度」の確立でした。
当時は江戸時代の地方行政が引き継がれており、国土はバラバラの状態でした。江戸時代の国土のうち四分の一は天領・旗本領・寺社領だった上に各藩の領地も散在しており、責任の所在も不明な状態で行政が行われているのが実情だったのです。
これを少しずつ整理して都道府県と市町村、それに「郡」に分類し、それぞれに近代的な議会を設けさせたのは山縣の業績だと言えるでしょう。
日本政治史上最大の派閥を形成
山縣有朋の派閥、すなわち「山縣閥」は日本政治史上最大規模の派閥でした。陸軍内の派閥からスタートして、その勢力は政界・官界・学界はもちろん、枢密院・貴族院・司法省にまで及んでいます。これは後年の吉田茂や田中角栄、竹下登の派閥をも遥かに凌駕する規模でした。
なぜ山縣閥がこれほどの規模になったのかは、本人の性格や人の使い方に理由がありました。山縣は、いわゆる「適材適所」で人を使うのが上手く、仕事ができないからと言って切り捨てる性格ではなかったのです。
これと正反対なのが伊藤博文で、伊藤は自分の才能に自信があったことから「人を上手に使う」という発想がそもそもありませんでした。無能な人はすぐに切り捨てる性格だったのです。よって対照的に「伊藤閥」は形成されませんでした。
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