世界史古代ギリシャ

簡単にわかる「ペロポネソス戦争」!古代ギリシャの大戦争?アテネとスパルタ勝ったのはどっちだ?歴史オタクがわかりやすく解説

ひとりひとりが優秀な戦士!?軍国主義の「スパルタ」

もう一方の主役「スパルタ」は、アテナイと違って、戦士団を強固な支配階級とする共同体でした。

というのも、スパルタは奴隷(ヘイロータイ)や半自由市民(ペリオイコイ、奴隷と市民の中間的な存在。自由身分であるが、市民権がない)が多く、たびたび彼らの反乱が起こったのです。スパルタの奴隷はたくさんいて、スパルタ市民よりも四倍ほど多かったとか。奴隷たちの反乱を抑えるため、スパルタ市民はひとりひとりが強い戦士でなければなりません。もちろん、女性もです。

スパルタに生まれた市民は子供のころから厳しい訓練を受け、結果として、市民すべてが非常に優れた戦士になりました。

優秀なスパルタ戦士の育て方!?厳しすぎるスパルタ教育

「スパルタ人の子どもは親のものではなく、生まれた瞬間からスパルタという国家のもの」という考えのもと、子どもは生まれたときに検査を受け、もしも弱点があれば可哀相なことに山に捨てられてしまうのです。検査に合格した子どもも、七歳になると親元を離れて国の養育所に入ります。養育所で他のスパルタ人の子どもたちと共同生活をしながら厳しく育てられました。

女の子であっても変わりありません。女性は丈夫で元気な子どもを産むという大切な役目を持っていますから、幼いころから体育訓練を受けます。そうしたスパルタ人の女性は、他のポリスの女性たちと違って権利と地位が認められました。

また、スパルタの戦士は共同体の一員だということを重視しますから、装飾品の禁止や、食事は必ず一緒にしなければならない共同食事制など大人になっても守らなければならない決まりがいくつもあります。

2.「ペロポネソス戦争」勃発!デロス同盟VSペロポネソス同盟

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ペロポネソス戦争を語るにあたり、先に「ペルシア戦争」について軽く触れなければなりません。紀元前499年、エーゲ海を挟んだ向こうのアケメネス朝ペルシア帝国がギリシャへと侵攻を始めます。ペルシア帝国は強大な国で、対抗するにはギリシャのポリスが一丸となる必要がありました。アテナイとスパルタは共に戦争を主導する立場としてペルシア戦争に参加します。

ペルシア戦争は、ギリシャ連合軍の勝利となりました。しかし、ペルシア戦争はあくまで防衛。ペルシア帝国が滅んだわけではありません。戦争のダメージが回復すれば、またペルシアがギリシャに攻め入ってくる可能性があったのです。

本当に対ペルシアのため?アテナイ「デロス同盟」を結成

ペルシア戦争中、アテナイはペルシア再来襲に備えてエーゲ海周辺のポリスとの間に「デロス同盟」を結んでその盟主となりました。同盟本部はエーゲ海に浮かぶデロス島に置かれます。

「同盟を結んでペルシアに対抗しよう」として結成されたデロス同盟ですが、実際にペルシアと戦える艦隊を出したのはアテナイだけで、他の同盟ポリスは納入金を納めるだけでした。その納入金の管理も、同盟の執行権もアテナイ人が握っています。やがて、納入金はアテナイのために使われるようになり、アテナイはデロス同盟を通じて他のポリスを支配するようになったのです。

スパルタとペロポネソス半島が結んだ「ペロポネソス同盟」

一方、スパルタはペルシア戦争以前の紀元前6世紀までにペロポネソス半島の諸ポリスとの間に「ペロポネソス同盟」を結んで盟主となっていました。ペロポネソス同盟の完成により、強大な軍事力を背景にしたスパルタはギリシャで屈指のポリスとなったのです。

しかし、ペルシア戦争ではアテナイを中心としたデロス同盟が主導権を握っていました。戦争の功績からアテナイは軍事のスパルタと対等な位置づけとなり、スパルタにとってアテナイとデロス同盟は脅威を覚える存在となりました。その結果、ペロポネソス同盟とデロス同盟の関係は次第に悪化していき、「ペロポネソス戦争」の火種となってしまったのです。

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