
今回は「アレクサンドロス大王」について東方遠征から、超大国への成長、そして、後継者争いまで歴史オタクのライターリリー・リリコと一緒にわかりやすく解説していきます。
- 1.「マケドニア」はどんな国?アレクサンドロス大王の本国
- マケドニアってどこ?何人の国なの?同じ名前の国があるよ?
- 父はギリシャを統一するコリントス同盟の盟主「フィリッポス2世」
- 父の意志を継げ!王道を突き進む「アレクサンドロス大王」
- 2.いざ「東方遠征」!アレクサンドロス大王の世界征服
- 最初の大敵!大国ペルシャと開戦
- 二番目の大戦場!数的不利を覆した「イッソスの戦い」
- ダレイオス3世の死とペルシャの滅亡
- さらに東へ!インドを目指したかった、が…
- 70か所以上!?植民地「アレクサンドリア」建設
- 病気?暗殺?アレクサンドロス大王の突然の死
- 3.アレクサンドロス大王の後継者は誰だ?「ディアドコイ戦争」
- もっとも強い者が後継者!?アレクサンドロス大王の遺言
- 勝者は誰?アレクサンドロス大王の後継者たち
- 世界征服を成し遂げた大英雄「アレクサンドロス大王」
この記事の目次

ライター/リリー・リリコ
興味本意でとことん調べつくすおばちゃん。座右の銘は「何歳になっても知識欲は現役」。大学の卒業論文は義経をテーマに執筆。大河ドラマや時代ものが好き。日本伝統芸能や文芸、文化に深い興味を持つ。歴史のなかでも特に古代の国家や文明に大きな関心を持つ。今回は古代ギリシャの有力国のひとつ「アレクサンドロス大王」についてまとめた。
1.「マケドニア」はどんな国?アレクサンドロス大王の本国
Giovanni Dall’Orto – 投稿者自身による著作物, Attribution, リンクによる
今回の主人公となる「アレクサンドロス大王(アレクサンドロス3世)」は紀元前356年、マケドニア王フィリッポス2世の息子として生まれました。家系はギリシャ神話のヘラクレスやアキレウスを祖先に持つ最高の名家です。
さらに、父・フィリッポス2世は、バルカン半島の弱小国家のひとつでしかなかったアルゲアス朝マケドニアをギリシャのアテナイやスパルタといったポリス(ギリシャ南部の都市国家)に引けを取らない強国へと成長させた名君でした。
神話につながる血筋であり、彼の父もまた神話に恥じない王として活躍するなか、アレクサンドロス大王本人もまた偉大なる王様となります。
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マケドニアってどこ?何人の国なの?同じ名前の国があるよ?
アレクサンドロス大王の生まれた「マケドニア」は紀元前7世紀ごろにギリシャ人によってつくられた国家です。地図でいうと、ギリシャの北部あたり。現在存在する北マケドニア共和国とは領土の一部は重なっているものの、別物ですから注意してくださいね。
南部のアテナイやスパルタとは同じギリシャ人ですが、彼らの築いたポリスの制度とは違い、マケドニアは王政を続けます。また、当時のギリシャはポリス間での争いはさることながら、 東方の強敵・アケメネス朝ペルシャの侵略もあり、争いの絶えない地でありました。
現在、マケドニアの地にある「北マケドニア共和国」は1991年にユーゴスラビア社会主義連邦共和国から独立したスラブ人の国です。首都スコピエはカトリックの聖人「マザー・テレサ」の出身地として知られる国でもあります。しかし、アレクサンドロス大王のマケドニアはギリシャ人の国家ですから、両国につながりはなく、まったく違う国となるのです。独立に関してはとても長くなってしまうので、これはまた今度。
父はギリシャを統一するコリントス同盟の盟主「フィリッポス2世」
紀元前5世紀の末に首都をペラに移して以来、王政以外の文化や芸術などギリシャ化を続けていたマケドニア。紀元前359年にアレクサンドロス大王の父・フィリッポス2世が即位し、彼の外交術や軍隊運営によってマケドニアを強国へと育て上げました。
しかも、当時のポリスはペロポネソス戦争(アテナイとスパルタを盟主とする二つの同盟間の戦争)により徐々に衰退している時期。フィリッポス2世はそれに乗じてアテナイ、テーベなど有力ポリスに戦争を仕掛け、ポリスの連合軍に勝利します。そうして、マケドニアはスパルタを除くポリスが加盟する「コリントス同盟」の盟主となったのでした。
父の意志を継げ!王道を突き進む「アレクサンドロス大王」
フィリッポス2世は外交や軍事に長けた王でしたが、アレクサンドロス大王も負けてはいません。まず、教師として13歳のアレクサンドロス大王に教えたのがかの哲学者「アリストテレス」。アレクサンドロス大王はアリストテレスから弁論術や文学、哲学を習ったとされています。
ポリスの連合軍と戦いにも従軍し、マケドニアの勝利に大いに貢献しました。そうして、20歳のころ、父・フィリッポス2世が暗殺されると、アレクサンドロス大王はその後を継いでマケドニアの王、そしてコリントス同盟の盟主となりました。つまり、彼はスパルタを除いたギリシャ国家の頂点に立ったのです。
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