今回扱うのは「立憲民主党」です。

2017年と2020年の衆議院総選挙で、野党第一党となったのが立憲民主党です。しかし、立憲民主党に失望するという意見が後を絶たない。なぜそんなことが起きてしまうのでしょうか。

立憲民主党が政権を取れない原因を、立憲民主党の歴史とともに現代日本史に詳しいライターのタケルと一緒に解説していきます。

ライター/タケル

資格取得マニアで、士業だけでなく介護職員初任者研修なども受講した経験あり。現在は幅広い知識を駆使してwebライターとして活動中。

立憲民主党が結成されるまで

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まずは、立憲民主党が結成されるまでの歴史を簡単に振り返ってみましょう。

民主党から民進党へ

2009(平成21)年に行われた総選挙で民主党が大勝して政権交代を実現させます。しかし、ほぼ1年おきに鳩山由紀夫・菅直人・野田佳彦と首相が交代した挙げ句、2012(平成24)年の総選挙で民主党は敗れました。辛うじて野党第一党の座は守りましたが、与党となった自由民主党とは大きく議席数が離される結果となっています。

その後の選挙でも、民主党は苦戦しました。そこで、党勢回復のために、維新の党との合流を画策します2016(平成28)年に2党の合流が合意に達し新しい党名を民進党とすることが決定しました。それにより、政権を失ってからわずか4年で民主党は消滅することとなったのです。

希望の党とは合流せず

2016(平成28)年に民進党が結成され党の代表に岡田克也が就任します。しかし、国政選挙や東京都知事選挙で思うような成果を得られなかったため、岡田は辞任しました。その後に代表となったのが憲政史上2人目の女性党首となった蓮舫でした。それでも民進党は選挙で苦戦が続き、蓮舫も1年で代表から退きます。

蓮舫の後に民進党代表となった前原誠司は東京都知事の小池百合子が率いる希望の党との連携を模索しました。ですが、希望の党側が民進党全体との合流を望まないことがわかると、状況が一変。民進党から離脱する者が続出しました離脱者の中から結成されたのが立憲民主党だったのです

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枝野幸男代表時代

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次に、立憲民主党が旗揚げされてから、初代の代表である枝野幸男が辞任するまでの様子を見てみましょう。

野党第一党に躍進

2017(平成29)年10月に民進党議員の中から希望の党との合流を望まないリベラル系の議員が集結立憲民主党が結成され党の代表には枝野幸男が就任しました。党の綱領は、民進党のものを踏襲したものが採用されています。「まっとうな政治」をスローガンとして、最低賃金の引き上げや原発ゼロなどを選挙公約に掲げました。

総選挙の結果立憲民主党は希望の党を議席数で上回り野党第一党に躍進。自公連立政権への対抗勢力として、徐々に存在感を示すようになります。しかし、2019(令和元)年の統一地方選挙や参議院選挙では与党を脅かすまでには至らず。立憲民主党は党勢の拡大に苦心しました。

旧国民民主党と合流

民進党から立憲民主党にも希望の党にも行かず、民進党所属議員としてしばらく活動していたグループも、2018(平成30)年に希望の党と合流。国民民主党が結成されました。国民民主党はやがて立憲民主党との連携を図るようになります。しかし、協議はなかなかまとまりませんでした。

2党の合流は2020(令和2)年になり実現します。しかし、国民民主党の一部は合流に応じずに、国民民主党のまま活動を続けました。そして、2021(令和3)年の総選挙を迎えましたが特に比例区で立憲民主党は苦戦します。結局、代表の枝野をはじめとする党の幹部らは責任を取って役員を辞任しました

泉健太代表時代

ここからは、泉健太が代表になってからの立憲民主党を見てみることにしましょう。

総選挙で振るわず枝野が辞任

2021(令和3)年の総選挙で民主党は思うような成果を得られませんでした。僅差で敗れた選挙区は少なくなく、それを善戦と捉えることもできますが、小選挙区制では1名しか当選できません。トップの得票数を獲得できない限りは、全て負けとなるのです。党執行部が辞任したのも仕方がないでしょう。

枝野幸男が党代表を辞任する意向を受けて立憲民主党では代表選挙が行われました4人が立候補しましたが当選したのは最も若い泉健太でした。さらに、泉は党の役員に女性を多く登用。ジェンダー平等を公約の1つに掲げている立憲民主党らしい人選といえるでしょう。

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参院選や統一地方選挙でも苦戦

2022(令和4)年の参議院選挙に立憲民主党から選挙区と比例代表で合わせて50名以上が立候補しました。目標としたのは、改選となる23議席よりも多い議席数の獲得。しかし、与党の自由民主党や野党第二党の日本維新の会が議席数を増やしたのに対して、立憲民主党は議席数を減らしました野党第一党の座を守るのがやっとでした

2023(令和5)年の統一地方選挙でも立憲民主党は成果を得られたとはいえません。県議会議員選挙や市議会議員選挙では、一定数の議席数を確保できました。しかし、同時に行われた衆議院と参議院の補欠選挙では全敗3名の公認候補を送り込んだ立憲民主党は1議席も獲得できませんでした

なぜ立憲民主党は政権奪取できないのか?

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では、なぜ立憲民主党は政権奪取できないのでしょうか。ここでは、理由を3つに絞って紹介していきます。

与党への的外れな批判

立憲民主党に向けられる意見には、「政府を批判してばかり」「批判が的外れ」といったものがあります。確かに政府を批判するのは野党の役目の1つではあるものの立憲民主党からの政府批判はあまり評価されていません。今の立憲民主党へ政権交代することに、不安を覚える人が少なくないのです。

たとえば、岸田首相の襲撃事件では谷国家公安委員長の発言が批判の的となりました。事件の知らせを聞いた後に「うな丼はしっかり食べた」という、呑気とも取られかねない発言をしたからです。立憲民主党は発言を繰り返し批判しましたがむしろ警備体制の不備を追及すべきとの意見が続出して「うな丼大臣批判」は的外れと評価されました

他の野党と連携が取れていない

2021(令和3)年の衆議院総選挙では自民党が単独で絶対安定多数を確保しました。これは、議院運営委員会に自民党から多数の委員を送り込んでも、採決で常に過半数確保できることを意味します。そういった現実がある以上、立憲民主党は他の野党と連携しなければ次の総選挙で与党に対抗しようがありません

しかし、野党第一党の立憲民主党と野党第二党である日本維新の会は連携がうまくいっていないのが現状ですもとは源流を同じとする国民民主党とも協力関係が築けていません。先の総選挙では共産党との連携が図れていましたが、中道寄りの立憲民主党支持者が離れる結果となりました。

選挙に候補者を擁立していない

立憲民主党は野党第一党なので政権交代を目指すことが至上命題となります。そのため、政権交代が実現させるためのプロセスを踏むのは当然でしょう。しかし、立憲民主党が近年臨んだ選挙を振り返ると本当に政権交代を狙っているのかと疑われても不思議ではありません

2021(令和3)年の衆議院総選挙は改選数が465でしたその時に立憲民主党が出した立候補者数は240で改選数の半分をやや上回ったに過ぎません。小選挙区と比例区の重複候補者が多かったとはいえ、政権交代を目指すには少ないという印象を持つ人も多いでしょう

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立憲民主党が政権を奪取するために必要なことは?

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ならば、立憲民主党が政権を奪取するにはどうすれば良いのでしょうか。

1.現実的な対案の提示

「立憲民主党は与党に反対してばかりで対案を出さない」などといった意見を目にした人もいるでしょう。実際には入管法改正案の対案を提出するなどが行われているため立憲民主党が全く対案を提出しないという指摘は正しくありません。日本維新の会などと共同で、感染症法の対案を提出したこともありました。

しかし、立憲民主党が対案を提出したところで政府提出案にほとんど影響は出ていません。実現可能でかつ効果的な対案でないと、相手にされないからです。政府の批判をするのが野党の役目といえますが現実的な対案を提示してから批判しないと有権者からも相手にされなくなるでしょう

2.具体的な連立政権構想

もちろん立憲民主党が選挙で単独過半数となり、政権を手にするのがベストです。しかし、立憲民主党が自民党に議席数で大きく引き離されているという現実がある以上は他の野党との連携を考えなければいけません日本維新の会や国民民主党などとの連立政権構想は今考えられる政権交代の方法の1つでしょう

しかし、立憲民主党と日本維新の会との連携は、順調とはいえません。党の成り立ちを考えると、国民民主党とも連携が難しい状況です。次の総選挙で一定数の議席数を確保できなければ党執行部の責任問題となるのは当然ですがそれよりも実現性が高いであろう野党共闘による政権交代を目指すべきではないでしょうか

3.選挙で戦える人材の確保

近年は国政選挙の投票率が低いため、一般市民の政治への関心は低いと考えがちですが、有権者は政党や政治家をよく見ているものです。ひとたび不祥事や失言などがあろうものなら、たちまち有権者やマスコミから糾弾されるでしょう。そもそも、投票率の低下は政治への関心の薄さだけでなく政治不信が形となって現れたからでもあるのです

もし立憲民主党が真剣に政権奪取を望むならほぼ全ての選挙区で立候補者を擁立すべきではないでしょうか。そうでもしないと、有権者から立憲民主党の本気が伝わらないからです。よって、あらかじめ選挙で戦える人材を確保しておくべきでしょうそれが難しいのなら他党との連携を模索すべきです

抜本的な改革を断行しなければ立憲民主党の未来はない

民主党から民進党を経て2017年に結成された立憲民主党は、2度の総選挙で野党第一党を維持しました。しかし、政府への批判ばかりなどと立憲民主党を批判する声も多く、政府奪取を期待されている状況とはいえません。具体的な対案の提示や選挙で多くの候補者を擁立することがなければ、有権者からの期待を得られないはずです。抜本的な改革を断行しなければ、立憲民主党に未来はないでしょう。

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現代社会

なぜ立憲民主党は政権を取れない?考えられる原因を党の歴史とともに行政書士試験合格ライターが簡単にわかりやすく解説

枝野幸男代表時代

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次に、立憲民主党が旗揚げされてから、初代の代表である枝野幸男が辞任するまでの様子を見てみましょう。

野党第一党に躍進

2017(平成29)年10月に民進党議員の中から希望の党との合流を望まないリベラル系の議員が集結立憲民主党が結成され党の代表には枝野幸男が就任しました。党の綱領は、民進党のものを踏襲したものが採用されています。「まっとうな政治」をスローガンとして、最低賃金の引き上げや原発ゼロなどを選挙公約に掲げました。

総選挙の結果立憲民主党は希望の党を議席数で上回り野党第一党に躍進。自公連立政権への対抗勢力として、徐々に存在感を示すようになります。しかし、2019(令和元)年の統一地方選挙や参議院選挙では与党を脅かすまでには至らず。立憲民主党は党勢の拡大に苦心しました。

旧国民民主党と合流

民進党から立憲民主党にも希望の党にも行かず、民進党所属議員としてしばらく活動していたグループも、2018(平成30)年に希望の党と合流。国民民主党が結成されました。国民民主党はやがて立憲民主党との連携を図るようになります。しかし、協議はなかなかまとまりませんでした。

2党の合流は2020(令和2)年になり実現します。しかし、国民民主党の一部は合流に応じずに、国民民主党のまま活動を続けました。そして、2021(令和3)年の総選挙を迎えましたが特に比例区で立憲民主党は苦戦します。結局、代表の枝野をはじめとする党の幹部らは責任を取って役員を辞任しました

泉健太代表時代

ここからは、泉健太が代表になってからの立憲民主党を見てみることにしましょう。

総選挙で振るわず枝野が辞任

2021(令和3)年の総選挙で民主党は思うような成果を得られませんでした。僅差で敗れた選挙区は少なくなく、それを善戦と捉えることもできますが、小選挙区制では1名しか当選できません。トップの得票数を獲得できない限りは、全て負けとなるのです。党執行部が辞任したのも仕方がないでしょう。

枝野幸男が党代表を辞任する意向を受けて立憲民主党では代表選挙が行われました4人が立候補しましたが当選したのは最も若い泉健太でした。さらに、泉は党の役員に女性を多く登用。ジェンダー平等を公約の1つに掲げている立憲民主党らしい人選といえるでしょう。

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