江戸時代の終わりに流行した世直し運動を知っているか。踊り狂い「ええじゃないか」と叫びながら市中を練り歩く、そんな民衆運動が流行した。「ええじゃないか」と踊り狂うだけで政治的なメッセージはなし。どんな世直しをしたいのかも全く発せられていない。どうして幕末にそんな民衆運動が起こって広がっていったのでしょうか。

そこで「ええじゃないか」が大流行した理由やその時代背景、その後の影響などを日本史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していきます。

ライター/ひこすけ

アメリカの歴史と文化を専門とする元大学教員。日本の文化にも興味があり、気になることがあると調べている。今回は時代劇でもよく登場する「ええじゃないか」についてまとめてみた。

「ええじゃないか」とはどんな運動?

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河鍋暁斎 - 国立国会図書館デジタルコレクション, パブリック・ドメイン, リンクによる

日本の江戸時代末期、慶応3年の夏から冬にかけて大流行した民衆運動を「ええじゃないか」と言います。この民衆運動は、近畿、四国、東海地方などの西日本で広がっていきました。「ええじゃないか」は江戸幕府が権力として機能していないことを露呈させ、討幕を後押ししたとも言われています。

「ええじゃないか」の発端は噂話

「ええじゃないか」は噂話が広がることで熱気を帯びるようにしなりました。その噂話とは、天からお札が降ってくる、それは慶事の前触れだというものです。慶事とはめでたいことなどの意味を持つ言葉。それを前もって祝うために「ええじゃないか」と民衆は踊り狂ったのです。

このとき民衆は派手な着物を着て仮装。なかには女装をする男性もいました。「ええじゃないか」は囃子言葉。歌をひきたてたり、活気づけたりするために入れる「合いの手」のようなものです。そんな合いの手を叫びながら人々は集団で市中を練り歩きました。

「ええじゃないか」は小さな村でも発生

「ええじゃないか」が起こると、人々は1日中さらに続くと一週間のあいだ飲まず食わずで踊り狂いました。そうなると市中は完全にカオス。人々はどさくさに紛れて無銭飲食を繰り返し、正常な生活を営むことは不可能な状態になりました。そのため「ええじゃないか」は幕末の政治不安を象徴する出来事となったのです。

時代劇などで「ええじゃないか」が登場するのは主に大都市。江戸は大阪など人々が密集するエリアが舞台とされていることも多いでしょう。ところが実際は西日本限定。城下町よりも人口密度の小さいエリアが舞台となることも。今で言うところの田舎で「ええじゃないか」が流行することもありました。

気が付いたら始まる「ええじゃないか」

image by PIXTA / 72592455

「ええじゃないか」は特定のリーダーの合図で始まるわけではありません。主に西日本の各地で自然発生的に起こったとも言われています。一般に知られていない小さな村落でも発生。「合いの手」の内容の違いはあるものの、発生する経緯にはある程度の共通点がありました。

お札が降ったら「ええじゃないか」スタート

どこからともなくお札が舞い降りてくると「ええじゃないか」のスタート。お札が降るのは神社や家々で、それと共に人々は、家に祭壇を設けてお札をかざり、人々にお酒をふるまいました。そのときにふるまわれるお酒を目当てに人々が集まり、飲むや食べるやの大騒ぎ。この先300年は大豊作とお祝いモードに突入しました。

とはいえ「ええじゃないか」はエスカレートすることも多々ありました。民家に押し入りお酒を強要。勝手に家の物を持ち去ることも少なかったようです。どさくさに紛れて犯罪が行われていた、それも「ええじゃないか」の一面でした。

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「ええじゃないか」の歌詞は地域ごとに変化

「ええじゃないか」の歌詞は各地でアレンジが加えられました。そのため地域ごとに伝わっている歌詞は異なっています。基本は「ヨイジャナイカ」もしくは「エイジャナイカ」。淡路では「今年は世直りええじゃないか」と変化。阿波になるとさらにアレンジが加わり「日本国の世直りはええじゃないか、豊年踊はお目出たい」となりました。

また、卑猥な意味の言葉が含められることも。たとえば「おまえも蛸なら、わしも蛸、たがひに吸付きゃエジャナイカエジャナイカ」。これは人間を蛸になぞらえている程度ですが、もっと露骨なものもありました。それを性的な開放と解釈することもありますが、確実に風紀は乱れたことでしょう。そのほか、西宮では「物が安うなる、えじゃないか」と、物価が安くなることを喜ぶパターンの歌詞も作られています。

豊橋は「ええじゃないか」の始まりの地?

Le Temple Shintô Muro-hachiman-gû - Le haiden (La construction du culte).jpg
Yanajin33 - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0, リンクによる

「ええじゃないか」がいつどこで始まったのか、そのルーツを明確にすることはできません。伊勢神宮に参拝する御蔭参りと結びつける見方もありますが、独特のかけ声は「ええじゃないか」のオリジナル。そのうえで愛知県豊橋市のあたりにルーツがあるという見方を紹介します。

発祥の神社とされる牟呂八幡宮

発祥の神社とされるのが牟呂八幡宮。最初にお札が舞ったのは多治郞屋敷。続いて天王社のなかにある樹にお札が舞いました。そして夜。中村の普仙寺にある秋葉山石灯籠にお札が舞います。そこで村の重鎮たちば会合を開き、祭事を開くことを決定しました。

祭事の場となったのが牟呂八幡宮です。そこで人々にふるまわれたのがお酒。酔っ払った人々は豊年の古歌を歌いながら踊りたわむれました。お札が降ってくるという出来事はその後も起こり、そのたびに神社では祭事が行われました。芝居や狂言が行われるなど規模が拡大していったそうです。

岩倉具視が記載する京都の「ええじゃないか」

牟呂八幡宮におけるお札騒動の際は「ええじゃないか」というかけ声は無し。村の重鎮や神社の管理のもと行われた祭事とされています。私たちが思い描く狂乱とはちょっと違いますよね。実は、いわゆる狂乱的な「ええじゃないか」の始まりは京都とする見方も。それは明治維新の立役者である政治家、岩倉具視の『岩倉公実記』のなかにある記述が根拠となっています。

岩倉具視は、京都にてお札がまかれて「ヨイジャナイカ」と人々が乱舞する騒動があったことを『岩倉公実記』のなかで記載。王政復古の大号令が発動するまでその騒動は続いたと記しています。それに従うと「ええじゃないか」と連呼するパターンが形作られたのは京都。それが明治維新の直前まで続いたということになります。

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百姓一揆と「ええじゃないか」の違い

image by PIXTA / 93478763

江戸時代に起こった民衆運動というと百姓一揆を思い浮かべる方が多いと思います。しかしながら「ええじゃないか」と百姓一揆の性質は全く別。「ええじゃないか」は政治的なメッセージがないにも関わらず政治を動かしたと言ってもいいでしょう。そこで二つの民衆運動を比較してみたいと思います。

百姓一揆は待遇の改善を訴える騒動

百姓一揆を行うのは主に百姓。百姓一揆が発生するのは当然のことながら農村でした。そこで訴えられたのは年貢の減免。米の不作により定められた年貢を納めることが難しい、村の役人が不正しているので変えて欲しい。そういうことが百姓一揆が起こるきっかけとなりました。

百姓一揆は言葉ではなく騒動を起こすことで待遇の改善を要求。たとえば領主に直訴することもありましたが、それでも通らないときは村役人らを襲うこともありました。とくに大きな飢饉のあとの生活苦から発生することが目立ちました。

「ええじゃないか」はお参りの延長?

それに対して「ええじゃないか」は待遇改善などの具体的なメッセージはありません。また、自然発生的に起こってることが多く、組織や指導者も存在していません。人々が集まってすることは、踊る、騒ぐ、飲む、食べるなど。治安が悪くなるものの、基本的にはお祭りの延長上のような雰囲気でした。

そのため「ええじゃないか」は民衆運動ではなくお参りの一種とする見方もあります。昔から日本では普段どおりの日常を「ケ」、お祭りや年中行事をする「ハレ」を区分。日常と非日常を区分して考えていました。その「ハレ」が過激化したのが「ええじゃないか」。だからこそ無礼講が横行したとも言えます。

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大政奉還を後押ししたとされる「ええじゃないか」

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不明 - 1. From the arabic Wikipedia [1] 2. Japanese class [2], パブリック・ドメイン, リンクによる

「ええじゃないか」は自然発生的に起こった騒動とされることが大多数。とはいえ江戸幕府を倒すことを目的とする影の首謀者がいると言われることもあります。そうでなければ、どうして突然にお札が舞うのか説明できません。人々を扇動するために誰かがきっかけを作ったという見方を紹介します。

岩倉具視が「ええじゃないか」を扇動した?

幕末の上層部は幕府派と倒幕派に二分。そんな世の中に不満が増幅し、地方ではお札が降ってきたことを口実に食べ物やお酒を「たかる」行為が頻発していました。それが「ええじゃないか」の始まりとされています。この時点では「ええじゃないか」のかけ声はなし。それに対して岩倉具視は京都で起こった騒動でかけ声があったこと、それが明治維新まで続いたことを記しています。

つまり京都が「ええじゃないか」で混乱している最中、大政奉還と王政復古が行われたということ。こうした状況から岩倉具視がスムーズに討幕をすすめるために民衆を扇動したという説があります。

岩倉具視は王政復古が実現したことで「ええじゃないか」は終わったとも記載。実際はそうではありません。王政復古を悲願としていた岩倉は、扇動まではしていなくても、それが民衆の望みというストーリーを創造したとは言えるでしょう。

坂本龍馬は「ええじゃないか」の混乱のなか殺された

「ええじゃないか」はあくまで幕末の民衆運動であり、坂本龍馬との関わりはあまり語られません。ところが実は、坂本龍馬は刺客の目を逃れるために、化粧をほどこして移動をしていたという話があります。いわゆるコスプレですね。

坂本龍馬に限らず、この時期の市中には、幕府派と討幕派の手による刺客がうろうろしていました。そんな刺客が身をひそめるためにも「ええじゃないか」の混乱は便利だったのです。

坂本龍馬を暗殺した人物は確定していません。見回り組のひとりによるものという説が濃厚ですが、具体的に誰であるのかはなぞ。刺客は「ええじゃないか」の騒動に紛れて逃げてしまったので、捕まえることができなかったのです。幕府派の手によるもの、あるいは坂本龍馬が邪魔になった内輪によるもの、今でもさまざまな説がありますが、黒幕は永遠の謎となってしまいました。

謎が深まる「ええじゃないか」

「ええじゃないか」は、はじまったきっかけも不明、お札を撒いた人も不明。伊勢信仰とのかかわり、単なる「たかり」行為、幕末志士による陰謀と、さまざまな説がありますが、今でも決定的な説はありません。とはいえ、現在たびたびニュースで取り上げられるハロウィンの時期に発生する狂騒と相通じるところもある「ええじゃないか」。今の時代とも通じるところも多いので、ぜひ自由になんで起こったのか考察してみてもいいかもしれません。

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幕末日本史江戸時代

江戸時代の民衆が乱舞した「ええじゃないか」とは?発祥や激動の時代背景を元大学教員が簡単にわかりやすく解説

江戸時代の終わりに流行した世直し運動を知っているか。踊り狂い「ええじゃないか」と叫びながら市中を練り歩く、そんな民衆運動が流行した。「ええじゃないか」と踊り狂うだけで政治的なメッセージはなし。どんな世直しをしたいのかも全く発せられていない。どうして幕末にそんな民衆運動が起こって広がっていったのでしょうか。

そこで「ええじゃないか」が大流行した理由やその時代背景、その後の影響などを日本史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していきます。

ライター/ひこすけ

アメリカの歴史と文化を専門とする元大学教員。日本の文化にも興味があり、気になることがあると調べている。今回は時代劇でもよく登場する「ええじゃないか」についてまとめてみた。

「ええじゃないか」とはどんな運動?

EeJaNaiKaScene.jpg
河鍋暁斎国立国会図書館デジタルコレクション, パブリック・ドメイン, リンクによる

日本の江戸時代末期、慶応3年の夏から冬にかけて大流行した民衆運動を「ええじゃないか」と言います。この民衆運動は、近畿、四国、東海地方などの西日本で広がっていきました。「ええじゃないか」は江戸幕府が権力として機能していないことを露呈させ、討幕を後押ししたとも言われています。

「ええじゃないか」の発端は噂話

「ええじゃないか」は噂話が広がることで熱気を帯びるようにしなりました。その噂話とは、天からお札が降ってくる、それは慶事の前触れだというものです。慶事とはめでたいことなどの意味を持つ言葉。それを前もって祝うために「ええじゃないか」と民衆は踊り狂ったのです。

このとき民衆は派手な着物を着て仮装。なかには女装をする男性もいました。「ええじゃないか」は囃子言葉。歌をひきたてたり、活気づけたりするために入れる「合いの手」のようなものです。そんな合いの手を叫びながら人々は集団で市中を練り歩きました。

「ええじゃないか」は小さな村でも発生

「ええじゃないか」が起こると、人々は1日中さらに続くと一週間のあいだ飲まず食わずで踊り狂いました。そうなると市中は完全にカオス。人々はどさくさに紛れて無銭飲食を繰り返し、正常な生活を営むことは不可能な状態になりました。そのため「ええじゃないか」は幕末の政治不安を象徴する出来事となったのです。

時代劇などで「ええじゃないか」が登場するのは主に大都市。江戸は大阪など人々が密集するエリアが舞台とされていることも多いでしょう。ところが実際は西日本限定。城下町よりも人口密度の小さいエリアが舞台となることも。今で言うところの田舎で「ええじゃないか」が流行することもありました。

気が付いたら始まる「ええじゃないか」

image by PIXTA / 72592455

「ええじゃないか」は特定のリーダーの合図で始まるわけではありません。主に西日本の各地で自然発生的に起こったとも言われています。一般に知られていない小さな村落でも発生。「合いの手」の内容の違いはあるものの、発生する経緯にはある程度の共通点がありました。

お札が降ったら「ええじゃないか」スタート

どこからともなくお札が舞い降りてくると「ええじゃないか」のスタート。お札が降るのは神社や家々で、それと共に人々は、家に祭壇を設けてお札をかざり、人々にお酒をふるまいました。そのときにふるまわれるお酒を目当てに人々が集まり、飲むや食べるやの大騒ぎ。この先300年は大豊作とお祝いモードに突入しました。

とはいえ「ええじゃないか」はエスカレートすることも多々ありました。民家に押し入りお酒を強要。勝手に家の物を持ち去ることも少なかったようです。どさくさに紛れて犯罪が行われていた、それも「ええじゃないか」の一面でした。

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