
野上弥生子と夏目漱石はどのような関係だった?野上弥生子の生涯や代表作とともに歴史好きライターが簡単にわかりやすく解説
「漫然として年をとるべからず」
野上弥生子が作家としてデビューする前に、書いた作品を夏目漱石に見てもらったことがありました。その返事は長い手紙として書かれ、中にはこのような言葉があったのです。「もし文学者たらんと欲せば漫然として年をとるべからず、文学者として年をとるべし」と記されていました。
普段の生活でも油断してはならない。常に研鑽を続けて、作家としての意識を持って何事にも注目せよ、といった意味になるでしょう。その手紙の後、程なくして野上弥生子は文壇デビューを迎えました。そして、夏目漱石から贈られた言葉を、終生大切にしてきたそうです。
家事の合間に執筆活動
野上弥生子が長きに渡って作家生活を続けられたのは、無理のない執筆ペースを守っていたからかもしれません。彼女は多くの長編小説を残しましたが、毎日200字詰め原稿用紙で2〜3枚、多くて5〜6枚までしか書かなかったそうです。あくまでも自分のペースを守り続けていました。
そうせざるをえなかったのは、3人の子供を産んで育てたからでもあるでしょう。家事や子育てにも一切妥協せず、そのような環境でも執筆や勉強の時間を確保していたのです。毎日の忙しい合間を縫って、野上弥生子は自らの筆で、次々と名作を生み出していました。
三つの訓
野上弥生子の実家であるフンドーキン醤油株式会社には、今も「三つの訓」が受け継がれています。もともとは、野上弥生子が、弟で創業者の息子である小手川金次郎に贈った言葉です。「お味噌の味は良いですか」「お給料は充分に払えていますか」「銀行の借入金は全部返しましたか」といったものとなっています。
はじめに味噌の味を問うたのは、おそらく「家業を大事にしなさい」という、姉からの戒めでしょう。会社の借入金よりも先に従業員の給料を案じたのは、細やかな気遣いができる野上弥生子らしいともいえます。「三つの訓」を記した書は、今でも会社に飾られているようです。
\次のページで「1.『海神丸』」を解説!/