ですが大和型の後継「武蔵」とは何が違うんでしょうな。
ここでは「大和」と「武蔵」の違いについて、歴史好きライターのおおつけと一緒に解説していきます。
ライター/おおつけ
現役システムエンジニア兼ライター。前職は貿易商社の営業マン。知らない言葉は徹底的に調べるクセがあり、独自の単語帳を作っている。日々たくわえた広い知識を、わかりやすく紹介していく。
建造所の違い
image by iStockphoto
日本海軍の超弩級戦艦(英国戦艦「ドレッドノート」を超える規模の戦艦)である「大和」と「武蔵」。当時の国力を結集し造り上げた巨大な戦艦は、太平洋戦争の悲しい歴史とともに今も海の底に眠っています。ここではまず建造所の違いから、姉妹艦であるこの2艦の歴史についてみていきましょう。
大和:海軍の呉工廠で建造
「大和」は海軍の呉工廠(現在の広島県呉市)で、大和型一番艦として建造されました。「大和」という艦名は昭和天皇がいくつかの候補が選んだと言われています。1940年8月に進水し、その後連合艦隊旗艦としてミッドウェー海戦をはじめいくつかの作戦に参加したものの、1945年4月に鹿児島県沖で米軍の攻撃により沈没しました。
こちらの記事もおすすめ

3分で簡単「昭和の日」なぜ制定された?みどりの日との関係は?昭和という元号や昭和天皇などについて歴史好きライターがわかりやすく解説
武蔵:長崎三菱造船所が建造
「武蔵」は長崎三菱造船所で大和型二番艦として建造されました。実は長崎三菱という民間企業により造られた船だったのです。「大和」より少し遅れて1940年11月に進水し、その後「大和」から連合艦隊旗艦任務を委任されました。山本五十六連合艦隊司令長官の遺骨移送任務にはじまり、マリアナ沖海戦などに参加しましたが、1944年10月に米軍の攻撃で沈没しました。
\次のページで「装備・内装・調度品の違い」を解説!/
