世界史古代ギリシャ

簡単にわかる「ペロポネソス戦争」!古代ギリシャの大戦争?アテネとスパルタ勝ったのはどっちだ?歴史オタクがわかりやすく解説

二大ポリス大激突!「ペロポネソス戦争」開戦

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紀元前435年のこと。コリントス人の植民都市エピダムノスのいざこざ絡みにより、コルキュラとコリントのふたつのポリスが対立。このとき、コルキュラはアテナイへ、コリントはスパルタへと支援を頼みます。これがペロポネソス戦争の口実となり、ペロポネソス同盟がアテナイのあるアッティカ地方へ侵入したことで以降27年にも及ぶ「ペロポネソス戦争」が始まったのです。

アテナイの籠城は失策か?予想外に起こった疫病

スパルタの侵入に対し、アテナイは城壁外の田園の住民をもすべて市内に強制的に入れて門を閉ざしました。アテナイは海戦が得意でしたから、籠城する一方で海からペロポネソス同盟の本国へ攻撃する、という作戦をとったのです。

ところが、ここでアテナイにとって予想だにしないことが起こります。狭い城壁内に強制的に壁外の人々を押し込んだことで、市内の衛生状況が悪化。アテナイで疫病が蔓延し始めたのです。その被害はすさまじく、疫病では市民の六分の一が死亡したとか。さらに盗みなども起こって治安は悪化の一途をたどります。

内側はボロボロでありましたが、得意な海戦は優位に進んでいました。紀元前425年にはスパルタ軍を投降させたほどです。このとき、スパルタ側は停戦を提案したのですが、アテナイは戦争続行派が応じずに戦争が続きます。ここで終わっていれば、アテナイにとってもよかったかもしれないのですけどね…。

和平を結んだのに!?アテナイのシチリア遠征失敗

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紀元前421年、戦争を続けていた派閥のトップが戦死したことで、和平が結ばれます(ニキアスの平和)。しかし、その平和はアテナイで再び戦争派が台頭し始めたことでわずか8年しかもちませんでした。

アテナイは大艦隊を率いて遠いシチリアに遠征を開始。ところが、スパルタとシラクサの連合軍に敗北を喫してしまいます。アテナイの敗北を知ったデロス同盟のポリスが次々に同盟から離脱するというたいへんな事態に発展しました。

海戦が得意なアテナイですが、スパルタは宿敵だったはずのペルシアから援助を受けて海軍を強くしていたのです。それで「海はアテナイ一強からスパルタへと勢力が移った」というわけでした。

アテナイの海軍壊滅!ペロポネソス戦争終結

最後の海戦となった「アイゴスポタモイの海戦」では海軍さえも壊滅させられてしまいます。制海権をスパルタに奪われ、食料調達の航路さえ断たれたアテナイにもはや逆転の目はなく…。紀元前404年、アテナイはペロポネソス同盟によって包囲されたことで降伏。デロス同盟は解体し、ペロポネソス戦争はここにようやく終結を見せたのでした。

3.古代ギリシャ世界への影響は?ペロポネソス戦争その後

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ペロポネソス戦争での勝利にわくスパルタ。しかし、ペロポネソス戦争は古代ギリシャに大きな影を落としていたのです。戦争によってスパルタには富がもたらされました。けれど、その富は均等に分配されるものではありません。こうして、スパルタ人たちの間に貧富の差がもたらされたのです。

スパルタは共同体を重視します。みんな同じで、みんな仲間。だから、食事はつねに一緒に摂るし、装飾品を身に着けて他の人と差をつけたりしないのです。ところが、貧富の差が見えるようになり、スパルタ市民の結束力にヒビが入ってしまいました。それによってスパルタの厳格な軍国主義は大打撃を受けたのです。

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