なぜ立憲民主党は政権を取れない?考えられる原因を党の歴史とともに行政書士試験合格ライターが簡単にわかりやすく解説
野党第一党に躍進
2017(平成29)年10月に、民進党議員の中から希望の党との合流を望まないリベラル系の議員が集結。立憲民主党が結成され、党の代表には枝野幸男が就任しました。党の綱領は、民進党のものを踏襲したものが採用されています。「まっとうな政治」をスローガンとして、最低賃金の引き上げや原発ゼロなどを選挙公約に掲げました。
総選挙の結果、立憲民主党は希望の党を議席数で上回り、野党第一党に躍進。自公連立政権への対抗勢力として、徐々に存在感を示すようになります。しかし、2019(令和元)年の統一地方選挙や参議院選挙では、与党を脅かすまでには至らず。立憲民主党は党勢の拡大に苦心しました。
旧国民民主党と合流
民進党から立憲民主党にも希望の党にも行かず、民進党所属議員としてしばらく活動していたグループも、2018(平成30)年に希望の党と合流。国民民主党が結成されました。国民民主党は、やがて立憲民主党との連携を図るようになります。しかし、協議はなかなかまとまりませんでした。
2党の合流は、2020(令和2)年になり実現します。しかし、国民民主党の一部は合流に応じずに、国民民主党のまま活動を続けました。そして、2021(令和3)年の総選挙を迎えましたが、特に比例区で立憲民主党は苦戦します。結局、代表の枝野をはじめとする党の幹部らは、責任を取って役員を辞任しました。
こちらの記事もおすすめ
3分で簡単「国民民主党」なぜ立憲民主党と分裂?党の成り立ちや政策などを行政書士試験合格ライターがわかりやすく解説
泉健太代表時代
ここからは、泉健太が代表になってからの立憲民主党を見てみることにしましょう。
総選挙で振るわず枝野が辞任
2021(令和3)年の総選挙で、民主党は思うような成果を得られませんでした。僅差で敗れた選挙区は少なくなく、それを善戦と捉えることもできますが、小選挙区制では1名しか当選できません。トップの得票数を獲得できない限りは、全て負けとなるのです。党執行部が辞任したのも仕方がないでしょう。
枝野幸男が党代表を辞任する意向を受けて、立憲民主党では代表選挙が行われました。4人が立候補しましたが、当選したのは最も若い泉健太でした。さらに、泉は党の役員に女性を多く登用。ジェンダー平等を公約の1つに掲げている立憲民主党らしい人選といえるでしょう。
\次のページで「参院選や統一地方選挙でも苦戦」を解説!/