3分でわかる!江戸切子と薩摩切子の違いとは?いまだに残る謎も文化学系学部卒ライターが簡単にわかりやすく解説!
違い3-1.歴史【江戸切子】
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江戸切子の歴史は、1834年に江戸伝馬町のビイドロ屋である加賀屋久兵衛が創始したとされています。
元々は「皆川文次郎」という名前でしたが、ガラス問屋で働いていた職人時代に、大阪に出向いて和泉屋嘉兵衛という人物のもとで近代的な切子技術を習得し、暖簾分けをして江戸にて「加賀屋久兵衛」を名乗ったそうです。
その後、江戸の庶民に向けてガラス製の日用品が生み出されるようになりました。酒器、食器、重箱、墨置き、風鈴などは江戸の庶民に愛され、今の時代にもその伝統は生き続け、国・東京都指定の「伝統的工芸品」として認められています。
違い3-2.歴史【薩摩切子】
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薩摩切子の歴史は江戸時代の後期の頃から始まります。薩摩藩の島津家28代・島津斉彬の頃には、海外の交易も視野に入れた美術工芸品として「薩摩切子」の生産が大変盛んになりました。
特に、ガラスの着色の研究は非常に先進的で、「紅」の発色は当時の日本では初の快挙であり「薩摩の紅ガラス」と呼ばれ全国各地で称賛されたそうです。
しかし1858年に斉彬が急逝、1863年の薩英戦争で工場は焼失し、産業は一気に縮小していきました。西南戦争前後に薩摩切子の製造は途絶えたとされています。
その後約100年以上経った1985年、薩摩ガラス工芸株式会社(現在は株式会社島津興業に統合)が設立され、薩摩切子の復元事業が始まりました。大変な努力の末、1986年より本格的な製造が開始され、現在では一般でも買うことができるようになっています。
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薩摩切子は、一度歴史が途絶えているため国指定の「伝統的工芸品」としては登録されていません。登録の用件として「100年以上の伝統があること」が必要になるからです。ただし、鹿児島県の県指定伝統的工芸品には認定されています。
薩摩切子は謎が多い?
実は、薩摩切子を復刻させる際には多くの謎が生まれたという話があります。
復刻のための資料を集めている過程で、薩摩切子は「多くの贈答品として贈られたはずなのに、現存しているものがほとんどない」という状態でした。製法に関する文書は一部残っていましたが、それでも詳細にはまだ謎に包まれている部分も多いそう。
例えば、今の時代の大阪のガラス企業の高い技術を持ってしても、厚い色付きガラスにカットを施すのはかなり難しかったという話があります。当時の工場の中は今よりも暗かったはずで、しかも職人たちが技を身につけた期間はわずか20年ほど。そんな条件下でどうやってあのような高い技術のカットを職人たちが施していたのか、それほどまでに職人たちの技術をどうやって高められたのか、いまだにわかっていないことも多いようです。
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