ドイツヨーロッパの歴史世界史

ユダヤ人を強制収容所から救った「シンドラー」とは?生い立ちや仕事、救済活動の全容を元大学教員が簡単にわかりやすく解説

オスカー・シンドラーはオーストリアで生まれたドイツの実業家。第二次世界大戦中、自分の工場で働いていたユダヤ人を強制収容所から救い出したことでも知られている。ナチス党員であったシンドラーはどうして考え方を変えたのでしょうか。

シンドラーの生い立ちや実業家としての顔、ユダヤ人を救出するまでの経緯などを、世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していきます。

ライター/ひこすけ

アメリカの歴史と文化を専門とする元大学教員。気になることがあったらいろいろ調べている。今回は第二次世界大戦中にユダヤ人を強制収容所から救ったシンドラーについてまとめてみた。

オスカー・シンドラーとはどのような人物?

The town of Mikulov
By RomanM82Own work, CC BY-SA 3.0, Link

オスカー・シンドラーは、1908年4月28日にオーストリアに生まれて1974年10月9日に亡くなったドイツ人の実業家です。若いころは苦労も多かったシンドラーですが事業に成功。莫大な財を築きました。工場で働いていたユダヤ人労働者をナチス・ドイツのホロコーストから救ったことで広く知られるようになります。

裕福な家に生まれたシンドラー

シンドラーの父親が営んでいたのは農機を製造する工場。経営者だったこともあり一家は裕福な暮らしをしていました。父と母は共にカトリック教徒。とはいえシンドラーは信仰心はまったくありませんでした。また、小さいころからユダヤ人の子どもと遊ぶなど、家のしきたりにはとらわれない生活をしていました。

そのような家に生まれたこともありシンドラーは順調に進学。ツヴィッタウ国民学校、実科学校、上級実科ギムナジウムへと進みました。ただ、シンドラーは素行が悪く成績もイマイチ。成績証明書を改ざんしたことがバレて退学となりました。

学校や会社を転々していた若き日のシンドラー

商業学校に通ったあと、電気関係の会社に勤めたりオートバイの学校に通ったりフラフラと生活をしていたシンドラー。徴兵により軍隊生活を送り、勤務期間が終わったあとも残留。オートバイの腕を活かしてレースに出場しながら、最終的に備役下級伍長になりました

徴兵中に知り合ったのが妻となるエミリー。裕福な農場経営者の娘でした。妻とのあいだには子どもは恵まれず。そこでシンドラーは秘書として雇っていた女性とのあいだに二人の子どもをもうけます。エミリーとは夫婦円満とは言えず、戦後は別居生活となりますが、離婚することはありませんでした。

シンドラーについて知るうえでエミリーの存在を忘れてはならないでしょう。ユダヤ人の救出はシンドラー個人ではできないこと。これからシンドラーがどうやってユダヤ人を強制収容所から助けたのか解説しますが、オスカーひとりではなくエミリーと一緒にやったと考えて欲しいです。

ナチス党員だった過去があるシンドラー

Bundesarchiv B 145 Bild-P049500, Berlin, Aufmarsch der SA in Spandau.jpg
By Bundesarchiv, B 145 Bild-P049500 / CC-BY-SA 3.0, CC BY-SA 3.0 de, Link

ユダヤ人を大量虐殺から救ったことで知られているシンドラーですが、実はナチス党員として活動していた時期があります。しかしながら彼のナチス党員としての活動には思想性はほとんどなく、ビジネスチャンスを狙ったものでした。

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