この記事では古事記と日本書紀の違いについてみていきます。どちらも古代の日本の歴史を表す歴史書だと中学や高校での社会や国語の授業で習ったんじゃないか。実は、内容に結構違いがあるんです。違いが生まれた原因はずばり、誰に向けて書かれたのかのようですが、詳しく調べていくと、同じ時代の歴史を扱っていると言っても、何を中心に書いているか、などいろいろ違いがあるみたいです。
今回は日本の成り立ちを知るうえで必要不可欠である古事記と日本書紀を、古代文学を専門とするライターの源シタゴウと一緒に解説していきます。

ライター/源シタゴウ

幼少時より大の日本史好き。大学・大学院時代は古代文学を専門とし、多くの論文を執筆、発表してきた。世界の神話に見られる類型説話にも興味がある。

古事記と日本書紀の違いとは?

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辞書で古事記と日本書紀がどのように説明されているか見てみましょう。

【古事記】
奈良時代の歴史書。3巻。天武天皇の勅命で稗田阿礼 (ひえだのあれ) が誦習 (しょうしゅう) した帝紀や先代旧辞を、元明天皇の命で太安万侶 (おおのやすまろ) が文章に記録し、和銅5年(712)に献進。日本最古の歴史書で、天皇による支配を正当化しようとしたもの。

上巻は神代、中巻は神武天皇から応神天皇まで、下巻は仁徳天皇から推古天皇までの記事を収め、神話・伝説・歌謡などを含む。

出典:デジタル大辞泉

【日本書紀】
奈良時代の歴史書。最初の勅撰正史。六国史 (りっこくし) の第一。30巻。舎人 (とねり) 親王らの編。

養老4年(720)成立。資料として、帝紀・旧辞のほか寺院の縁起、諸家の記録、中国・朝鮮の史料などを広く用い、神代から持統天皇までを漢文の編年体で記したもの。日本紀 (にほんぎ) 。

出典:デジタル大辞泉

古事記、日本書紀ともに歴史書であることに違いはありません。違いについて簡単に箇条書きにすると以下の通りになります。

1.古事記は紀伝体で書かれ、日本書紀は編年体で書かれている
2.古事記は和化漢文体および和文で書かれ、日本書紀は漢文で書かれている
3.古事記は天皇支配を正当性するために書かれ、日本書紀は外向けに書かれている
4.古事記が拠った資料は国内のみで、日本書紀は国外の資料にも拠っている

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詳しくは次に見ていきましょう。

古事記とは?

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古事記は紀伝体で書かれており、主に天皇家の支配を正当化するために書かれた歴史書でしたね。まず紀伝体とは何かについて説明しましょう。紀伝体とは歴史書を書く際の記述のスタイルで、帝王や臣下の伝記を中心に記述していく形式を指します。

一方の編年体については後ほど説明しますが、紀伝体は編年体に比べて、人物や出来事の把握がしやすいという長所がありました。古事記は天皇の事績や様々な出来事をわかりやすく読者に示すことを目的としていたのです。

古事記とは天皇家の歴史

なぜ、古事記は紀伝体を用いてわかりやすく示すことを目的としていたのでしょうか。それは、古事記が国民に向けて天皇の権威を示すために書かれたから、ということになります。また、古事記の「記」は記録という意味ですが、これは天皇の記録という意味合いで使われているのです。

古事記は国内向け

天皇家の支配がいかに正統性があるかを国民向けに書かれているので、漢文を用いた日本書紀と違って古事記は本文は和文と和化文体(変体漢文)で書かれました。和化漢文は日本人が読むために手を加えられた漢文なので、当然、中国人は読むことができません。このことから、古事記が国内向けに書かれたことがわかりますよね。

日本書紀とは?

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不明 - http://www.emuseum.jp/cgi/pkihon.cgi?SyoID=4&ID=w012&SubID=s000, パブリック・ドメイン, リンクによる

日本書紀は編年体で叙述された勅撰の歴史書です。勅撰とは天皇の命で正式に書かれたもの、という意味。古事記も確かに天武天皇、元明天皇と二人の天皇が命を下していますが、古事記は、天武天皇が個人的に編纂を命じた私的なものと考えられています。

一方の日本書紀は日本の威信を対外的に示すための国家事業として編纂されました。だからこそ、責任者に舎人親王という皇族があてられたのです。

日本書紀は日本の歴史

日本書紀とは名称から言って、公式に認められた日本の歴史を記録したものと言えますが、神話や伝説が古事記より少なくなっているのは、日本書紀が客観的な歴史叙述に比重を置いているからなのです。

また、日本書紀の「紀」は「年代」という意味と「順序だてて記録する」という意味。つまり、「紀」とは日本書紀が編年体で書かれており、年代順に順序だてて記録したもの、ということを表しているわけですね。

日本書紀は国外(中国)向け

日本書記は日本の歴史を国外、特に、当時の中国王朝である唐帝国に知ってもらうために書かれたと言ってよいでしょう。日本が長い歴史を有する文化国家であることを唐帝国に周知させることが目的だったわけですね。だからこそ、中国人が読める正式な漢文で書かれたのです。

630年に日本は最初の遣唐使を唐帝国に派遣しますが、まずは、唐に日本が相手をする価値がある国だと思わせる必要があったのだと思います。

風土記との違いは?

風土記とは朝廷が地方の実情を知るために、各地方の役所が編纂した郷土史のようなものです。ほとんどが散逸(さんいつ)してしまい、現存しているのは5つのみ。当然国内向けに書かれたものですが、公文書(こうぶんしょ)ですので漢文体で書かれています。これまで見てきた日本書紀や古事記とは性質が異なりますね。

古事記は天皇家の権威を国内に示し、日本書紀は日本の歴史を外国へ知らせる

古事記は天皇家の支配が正当であることを国民に示すために書かれ、日本書紀は伝統ある日本の歴史を中国に知ってもらうために書かれた、ということがわかったでしょうか。

確かに、古事記は偽書説が取りざたされるほど内容に疑いがもたれていましたが、国内が天皇を中心にまとまるために、歴史書が必要とされたことは想像に難くありません。古事記があってこそ、日本書紀の存在も意味を持ってくると言えるのではないでしょうか。

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雑学

3分でわかる古事記と日本書紀の違い!風土記との違いも現役高校教師がわかりやすく解説!

この記事では古事記と日本書紀の違いについてみていきます。どちらも古代の日本の歴史を表す歴史書だと中学や高校での社会や国語の授業で習ったんじゃないか。実は、内容に結構違いがあるんです。違いが生まれた原因はずばり、誰に向けて書かれたのかのようですが、詳しく調べていくと、同じ時代の歴史を扱っていると言っても、何を中心に書いているか、などいろいろ違いがあるみたいです。
今回は日本の成り立ちを知るうえで必要不可欠である古事記と日本書紀を、古代文学を専門とするライターの源シタゴウと一緒に解説していきます。

ライター/源シタゴウ

幼少時より大の日本史好き。大学・大学院時代は古代文学を専門とし、多くの論文を執筆、発表してきた。世界の神話に見られる類型説話にも興味がある。

古事記と日本書紀の違いとは?

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辞書で古事記と日本書紀がどのように説明されているか見てみましょう。

【古事記】
奈良時代の歴史書。3巻。天武天皇の勅命で稗田阿礼 (ひえだのあれ) が誦習 (しょうしゅう) した帝紀や先代旧辞を、元明天皇の命で太安万侶 (おおのやすまろ) が文章に記録し、和銅5年(712)に献進。日本最古の歴史書で、天皇による支配を正当化しようとしたもの。

上巻は神代、中巻は神武天皇から応神天皇まで、下巻は仁徳天皇から推古天皇までの記事を収め、神話・伝説・歌謡などを含む。

出典:デジタル大辞泉

【日本書紀】
奈良時代の歴史書。最初の勅撰正史。六国史 (りっこくし) の第一。30巻。舎人 (とねり) 親王らの編。

養老4年(720)成立。資料として、帝紀・旧辞のほか寺院の縁起、諸家の記録、中国・朝鮮の史料などを広く用い、神代から持統天皇までを漢文の編年体で記したもの。日本紀 (にほんぎ) 。

出典:デジタル大辞泉

古事記、日本書紀ともに歴史書であることに違いはありません。違いについて簡単に箇条書きにすると以下の通りになります。

1.古事記は紀伝体で書かれ、日本書紀は編年体で書かれている
2.古事記は和化漢文体および和文で書かれ、日本書紀は漢文で書かれている
3.古事記は天皇支配を正当性するために書かれ、日本書紀は外向けに書かれている
4.古事記が拠った資料は国内のみで、日本書紀は国外の資料にも拠っている

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