今回は、米軍基地について学んでいこう。

日本には北から南まで、さまざまな場所に米軍基地が設置されている。特に多いのが沖縄県です。ですが、米軍基地が日本のどこにあるのか、その実態を知らない人は多いでしょう。

日本にある米軍基地の数や沖縄県に米軍基地が集中している理由などを、日本史に詳しいライターのタケルと一緒に解説していきます。

ライター/タケル

資格取得マニアで、士業だけでなく介護職員初任者研修なども受講した経験あり。現在は幅広い知識を駆使してwebライターとして活動中。

全国に米軍基地はいくつある?

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まずは、全国に米軍基地がいくつあるのか確かめてみましょう。

米軍関連施設は130以上ある

日本に米軍基地が置かれているのは日米地位協定に基づくものです日米地位協定で「在日米軍施設・区域(専用施設)」とされるものが13都道府県に80近い施設が置かれています。この中に含まれるのは、基地や飛行場だけではありません。訓練場や通信所、それに倉庫や住居なども含まれています。

しかし、日米地位協定には「在日米軍施設・区域(共同使用施設を含む)」という区分もあるのです。日本が管理して、米軍も使えるようになっている施設もそこに含まれています。その区分ですと米軍関連施設は3桁に達してその数は130以上30もの都道府県に米軍関連施設はあるのです

沖縄県・神奈川県・長崎県に多い

日米地位協定が定義する「在日米軍施設・区域(専用施設)」は、都道府県で分けた場合、多い順に沖縄県・神奈川県・長崎県となります特に沖縄県の数は飛び抜けて多く面積で比べた場合は他の46都道府県にある米軍基地を合わせても沖縄県の米軍基地に及ばないほどです

神奈川県には厚木海軍飛行場やキャンプ座間などが設置されそれらに関連する補給施設や住居施設が複数あります長崎県に米軍関連施設が多いのは佐世保に海軍関連の施設が集中しているからです。なお、北海道は「在日米軍施設・区域(共同使用施設を含む)」が多いのですが、ほとんどが自衛隊の施設で、米軍専用施設はありません。

日本における米軍基地の歴史

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では、どのようにして日本に米軍基地が置かれるようになったのでしょうか。その歴史を見ていくことにしましょう。

戦後間もなく占領軍が駐留

太平洋戦争で日本がポツダム宣言を受諾したことにより日本は連合国軍の支配下に置かれます日本軍は解体され日本の軍事基地にはアメリカ軍が駐留するようになりました。その後、日本に警察予備隊が創設され、現在の自衛隊へと発展していきます。

沖縄県の場合は、それとは事情が違いました。1945(昭和20)年に米軍が沖縄県に上陸すると次々と日本軍の基地を占領し米軍の施設として使い始めますさらに米軍は沖縄県の土地を接収して米軍基地を造成するようになったのです。現在でも、戦時中に設置された沖縄県の米軍基地が一部運用されています。

日米安全保障条約の発効

1951(昭和26)年に日本などが署名したサンフランシスコ講和条約には日本から占領軍が撤退するという条項が入っていました。ただし、2国間協定により引き続き駐留が認められることがあるとも定めています。それを根拠として締結されたのが、日米安全保障条約でした。

1952(昭和27)年発効の日米安全保障条約ではアメリカが引き続き日本に駐留することが認められました。ただし、アメリカが日本を防衛する義務はなかったのです。そこで、1960(昭和35)年に安保条約を結び直し日本が攻撃された際の日米共同防衛が義務化されました。安保条約に基づき、日米地位協定もその時に締結されています

ベトナム戦争や湾岸戦争の攻撃拠点に

ベトナム戦争では沖縄県の米軍基地が大いに活用されました沖縄県の米軍基地から爆撃機が飛び立ち補給基地や後方支援基地としても沖縄県の米軍基地が使われていたのです。それらの事実を受けて、沖縄県の住民は「我々もベトナム戦争の加害者である」などと主張。米軍基地の撤退を求める運動が激化しました

1990(平成2)年より始まった湾岸戦争や2003(平成15)年勃発のイラク戦争でも沖縄県の米軍基地が重要な役割を果たしていますどちらの戦争においても沖縄県の米軍基地から数千人規模の軍人が派遣されました。日本は憲法で戦争には直接関わらないことになっていますが、日本から米軍が戦地に派遣されているのです。

なぜ沖縄県に米軍基地が多いのか

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ところで、なぜ沖縄県に米軍基地が多いのでしょうか。ここでは2つの理由を見てみましょう。

そもそも沖縄県はアメリカだった

そもそも戦後からしばらくの間沖縄県はアメリカの管理下に置かれていましたアメリカは太平洋戦争で沖縄県を事実上占領していましたがサンフランシスコ講和条約によりアメリカが正式に沖縄県の施政権を得たのです。もちろんその時代には、何の遠慮もなくアメリカが沖縄県に米軍基地を設けることができたといえます。

1971(昭和46)年に日米間で沖縄返還協定が調印されると翌1972(昭和47)年に沖縄県は日本への復帰を果たしましたその際にほとんどの米軍基地はそのままアメリカの管理下に。自衛隊などに移管された施設もありましたが、基本的に沖縄県の米軍基地は70年以上アメリカが管理を続けています。

\次のページで「沖縄県の位置がアメリカの戦略上基地を設置するのに都合が良い」を解説!/

沖縄県の位置がアメリカの戦略上基地を設置するのに都合が良い

沖縄県に米軍基地を設置しているのは沖縄県の位置がアメリカにとって基地を設けるのに都合が良いという指摘もあります。かつてアメリカは、ベトナム戦争などで沖縄県から出撃しました。もちろんアメリカ本土から出撃すれば時間が掛かりますが、沖縄県からだと短時間でアジア周辺に到達できます

近年では、台湾有事に備えようとする動きが活発化するようになりました。また、北朝鮮からミサイルが発射される頻度が増えて、挑発行為が目に余るようになってきています。アメリカから見ればこれらの有事に対応するためには沖縄県に米軍基地があったほうが迅速に行えるということです

主な沖縄県の米軍基地

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沖縄県には数多くの米軍基地がありますが、中でもよくニュースなどで目にするのが嘉手納基地と普天間飛行場です。ここでは、その2つの基地について見ていくことにしましょう。

1.嘉手納基地

嘉手納基地(かでなきち、嘉手納飛行場とも)沖縄県の嘉手納町・沖縄市・北谷町にまたがる米軍基地です。羽田空港の2倍ほどの面積があり、極東地域では最大の空軍基地とされます。嘉手納町の8割超を嘉手納基地が占めていると聞けば、その大きさを実感できるのではないでしょうか。

嘉手納基地にはおよそ3700メートルの滑走路が2本あります滑走路にはさまざまな航空機が離着陸。そればかりか、飛行訓練も頻繁に行われているのです。かつては北飛行場という日本軍の基地でしたが、米軍が接収して以来、嘉手納基地として今も運用を続けています。

2.普天間飛行場

普天間飛行場(ふてんまひこうじょう、普天間基地とも)沖縄県宜野湾市の中央部に位置する米軍基地です。宜野湾市のおよそ4分の1が普天間飛行場で占められています。2700メートルの滑走路1本を擁する普天間飛行場は日本での米軍海兵隊の重要拠点の1つです

日米が沖縄県で戦闘していた最中の1945(昭和20)年にアメリカが宜野湾一帯の土地を支配下に置き、米陸軍が滑走路を建設しました。それが普天間飛行場の始まりです。建設の際には多くの住民が移転を余儀なくされました現在ではヘリコプター部隊などが普天間飛行場に配備されています

沖縄県の米軍基地問題とは

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沖縄県には、米軍基地問題と呼ばれるものが存在し続けています。現在はどのような米軍基地問題があるのでしょうか。

\次のページで「米軍基地周辺で事故が多発」を解説!/

米軍基地周辺で事故が多発

沖縄県の面積は、日本全土の1パーセントを下回ります。ですが、日本にある米軍基地のおよそ7割が沖縄県にあるといういびつな状態になっているのです米軍基地は沖縄県の面積の約8パーセントを占め場所によっては基地と住宅地が隣接しているような場所もあります

そのため、米軍基地周辺の航空機事故というリスクが常に付きまとうのです近年では2004(平成16)年に沖縄国際大学の敷地内にヘリコプターが墜落する事故が発生しました。大学の建物にヘリコプターが接触しましたが、民間人の死傷者はいませんでした。事故後、沖縄国際大学では事故に対する抗議集会が開かれています。

在留軍人による犯罪を裁けない

米軍基地に対する抗議集会が開かれる理由は、米軍基地周辺の事故だけではありません。米軍基地に勤務する在留軍人が犯罪行為をしたことが明らかになった場合にも抗議の声が広がります1995(平成7)年に在留米国軍人による暴行事件が発生した際には抗議集会のために沖縄県民が8万人も集まったと報じられました

ところが、日本側が米兵の犯罪行為を裁くことはとても困難と言わざるをえません。なぜなら、日米地位協定により被疑者は裁判が始まるまでアメリカ側に拘禁されるからです。そのため、日本の捜査当局が逮捕状を執行して被疑者を取り調べることはできません。それでは沖縄県民が納得行かないのも当然です。

米軍基地周辺の環境問題

米軍基地周辺では常に環境問題が課題となっています特に多いのが騒音問題です。航空機のジェットエンジンから出る音は凄まじいものがあり、周辺住民による飛行差止め訴訟が何度も提起されています。騒音防止協定が締結されてはいるものの騒音問題が改善されたとはいえません

騒音以外にも、航空機に起因する振動やエンジンオイルが原因となって引き起こす悪臭や水質汚染も問題となっています。近年では、普天間飛行場の代替地とするために埋め立てが進んでいる辺野古の環境問題が懸念されるようになりました。辺野古周辺の海域には、希少動物が数多く生息しているという指摘もあります。

米軍基地は関連施設を含めると沖縄県を中心に全国に100か所以上ある

太平洋戦争が終結する直前から日本に米軍基地が置かれるようになり、現在ではその数が130以上にも及びます。特に多いのが沖縄県で、面積でいえば日本全体のうちの7割も沖縄県に集中しているのです。沖縄県の米軍基地では事故や事件が多発しているため、沖縄県民が米軍基地の県外移転を望むのは当然でしょう。沖縄県に米軍基地が集中している事態を解消するためには、日米双方の政府による英断が求められます。

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現代社会

全国に米軍基地はいくつある?その実態を沖縄に米軍基地が集中している理由とともに行政書士試験合格ライターが簡単にわかりやすく解説

今回は、米軍基地について学んでいこう。

日本には北から南まで、さまざまな場所に米軍基地が設置されている。特に多いのが沖縄県です。ですが、米軍基地が日本のどこにあるのか、その実態を知らない人は多いでしょう。

日本にある米軍基地の数や沖縄県に米軍基地が集中している理由などを、日本史に詳しいライターのタケルと一緒に解説していきます。

ライター/タケル

資格取得マニアで、士業だけでなく介護職員初任者研修なども受講した経験あり。現在は幅広い知識を駆使してwebライターとして活動中。

全国に米軍基地はいくつある?

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まずは、全国に米軍基地がいくつあるのか確かめてみましょう。

米軍関連施設は130以上ある

日本に米軍基地が置かれているのは日米地位協定に基づくものです日米地位協定で「在日米軍施設・区域(専用施設)」とされるものが13都道府県に80近い施設が置かれています。この中に含まれるのは、基地や飛行場だけではありません。訓練場や通信所、それに倉庫や住居なども含まれています。

しかし、日米地位協定には「在日米軍施設・区域(共同使用施設を含む)」という区分もあるのです。日本が管理して、米軍も使えるようになっている施設もそこに含まれています。その区分ですと米軍関連施設は3桁に達してその数は130以上30もの都道府県に米軍関連施設はあるのです

沖縄県・神奈川県・長崎県に多い

日米地位協定が定義する「在日米軍施設・区域(専用施設)」は、都道府県で分けた場合、多い順に沖縄県・神奈川県・長崎県となります特に沖縄県の数は飛び抜けて多く面積で比べた場合は他の46都道府県にある米軍基地を合わせても沖縄県の米軍基地に及ばないほどです

神奈川県には厚木海軍飛行場やキャンプ座間などが設置されそれらに関連する補給施設や住居施設が複数あります長崎県に米軍関連施設が多いのは佐世保に海軍関連の施設が集中しているからです。なお、北海道は「在日米軍施設・区域(共同使用施設を含む)」が多いのですが、ほとんどが自衛隊の施設で、米軍専用施設はありません。

日本における米軍基地の歴史

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では、どのようにして日本に米軍基地が置かれるようになったのでしょうか。その歴史を見ていくことにしましょう。

戦後間もなく占領軍が駐留

太平洋戦争で日本がポツダム宣言を受諾したことにより日本は連合国軍の支配下に置かれます日本軍は解体され日本の軍事基地にはアメリカ軍が駐留するようになりました。その後、日本に警察予備隊が創設され、現在の自衛隊へと発展していきます。

沖縄県の場合は、それとは事情が違いました。1945(昭和20)年に米軍が沖縄県に上陸すると次々と日本軍の基地を占領し米軍の施設として使い始めますさらに米軍は沖縄県の土地を接収して米軍基地を造成するようになったのです。現在でも、戦時中に設置された沖縄県の米軍基地が一部運用されています。

日米安全保障条約の発効

1951(昭和26)年に日本などが署名したサンフランシスコ講和条約には日本から占領軍が撤退するという条項が入っていました。ただし、2国間協定により引き続き駐留が認められることがあるとも定めています。それを根拠として締結されたのが、日米安全保障条約でした。

1952(昭和27)年発効の日米安全保障条約ではアメリカが引き続き日本に駐留することが認められました。ただし、アメリカが日本を防衛する義務はなかったのです。そこで、1960(昭和35)年に安保条約を結び直し日本が攻撃された際の日米共同防衛が義務化されました。安保条約に基づき、日米地位協定もその時に締結されています

ベトナム戦争や湾岸戦争の攻撃拠点に

ベトナム戦争では沖縄県の米軍基地が大いに活用されました沖縄県の米軍基地から爆撃機が飛び立ち補給基地や後方支援基地としても沖縄県の米軍基地が使われていたのです。それらの事実を受けて、沖縄県の住民は「我々もベトナム戦争の加害者である」などと主張。米軍基地の撤退を求める運動が激化しました

1990(平成2)年より始まった湾岸戦争や2003(平成15)年勃発のイラク戦争でも沖縄県の米軍基地が重要な役割を果たしていますどちらの戦争においても沖縄県の米軍基地から数千人規模の軍人が派遣されました。日本は憲法で戦争には直接関わらないことになっていますが、日本から米軍が戦地に派遣されているのです。

なぜ沖縄県に米軍基地が多いのか

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ところで、なぜ沖縄県に米軍基地が多いのでしょうか。ここでは2つの理由を見てみましょう。

そもそも沖縄県はアメリカだった

そもそも戦後からしばらくの間沖縄県はアメリカの管理下に置かれていましたアメリカは太平洋戦争で沖縄県を事実上占領していましたがサンフランシスコ講和条約によりアメリカが正式に沖縄県の施政権を得たのです。もちろんその時代には、何の遠慮もなくアメリカが沖縄県に米軍基地を設けることができたといえます。

1971(昭和46)年に日米間で沖縄返還協定が調印されると翌1972(昭和47)年に沖縄県は日本への復帰を果たしましたその際にほとんどの米軍基地はそのままアメリカの管理下に。自衛隊などに移管された施設もありましたが、基本的に沖縄県の米軍基地は70年以上アメリカが管理を続けています。

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