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「シベリア出兵」はなぜ起こった?ロシアの極東を望んだ日本の行く末を元大学教員が簡単に分かりやすく解説

よぉ、桜木建二だ。シベリア出兵が行われたのは1918年から1922年までのあいだ。日本、イギリス、フランス、イタリア、アメリカ、中国が共同で出兵したものだ。革命が起こったロシアに対する干渉の一種だ。しかし第一次世界大戦が終わったあとは日本軍だけの単独行動となる。

どうして日本はシベリア出兵に参加し、その地にとどまることにこだわったのだろうか。その真意や出兵後の状況について世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

ライター/ひこすけ

アメリカの歴史と文化を専門とする元大学教員。ロシアやソ連にも興味があり気になることがあると調べている。今回はたくさんの日本兵の犠牲者を出したシベリア出兵についてまとめてみた。

チェコ軍団の救出を目的とするのシベリア出兵

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1917年にロシアで革命が勃発。その際にとらわれたチェコ軍団を救うことがシベリア出兵の目的でした。革命により共産化の道を歩むロシアを封じ込めることも意図しています。ただ、それだけではありません。複数の思惑が重なり合ってシベリア出兵が行われました。

シベリア出兵のきっかけとなったロシア革命

ロシアは第一次世界大戦ではイギリスやフランスと同盟を結んドイツと戦っていました。1917年に2月革命、10月革命が相次いで起こり、レーニンが指導するボリシェヴィキの勢いが激化。最終的にロシア帝国は1918年に崩壊しました。そしてロシアは世界最初の社会主義国家となり、連合国とは一定の距離を保つようになります。

ボリシェヴィキ政権はドイツと講和条約を締結。第一次世界大戦から離れていきます。その結果ドイツは東部を気に掛ける必要がなくなり、西部戦線に集中できるようになりました。そこで連合国は、ドイツの目を西部戦線からそらすため、そしてボリシェヴィキ政権を打倒するために出兵することにしたのです。

第一次世界大戦後は日本軍の単独行動

イギリスとフランスが中心となり計画されたシベリア出兵。共産主義の封じ込めのほか、ロシア帝国時代の外積を守ることも狙いとしてありました。とはいえイギリスやフランスは西部戦線に戦力を集中しておりシベリアに出兵する余力はなし。そこで軍を派遣していないアメリカとロシアに地理的に近い日本に出兵が打診されました。

日本とアメリカはそれぞれ8000人ほどを派遣することで合意。日本が先陣を切ってウラジオストクに上陸しました。日本はアメリカとの協定を破って8000人を超える兵力を動員。第一次世界大戦により出兵の意義がなくなったあとも日本軍は駐留し続けました。もともとはウラジオストクまでという取り決め。しかし日本はそれを超えてバイカル湖の西部まで勢力を広げます。

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欧米諸国は日本に単独行動をすることを許さなかった。日本軍をコントロール不能になることを恐れたのだろう。しかし結果として日本軍は暴走。連合軍の取り決めを無視してシベリア出兵の規模を拡大させていく。おそらく領土を拡大させることが狙いだったのだろう。

シベリア出兵中の日本の実態

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軍隊の派遣規模を拡大させていった日本。しかしながら実際は現地の労働者や農民によるゲリラ戦により苦戦しました。日本の進軍に対してロシアのパルチザンが蜂起。大規模な戦闘が巻き起こることもありました。シベリア出兵の当初の目的は「チェコ軍団の救出」。日本軍にとってそれはまったく関係のないものでした。

\次のページで「シベリアにて苦戦する日本軍」を解説!/

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