文学のジャンルは非常に多岐に渡っている。小説、戯曲、随筆、紀行、日記、伝記、評論……。国によって日本文学やアメリカ文学といったように分けたり、古典や近代、現代という分け方もできるな。しかし文学には大別できるジャンルがあるんです。それが「純文学」と「大衆文学」の違いです。
今回はこの2ジャンルの違いについて、小説好きライターのおおつけと一緒に解説していきます。

ライター/おおつけ

現役システムエンジニア兼ライター。前職は貿易商社の営業マン。学生時代は小説サークルで短編小説を執筆していた。知らない言葉は徹底的に調べるクセがあり、独自の単語帳を作っている。日々たくわえた広い知識を、わかりやすく紹介していく。

純文学と大衆文学の違い

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文学と一口に言ってもそのジャンルはさまざま。書店や図書館に並ぶ作品も、多くのジャンルに分かれていますよね。しかしすべての文学は「純文学」と「大衆文学」に分けて考えることができるのです。ここではまず「純文学」と「大衆文学」の定義的な違いについて解説していきます。

純文学:芸術性が高い読み物

「純文学」とは芸術性が高い読み物のことです。芸術性が高いとはどういうことでしょうか。例えば美術館に展示される絵画や彫刻のすべてが意味のわかる作品ではありません。人によっては興味を持たなかったり、不快に感じる人もいるでしょう。

つまり見る人や読む人のことを考えるというよりも、自分の感性を優先した作品こそ芸術性が高いというわけです。その意味で「純文学」とは読者に媚こびず純粋な芸術をめざした文学作品であると定義できます。「純文学」は楽しむというより味わうという表現がふさわしいでしょう。

大衆文学:エンターテインメントとして読み物

「大衆文学」とはエンターテインメントとしての読み物です。エンターテインメントとは娯楽、すなわち映画やテレビ番組、ゲームセンターや遊園地などと同じカテゴリーということ。エンターテインメントに求められるのは楽しい、面白いという感情です。

つまり読む人のことを優先した、大衆性の高い作品が「大衆文学」。「大衆文学」は「純文学」と真逆で、楽しむという表現がふさわしいと言えます。

純文学と大衆文学の誕生

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「純文学」と「大衆文学」の定義的な違いについてはおわかりいただけたと思います。ここで気になってくるのが「純文学」と「大衆文学」という概念はいつ誕生したのかということですよね。ここではジャンルの確立、すなわち「純文学」と「大衆文学」の概念が成立するまでの歴史を解説していきます。

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明治~大正時代に誕生した

文学の隆盛には出版物の価格・流通的な手に入りやすさが必須条件です。その意味で日本は欧米列強を模倣し文明開化を遂げた明治時代以降に文学は流行しました。小説ブームと呼べる明治~大正時代に「純文学」と「大衆文学」の概念は成立したと言われています。

概念成立のきっかけ

「純文学」という概念は明治時代の作家である北村透谷によって「学問のための文章でなく美的形成に重点を置いた文学作品」と定義されました。

「大衆文学」については明治時代の講談、つまり聞いていて面白い話を小説にまとめだしたのが源流。ジャンルの確立は中里介山『大菩薩峠』をはじめ、大衆雑誌の連載小説に人気作品が続々掲載された大正時代と言われています。

純文学と大衆文学の代表的な作家・文学賞

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みなさんには好きな作家がいるかもしれません。その作家が「純文学」の作家なのか、それとも「大衆文学」の作家なのかまで考えたことのある人は多くはないでしょう。また聞き馴染みのある文学賞が、どちらのジャンルに該当しているのかも気になりますよね。ここでは「純文学」と「大衆文学」の代表的な作家と文学賞を紹介していきます。

代表的な純文学の作家・文学賞

「純文学」と言えば教科書でもお馴染みの明治~大正の文豪たちがあげられます。『坊ちゃん』や『こころ』などで知られる夏目漱石『羅生門』や『地獄変』などで人間の心理をありありと書いた芥川龍之介。自虐的な表現という新機軸を打ち出した『人間失格』を書いた太宰治などですね。

現代の作家では『ノルウェイの森』で知られる村上春樹や、『火花』でヒットしたお笑い芸人兼作家の又吉直樹などがあげられます。

文学賞としては先述の作家の名を冠した芥川賞太宰治賞、文学雑誌『文藝』が主催する文藝賞などです。

代表的な大衆文学の作家・文学賞

大衆文学はジャンルが多岐に渡り、それぞれ多数の作家がいます。山田風太郎や司馬遼太郎、吉川英治は歴史小説を通して日本人の歴史観を作り上げたとも。松本清張や江戸川乱歩、横溝正史は推理小説という一大ジャンルを日本に持ち込みました。

現代特有のジャンルとしては、ライトノベルの有川浩恋愛小説の江國香織などがあげられます。現代の大衆文学は映画・テレビドラマ・テレビアニメなど映像作品化することも多いです。

文学賞の数も多く、大衆文学の黎明期を築いた直木三十五の名を冠した直木賞をはじめ、出版社や財団法人、地方自治体主催でさまざまな賞が開かれています。

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純文学は芸術、大衆文学はエンターテインメント

ここまで「純文学」と「大衆文学」の違い、「純文学」と「大衆文学」の誕生、そして代表的な作家と文学賞について解説してきました。多岐に渡る文学ジャンルが、この2つに大別できるというのが面白いですよね。

筆者は学生時代、三島由紀夫の作品が好きでよく読んでいました。当時感じた文章の美しさは、今の自分の美的センスの一因を担っていると思っています。みなさんもお気に入りの作家から、知らず知らずのうちに影響を受けているかもしれませんね。

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3分で簡単にわかる純文学と大衆文学の違い!芥川賞はどっち?代表作家や作品も小説好きライターがわかりやすく解説


文学のジャンルは非常に多岐に渡っている。小説、戯曲、随筆、紀行、日記、伝記、評論……。国によって日本文学やアメリカ文学といったように分けたり、古典や近代、現代という分け方もできるな。しかし文学には大別できるジャンルがあるんです。それが「純文学」と「大衆文学」の違いです。
今回はこの2ジャンルの違いについて、小説好きライターのおおつけと一緒に解説していきます。

ライター/おおつけ

現役システムエンジニア兼ライター。前職は貿易商社の営業マン。学生時代は小説サークルで短編小説を執筆していた。知らない言葉は徹底的に調べるクセがあり、独自の単語帳を作っている。日々たくわえた広い知識を、わかりやすく紹介していく。

純文学と大衆文学の違い

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文学と一口に言ってもそのジャンルはさまざま。書店や図書館に並ぶ作品も、多くのジャンルに分かれていますよね。しかしすべての文学は「純文学」と「大衆文学」に分けて考えることができるのです。ここではまず「純文学」と「大衆文学」の定義的な違いについて解説していきます。

純文学:芸術性が高い読み物

「純文学」とは芸術性が高い読み物のことです。芸術性が高いとはどういうことでしょうか。例えば美術館に展示される絵画や彫刻のすべてが意味のわかる作品ではありません。人によっては興味を持たなかったり、不快に感じる人もいるでしょう。

つまり見る人や読む人のことを考えるというよりも、自分の感性を優先した作品こそ芸術性が高いというわけです。その意味で「純文学」とは読者に媚こびず純粋な芸術をめざした文学作品であると定義できます。「純文学」は楽しむというより味わうという表現がふさわしいでしょう。

大衆文学:エンターテインメントとして読み物

「大衆文学」とはエンターテインメントとしての読み物です。エンターテインメントとは娯楽、すなわち映画やテレビ番組、ゲームセンターや遊園地などと同じカテゴリーということ。エンターテインメントに求められるのは楽しい、面白いという感情です。

つまり読む人のことを優先した、大衆性の高い作品が「大衆文学」。「大衆文学」は「純文学」と真逆で、楽しむという表現がふさわしいと言えます。

純文学と大衆文学の誕生

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「純文学」と「大衆文学」の定義的な違いについてはおわかりいただけたと思います。ここで気になってくるのが「純文学」と「大衆文学」という概念はいつ誕生したのかということですよね。ここではジャンルの確立、すなわち「純文学」と「大衆文学」の概念が成立するまでの歴史を解説していきます。

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