猿楽、能、そして狂言へ
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本来の猿楽は、滑稽、卑俗、風刺的な寸劇の物真似です。それに対して狂言は能の合間に演じられていました。いわゆる息抜き的な役割。能と能の間で独立した劇が演じされました。そんな狂言は、優雅で荘重な能による緊張を和らげる効果をもっていました。
狂言における扮装の役柄
扮装はきわめて質素。鬼や狐のほかの面をつけません。舞台装置も設けず小道具もシンプル。演技は型が決まっていて様式化されていました。写実的でありながら儀式的な能に近い性格も持っていました。登場人物は生活や役割を持っているなど、シテ中心の能とは一線を画する演劇性もありました。
狂言でも主役はシテ。相手役は能と違いアドといいます。アドにはいろいろな役割がありました。能とは異なり歴史的な人物は登場せず、神さまも、恵比寿や大黒など庶民的な神さまのみ。それほど大きな権力がないのに偉ぶっている権力者である大名や小名などの地主などを誇張して描くこともありました。
狂言の流派や内容
能にはあるのは主に5流派。観世流、宝生流、金春流、金剛流、喜多流などです。喜多流は江戸時代に出現した新しい流派。いっぽう狂言には大蔵、和泉、鷺の3流派がありました。鷺は途絶えてしまいましたが今も大蔵と和泉は残っています。
『末広がり』は詐欺師に引っかかった男の話。主人に末広がりの扇を買いに行かされた男が詐欺師に騙され、高額な古傘を買ってきました。主人は怒りましたが、詐欺師が教えてくれた囃子もので主人の機嫌をなおすという内容です。『附子』もまた主人と使用人の話。主人が毒といっている附子を留守番中に食べてしまった使用人が、秘蔵の器をわざと壊して「死んでお詫びをしようと思い附子を舐めたのですが死ねませんでした」といって主人を降参させたという話です。
狂言の内容にはいろいろな種類があります。脇狂言は狂言の最初に演じて祝言をあらわすもの。大名狂言や小名狂言は名田を持つ大名の失敗談です。婿・女狂言は婿の失敗や強い妻などが登場するもの。強いはずの鬼や霊験あるはずの山伏が力を出せず笑われるものが鬼・山伏狂言です。出家・座頭狂言は高徳であるべき僧侶の失敗談、あるいは目が見えないがゆえにやってしまった座頭の間違いなどが演じられました。
長い歳月と社会の変化のなかで発展した猿楽
中国大陸から渡来した散楽が猿楽(申楽)となり、長い歳月と社会の変化のなかで能と狂言になりました。能と狂言は今でもお馴染みの伝統芸能。私たちからするとちょっと敷居が高いイメージすらありますよね。実は能や狂言も江戸時代までは猿楽と記されることも多かったのですが、嫌がられたのが「猿」という漢字。貴族たちの反感があり明治時代になると能楽に変更されました。もともとは猿楽として庶民に親しまれていた伝統芸能。権力者は伝統芸能を巧みに利用して自らの地位を確立していった一面もあるのでしょう。