そのなかでも今回は「維新三傑」と呼ばれた三人の男たちを幕末の流れを追いながら歴史オタクのライターリリー・リリコと一緒にわかりやすく解説していきます。
- 1.時代が変わる!激動の江戸時代末期から明治へ
- 幕府側?朝廷側?「維新三傑」の立場はどれ?
- 覚えておきたい幕末キーワード「尊王」「攘夷」「倒幕」
- 本当に攘夷は実現できる?薩摩藩とイギリスの「薩英戦争」
- 長州藩が世界を相手に戦争!?「下関事件」
- 「薩長同盟」締結!薩摩藩の西郷隆盛と長州藩の木戸孝允の出会い
- 2.「大政奉還」完了!明治維新のはじまり
- 明治天皇と明治政府の名だたるメンバーたち
- 明治政府樹立!でも徳川家は滅びてない!?「戊辰戦争」勃発
- 西郷隆盛を説得!大決戦を避けて「江戸城の無血開城」
- 明治政府の中心!大久保利通の政策
- 革命家から政府官僚へ!木戸孝允の高い政治力
- 時世を読んで日本を変えていった偉人たち
この記事の目次
ライター/リリー・リリコ
興味本意でとことん調べつくすおばちゃん。座右の銘は「何歳になっても知識欲は現役」。大学の卒業論文は義経をテーマに執筆。大河ドラマや時代ものが好き。日本伝統芸能や文芸、文化に深い興味を持つ。今回は歴史ドラマで人気の幕末の「維新三傑」について詳しくまとめた。
1.時代が変わる!激動の江戸時代末期から明治へ
江戸時代の終わりごろの日本は動乱が渦巻く不安定な時期でした。というのも、鎖国によって接触のなかった諸外国が日本に国交を求めてやってくるようになり、264年ものあいだ日本を治めていた江戸幕府に陰りが見えたからです。
江戸幕府はこれまで通り祖法の鎖国を守って外国を締め出したままにしたいのですが、外国は無理にでも鎖国を破ってしまえるような武力を持っています。さらに言えば、その武力で西洋列強は各地を植民地化していた時代でした。その事実を知り、外国との戦争を避けようと考える人々や、反対に外国と戦争しても勝てると言う一派に分かれて日本は内輪揉め状態に陥っていたのです。
「維新三傑」の功績を知るためには、歴史上でなにが起こっていたのかも含めて見ていきましょう。
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幕府側?朝廷側?「維新三傑」の立場はどれ?
江戸時代末、日本をどうすべきかで揉めますが、ただただ仲間内で言い合うばかりではありません。江戸幕府側、天皇(朝廷)側、藩、そして在野(志士)にしっかりした考えを持った人たちが現れました。本当にたくさんの名前が上がります。上がりすぎるので、今回はかなり絞り込んでいきますよ。気になる人は他の記事もチェックしてみてください。
数々の幕末の重要人物たちのなかでも特別に「維新三傑」と呼ばれるようになったのは「西郷隆盛」「大久保利通」、「木戸孝允(桂小五郎)」でした。
「維新三傑」とは、「明治維新」に特に貢献した三人を指します。つまりは、明治政府の立役者だったのです。
覚えておきたい幕末キーワード「尊王」「攘夷」「倒幕」
幕末は日本の分岐点。重要人物も重要キーワードもたくさん出てきます。そのなかでも特に覚えておかなければならないのは三つ。「尊王」「攘夷」そして、「倒幕」です。激動の時代で強く叫ばれた三つの思想であり、これらの考えを中心に人々が動いていきます。
また、外国を日本から追い出したい「攘夷」と、開国した江戸幕府への不満から天皇主導の政治を推す「尊王」がくっついた「尊王攘夷運動」が盛んになっていきました。
「尊王」
江戸幕府や将軍よりも、天皇と朝廷を尊ぶこと。
「攘夷」
外国との交流を失くして追い出す排外的な考え。
「倒幕」
江戸幕府を倒し、新しい政府を立てること。
本当に攘夷は実現できる?薩摩藩とイギリスの「薩英戦争」
尊王攘夷が世の中で大きくなっていきましたが、尊王はともかく、外国を追い出すなんてことはできるのでしょうか?その問題に当たったのが、西郷隆盛と大久保利通が所属する薩摩藩と、木戸孝允の属する長州藩でした。
まず起こったのは、薩摩藩とイギリスの「薩英戦争」。薩摩藩主の父・島津久光は尊王攘夷を主張し、京都の孝明天皇と江戸の将軍・徳川家茂にその考えを伝えた帰りに行列を邪魔してしまったイギリス人を殺傷した「生麦事件」から発展した戦争でした。日本全体とイギリスとの戦争ではなく、あくまで日本の藩のひとつでしかない薩摩藩と、イギリスという国が戦争になったんです。西洋列強たるイギリスの海軍はもちろん強く、薩摩藩は歯が立ちませんでした。
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