簡単に分かる「早稲田」と「慶応」の違い!私学の両雄は100年来のライバル!早稲田卒日本語教師が分かりやすく解説!
今回はそんな「早稲田」と「慶応」の違いを、学部と大学院修士課程で「早稲田」を卒業した”むかいひろき”と一緒に解説していきます。
ライター/むかいひろき
学部と大学院修士課程で「早稲田」を卒業した日本語教師。ライバルである「慶応」の友達も多かった。今回はそんな自身の経験を活かし、「早稲田」と「慶応」について解説していく。
「早稲田」と「慶応」の成り立ち
image by iStockphoto
「早稲田」も「慶応」も日本でとても長い歴史を誇る私立大学です。在籍している学生や卒業生にとってはそれぞれの大学の歴史は当たり前の知識かもしれませんが、そうでない人も多いのではないでしょうか。ということで、最初は両大学の成り立ちを見ていきましょう。
なお、今後この記事では、大学の正式名称を記す際は大学が定めた表記に従い「慶應義塾大学」のように旧字体の「應」の字を、略称の「慶応」で示す場合は新字体の「応」を使用します。
大隈重信が作った東京専門学校が母体の「早稲田」
早稲田大学は、1882年10月21日に大隈重信らが開校した「東京専門学校」が前身の私立大学です。創設者である大隈重信は明治維新の時に明治新政府で活躍した政治家でもあります。
大隈重信は明治政府で主に財政を担当し殖産興業政策を推進しましたが、1881年に政府内の対立が原因で辞職。その後は政党を結成し在野から活動を行いつつ、若者の教育にも取り組み始め、そこで開設されたのが「東京専門学校」です。
「東京専門学校」は1902年に「早稲田大学」と改称し、当時の新大学令に準拠した大学となりました。その後太平洋戦争の空襲で施設が大量に焼け落ちるなどといった困難を乗り越え、1949年以降は新制大学に準拠した「早稲田大学」として、現在までその歩みを進めています。
こちらの記事もおすすめ

早稲田大学の創立者!「大隈重信」を元塾講師が分かりやすく5分でわかりやすく解説
福沢諭吉が作った慶應義塾が母体の「慶応」
慶應義塾大学の歴史は早稲田大学よりも古く、1858年(安政5年)に開校した蘭学塾が起源となっています。この蘭学塾は1868年(慶応4年)に、当時の年号だった「慶応(旧字体は「應」)」を使用した「慶應義塾」に改称。
明治に入ってからは財政難で塾の解体の可能性まであったものの何とか持ち直し、1920年に当時の大学令に準拠した「慶應義塾大学」として新たに発足。文学、経済学、法学、医学の4学部から構成される私立大学初の総合大学となりました。
太平洋戦争を乗り越えた慶應義塾大学は、1949年に早稲田大学と同様に新制大学に準拠した「慶應義塾大学」に改組。現在に至ります。
こちらの記事もおすすめ

明治初期の啓蒙家で慶応義塾大学の創設者「福沢諭吉」について歴女がとことんわかりやすく解説
「早稲田」と「慶応」の違いとは…
image by iStockphoto
では、本題である「早稲田」と「慶応」の違いを考えていきましょう。まず違いとして、受験生が1番気になる偏差値を挙げる人がいるかもしれません。ただ、偏差値は毎年のように変動するもの。私が「早稲田」に入学した2014年は「慶応」のほうが全体的に偏差値が上でしたが、2023年9月現在では逆転しているようですね。よって、偏差値以外の面での違いを見ていきます。
\次のページで「偏差値は年によって変動、学部の数には違いが!」を解説!/
