簡単でわかりやすい!一橋慶喜と徳川慶喜の違いとは?歴代の徳川将軍も歴史好きライターが詳しく解説
徳川慶喜とは?
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徳川慶喜は1837年9月29日に徳川斉昭の子として江戸に生を受けました。幼名は七郎麻呂、元服後は徳川斉昭の1字を受けて松平昭致(あきむね)と名乗っていましたが、当時の将軍である徳川家慶から「慶」の1字をもらい慶喜と改名しました。徳川慶喜は最後の将軍として有名ですが、その原因となった大政奉還について解説していきたいと思います。
大政奉還により最後の将軍となった
大政奉還とは、政権を天皇に返すことを徳川幕府の将軍が朝廷に申し入れて認められた歴史的な出来事です。朝廷から征夷大将軍の役職を任命された幕府が朝廷から権力をあずかって政治をおこなうという仕組みが続いていましたが、政治の権力を朝廷に返したということですね。
1867年に二条城で大政奉還をおこなったのが徳川慶喜なんです。ちなみに大政奉還を徳川慶喜に提案したのは坂本龍馬ですね。大政奉還により徳川慶喜が最後の将軍となりました。
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