この記事では「イラン」と「イラク」の違いをみていきます。どちらの国も中東にあるのは知っていますね。同じような文化や宗教の国がいくつかあるように思えるが、「イラン」と「イラク」の違いはどこにあるのでしょうか。その違いを元塾講師のyêuthuquáと一緒に詳しく解説していきます。

ライター/yêuthuquá

海外在住。現在の仕事を始める前は教育関係の仕事に従事。国内外を問わず身につけた知識や経験をもとにわかりやすくお届けする。

「イラン」と「イラク」の違い

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まず、「イラン」と「イラク」の違いがどこにあるのか、また両国の基本情報を確認していきましょう。

「イラン」:ペルシャ

1934年までペルシャだった国が改名して現在の「イラン」となりました。詳細は次に挙げますが、「イラン」は中東にありながらペルシャ人がメインの国なのです。

【基本情報】
国名:イラン・イスラム共和国
首都:テヘラン
人口:約8,600万人
面積:約1,650万平方キロメートル
民族:ペルシャ人
公用語:ペルシャ語

「イラク」:アラブ

一方、「イラク」はアラブ人による国で、「イラン」とは民族や公用語が異なります。「イラク」が位置するのはメソポタミア文明発祥の地です。

【基本情報】
国名:イラク共和国
首都:バグダッド
人口:約4,100万人
面積:約44万平方キロメートル
民族:アラブ人、クルド人
公用語:アラビア語、クルド語

イラン・イラク戦争

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「イラン」と「イラク」は民族の違いなどから仲がいい国ではありませんでしたが、サダム・フセイン政権誕生後に、イラン・イラク戦争が始まりました。その詳細を見ていきましょう。

シーア派とスンニ派による宗教の対立

イラン・イラク戦争の根底にあるのは何なのでしょうか。一見すると民族同士の対立にも見えなくもありません。また、これまで触れてきませんでしたがどちらもイスラム教の国です。しかし、実は宗教上の理由で両者は対立していました。

イスラム教の中にも宗派があり、「イラン」はシーア派が政権を握り、「イラク」はスンニ派が政権を握っていました。1979年にシーア派のホメイニ師を最高指導者と仰ぎ現在のイラン・イスラム共和国が成立します。この革命が広がることを恐れた周辺のスンニ派政権の国が同じスンニ派政権だったイラクを後押しする形で戦争が起こりました。

表面上は宗教上の対立ではありますが、それに加え経済的な理由も対立を深めることとなったのです。サウジアラビアの油田地帯に住んでいるシーア派が経済的に豊かなことに対してスンニ派が不満を持っていたことも重なり、両者の対立が深くなっていきました。

現在の関係

1991年に起こった湾岸戦争を機に、イラク国内は混乱が続き、2003年アメリカの武力行使でフセイン政権は崩壊します。フセイン政権の崩壊により、イラク国内ではシーア派が政権を握りますが、今でもイラク国内は政情不穏のままです。

一方、イランはホメイニ師の死後もシーア派による政権が続いています。現在では、シーア派による革命が広がることを心配している周辺のアラブ諸国とイランの対立という構図です。

\次のページで「「イラン」と「イラク」の文化」を解説!/

「イラン」と「イラク」の文化

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最後に、日本人にはまだまだなじみのない「イラン」と「イラク」の文化を見てきましょう。

「イラン」の文化の特徴

「イラン」は色彩が美しいペルシャ建築やペルシャ絨毯で有名ですね。世界遺産や古代の遺跡も国内には多く見られます。文学面では詩が有名で、ペルシャ四大詩人は今でも人気があるそうです。また、イランは厳格なイスラム教の国ですので、イスラム教の教えをしっかりと守る文化が根付いています

日本人にはあまりなじみのない「イラン」ですが、実は親日国なのです。戦後の経済復興を成し遂げた日本へのあこがれや尊敬があり、日本を大好きなイラン人はとても多くいます。ちなみに日本のドラマ「おしん」はイランでも人気のドラマのようです。

「イラク」の文化の特徴

「イラク」はメソポタミア文明発祥の地でもあることから、詩や絵画、彫刻などはアラブ世界でも非常に質が高く評価されています。文化遺産も多くありますが、戦争で破壊されるなど残念な状況です。さらに2003年の戦争以降、アメリカに違法に持ち出された文化財など約17,000点がイラクに返還されたというニュースもありましたね。

「イラン」と「イラク」の違いはルーツ

「イラン」も「イラク」も同じイスラム教を信じている国ですが、違いはそのルーツです。「イラン」はペルシャをルーツに、「イラク」はアラブにルーツを持っています。隣国同士で戦争も経験した両国ですが、現在「イラン」の政治は安定している反面、「イラク」は複数の戦争を経験し政治や社会はまだ安定していません。

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雑学

3分でわかる「イラン」と「イラク」の違い!ルーツや宗教・文化も元塾講師が詳しく解説!

この記事では「イラン」と「イラク」の違いをみていきます。どちらの国も中東にあるのは知っていますね。同じような文化や宗教の国がいくつかあるように思えるが、「イラン」と「イラク」の違いはどこにあるのでしょうか。その違いを元塾講師のyêuthuquáと一緒に詳しく解説していきます。

ライター/yêuthuquá

海外在住。現在の仕事を始める前は教育関係の仕事に従事。国内外を問わず身につけた知識や経験をもとにわかりやすくお届けする。

「イラン」と「イラク」の違い

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まず、「イラン」と「イラク」の違いがどこにあるのか、また両国の基本情報を確認していきましょう。

「イラン」:ペルシャ

1934年までペルシャだった国が改名して現在の「イラン」となりました。詳細は次に挙げますが、「イラン」は中東にありながらペルシャ人がメインの国なのです。

【基本情報】
国名:イラン・イスラム共和国
首都:テヘラン
人口:約8,600万人
面積:約1,650万平方キロメートル
民族:ペルシャ人
公用語:ペルシャ語

「イラク」:アラブ

一方、「イラク」はアラブ人による国で、「イラン」とは民族や公用語が異なります。「イラク」が位置するのはメソポタミア文明発祥の地です。

【基本情報】
国名:イラク共和国
首都:バグダッド
人口:約4,100万人
面積:約44万平方キロメートル
民族:アラブ人、クルド人
公用語:アラビア語、クルド語

イラン・イラク戦争

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「イラン」と「イラク」は民族の違いなどから仲がいい国ではありませんでしたが、サダム・フセイン政権誕生後に、イラン・イラク戦争が始まりました。その詳細を見ていきましょう。

シーア派とスンニ派による宗教の対立

イラン・イラク戦争の根底にあるのは何なのでしょうか。一見すると民族同士の対立にも見えなくもありません。また、これまで触れてきませんでしたがどちらもイスラム教の国です。しかし、実は宗教上の理由で両者は対立していました。

イスラム教の中にも宗派があり、「イラン」はシーア派が政権を握り、「イラク」はスンニ派が政権を握っていました。1979年にシーア派のホメイニ師を最高指導者と仰ぎ現在のイラン・イスラム共和国が成立します。この革命が広がることを恐れた周辺のスンニ派政権の国が同じスンニ派政権だったイラクを後押しする形で戦争が起こりました。

表面上は宗教上の対立ではありますが、それに加え経済的な理由も対立を深めることとなったのです。サウジアラビアの油田地帯に住んでいるシーア派が経済的に豊かなことに対してスンニ派が不満を持っていたことも重なり、両者の対立が深くなっていきました。

現在の関係

1991年に起こった湾岸戦争を機に、イラク国内は混乱が続き、2003年アメリカの武力行使でフセイン政権は崩壊します。フセイン政権の崩壊により、イラク国内ではシーア派が政権を握りますが、今でもイラク国内は政情不穏のままです。

一方、イランはホメイニ師の死後もシーア派による政権が続いています。現在では、シーア派による革命が広がることを心配している周辺のアラブ諸国とイランの対立という構図です。

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