3分でわかる「イラン」と「イラク」の違い!ルーツや宗教・文化も元塾講師が詳しく解説!
ライター/yêuthuquá
海外在住。現在の仕事を始める前は教育関係の仕事に従事。国内外を問わず身につけた知識や経験をもとにわかりやすくお届けする。
「イラン」:ペルシャ
1934年までペルシャだった国が改名して現在の「イラン」となりました。詳細は次に挙げますが、「イラン」は中東にありながらペルシャ人がメインの国なのです。
【基本情報】
国名:イラン・イスラム共和国
首都:テヘラン
人口:約8,600万人
面積:約1,650万平方キロメートル
民族:ペルシャ人
公用語:ペルシャ語
「イラク」:アラブ
一方、「イラク」はアラブ人による国で、「イラン」とは民族や公用語が異なります。「イラク」が位置するのはメソポタミア文明発祥の地です。
【基本情報】
国名:イラク共和国
首都:バグダッド
人口:約4,100万人
面積:約44万平方キロメートル
民族:アラブ人、クルド人
公用語:アラビア語、クルド語
イラン・イラク戦争
image by iStockphoto
「イラン」と「イラク」は民族の違いなどから仲がいい国ではありませんでしたが、サダム・フセイン政権誕生後に、イラン・イラク戦争が始まりました。その詳細を見ていきましょう。
シーア派とスンニ派による宗教の対立
イラン・イラク戦争の根底にあるのは何なのでしょうか。一見すると民族同士の対立にも見えなくもありません。また、これまで触れてきませんでしたがどちらもイスラム教の国です。しかし、実は宗教上の理由で両者は対立していました。
イスラム教の中にも宗派があり、「イラン」はシーア派が政権を握り、「イラク」はスンニ派が政権を握っていました。1979年にシーア派のホメイニ師を最高指導者と仰ぎ現在のイラン・イスラム共和国が成立します。この革命が広がることを恐れた周辺のスンニ派政権の国が同じスンニ派政権だったイラクを後押しする形で戦争が起こりました。
表面上は宗教上の対立ではありますが、それに加え経済的な理由も対立を深めることとなったのです。サウジアラビアの油田地帯に住んでいるシーア派が経済的に豊かなことに対してスンニ派が不満を持っていたことも重なり、両者の対立が深くなっていきました。
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現在の関係
1991年に起こった湾岸戦争を機に、イラク国内は混乱が続き、2003年アメリカの武力行使でフセイン政権は崩壊します。フセイン政権の崩壊により、イラク国内ではシーア派が政権を握りますが、今でもイラク国内は政情不穏のままです。
一方、イランはホメイニ師の死後もシーア派による政権が続いています。現在では、シーア派による革命が広がることを心配している周辺のアラブ諸国とイランの対立という構図です。
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