簡単でわかりやすい仙台城と青葉城の違い!伊達政宗公騎馬像が目印?歴史好きライターが詳しく解説
本丸跡に現存しているのは石垣のみ
青葉山頂上にある仙台城本丸跡の見どころは3つ。1つ目は大広間の跡地です。仙台城の中心にあった大広間の広さを体感できる跡地で、礎石が置かれて部屋割りなども再現されています。
2つ目は天守台。快晴なら仙台市と太平洋が、夜は石垣や伊達政宗公騎馬像のライトアップや仙台市の夜景を一望できます。3つ目は全長179メートルにおよぶ石垣です。重厚な見た目ながらも美しい反りが特徴で、よく観察すると修復工事で復元された石垣とそれ以外の石の見た目が違うのがわかります。
仙台城にはどんな歴史がある?
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伊達政宗は関ヶ原の戦いの直後、徳川幕府に敵対関係にあった上杉氏に対抗するための砦を求めていました。関ヶ原の戦いが行われた1600年9月の翌年、1601年1月から仙台城の建築が着手されます。完成後の仙台城は政務や生活の拠点として、伊達の歴代藩主13人によって治められました。
明治時代には廃城令によって政府の管轄となった仙台城は本丸内を取り壊され、後の1882年の火災で敷地のほとんどが焼失しました。
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上杉氏との合戦に備え建造
伊達政宗が仙台城を建造した理由は、徳川幕府と緊張関係にあった上杉氏との合戦に備えるためでした。攻めにくく守りやすい立地に青葉山が選ばれ、関ヶ原の戦いから約2年後には一応の完成を見せたといいます。伊達政宗の没後は2代目藩主の忠宗が青葉山の麓に二の丸を造営。幕末までの政務は二の丸中心に行われ、合戦に備えて築城した当初とは違う用途で利用されました。
廃城令と焼失が重なり現在の姿に
仙台城が現在の石垣のみ残る姿になるまで、3つの経緯に分けられます。1873年に明治政府から廃城令が布告され、本丸が取り壊しに。仙台城を含めて全国で43城が対象になりました。次に1882年、二の丸付近で火災が発生。ほとんどの建物が焼失する被害が及びます。
そして1945年の太平洋戦争中、アメリカ軍が仙台を空襲しました。空襲によって大手門や脇櫓、三の丸付近が焼失。明治政府の廃城令と焼失を繰り返し、現在の仙台城跡地になったのです。
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仙台城のアクセスと周辺観光スポット
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仙台市を訪れたら、観光は外せませんよね。仙台城跡や周辺スポットには歴史や自然を感じられる場所が豊富です。
仙台城跡は約17メートルの高さを誇る石垣は迫力満点。地震で一部損壊し、修復されたばかりの伊達政宗の騎馬像も見逃せません。仙台城跡の周辺スポットでは仙台市緑の名所に数えられる青葉山公園や、自然植生のモミの林が残る東北大学植物園など自然に癒やされるスポットが満載です。
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