ロシアの皇帝を意味する称号がツァーリ。帝政ロシアにおける権力の象徴ともいえる称号です。世界史の教科書で目にしたことがある人も多いでしょう。

今回は、ツァーリとはどんな称号なのか、それが生まれた歴史的背景なども含めて、世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していきます。

ライター/ひこすけ

アメリカの歴史と文化を専門とする元大学教員。ロシアやソ連についても興味があり、気になることがあったら調べている。今回はロシアの権力者の象徴的な症状であるツァーリについて調べてみた。

ツァーリとは何か

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ツァーリとは帝政ロシア時代に使われていた公式な言葉。ロシア皇帝の絶大な権力をあらわす称号として、その使用が広まっていきました。帝政ロシアのイメージが強いツァーリですが、当時はブルガリアや現在のウクライナに該当するキエフ王国でも定着。ローマ帝国と並ぶ新たな帝国の出現を国内外に周知させることがその意図でした。

スラヴ語圏で使われている君主の称号

ツァーリは使用される国により若干発音が異なります。ロシア語ではツァーリ。一方、ブルガリア、セルビア、ウクライナではツァールと発音されました。中世の東ローマ帝国の皇帝について表現するときに使われていたのがバシレウスという称号。ツァーリも同様に、東ローマ帝国の王という意味合いで使われていました。

それが徐々に独立。皇帝よりは立場が低いものの、公爵よりうえの大公よりは上の身分として、ツァーリという称号が定着していきます。さらに騎馬民族の君主を意味するハーンの代わりにツァーリという称号が使われるという事例もでてきました。

ツァーリの語源はカエサル

ツァーリはもともとラテン語のカエサルを意味する言葉。その言葉がスラヴ語として変化してツァーリとなりました。カエサルは、共和政ローマ末期の政務官だったガイウス・ユリウス・カエサルを思わせるでしょう。帝政を敷いたアウグストゥスは、カエサル家の養子になり、カエサルの後継者となりました。

それから代々、後継者の皇帝たちはカエサルを名乗るように。その名残から、ローマ皇帝や東ローマ皇帝の称号としても、カエサルという言葉が使われていきます。カエサルという称号は、周辺の国々に広まっていく過程で発音が変化、ツァーリもしくはツァールとなっていきました。

東ローマ帝国との決別をきっかけにツァーリが登場

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ロシアで初めてツァーリと呼ばれたのはヴァシーリー2世とされています。フェラーラ・フィレンツェ公会議に調印したことで、東ローマ皇帝が異端とされたのことがその理由。モスクワの君主をツァーリと呼ぶことで東ローマ帝国とは別に独自の帝国を築こうとしたことが分かります。

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ツァーリという称号を公式に使ったのがイヴァン3世

ヴァシーリー2世のときは、ツァーリを自称していたに過ぎません。公式に使われるようになったのはイヴァン3世の時代です。イヴァン3世はヴァシーリー2世のひ孫にあたる人物。タタールとの戦いによりルーシ北東部を「解放」、モスクワ大公国が支配しているエリアを約4倍に広げた人物としてもその名を馳せました。

イヴァン4世は「暴帝」「雷帝」と呼ばれるなど狂暴なイメージを持たれています。その理由はさまざまですが、妻が毒殺されたあと報復のために周囲の君臣を虐殺したという逸話の影響も大きいでしょう。また手段を顧みず領土拡大に奔走したことも、「暴帝」「雷帝」という呼び名が生まれた所以です。

ピョートル1世がさらに権力を拡大

ツァーリという称号を使いながら権力を強固にしていったのがロマノフ朝のピョートル1世です。ピョートル1世はローマ帝国を強く意識した人物。自ら王政ローマおよび共和制ローマの政治機関である元老院を創設します。その元老院から「インペラートル」という称号を得ました

「インペラートル」の語源は古代ローマ帝国の「インペラトル」。絶対主義を意味するラテン語です。つまりすべての権力を持つ絶対的な支配者という意味。ツァーリはノルマン系の支配の意味合いが強い漠然としたものです。いっぽうインペラートルはヨーロッパ国家の支配を視野にいれたものでした。

キエフ大公国におけるツァーリ

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ツァーリはロシア帝国の権力を象徴する称号ですが、現在のウクライナ一帯を支配していたキエフ大公国でも同様の称号が使われていました。ただ、キエフ大公国ではツァーリは正式な称号ではなくあくまで賛美。使われたり使われなかったりを繰り返していました。

キエフ大公国ではヤロスラフ1世の時代に初めて使用

9世紀後半から13世紀半ばにかけてに存在した国がキエフ公国。実は、ロシア、ウクライナ、ベラルーシのルーツはキエフ公国とされています。国家は徐々に弱体化。1240年代にモンゴルに侵攻されて消滅しました。最盛期は白海からマタン半島に至るまでのエリアを支配するほどの力を得ていました。

キエフ王国で初めてツァーリという言葉が使われたのはヤロスラフ1世。キエフ公国をキリスト教化したウラジーミル1世の子どもです。父親が亡くなったあと兄と後継者争いを繰り広げて最終的に勝利。キエフ公国のトップに君臨しました。内政面でも優れており、ルーシ法典を編纂することにより、これまで暗黙の了解であった慣習を法文化しました。

モンゴルに支配されているあいだのツァーリの使用

キエフ公国はモンゴルに支配されるようになると、モンゴルの皇帝をツァーリと呼ぶようになります。このツァーリという称号が広く使われるようになったのは、十字軍によりコンスタンティノープルが陥落し、東ローマ帝国が一時的に消滅していたことも大きく影響しました。

しかしながら東ローマ帝国が再び興隆したあとも、キエフ公国ではツァーリという称号が使われることに。その結果、モンゴルの遊牧民族のハンがいたころはツァーリはひとりのみだったのですが、二人のツァーリが共存するエリアもあらわれるようになりました。

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ブルガリアにおけるツァーリ

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ブルガリアにおけるツァーリの使用のルーツは第一次ブルガリア帝国にさかのぼります。第一次ブルガリア帝国は7世紀から11世紀のあいだに存在していた帝国。バルカン半島にて勢力を広げました。東ローマの対抗馬としても頭角をあらわしたブルガリア。東ローマ帝国の文化の影響を強く受けるに至ります。

ブルガリアは東ローマ侵攻時にツァーリの称号を取得

ブルガリアでツァーリの称号が使われるようになったのは東ローマ帝国に進攻したことがきっかけ。シメオン1世は和平交渉をする過程で皇帝の称号を得たことから、ツァーリという呼び名が使われ始めました。シメオン1世はブルガリア帝国の興隆期をもたらした人物。自分のことを「ローマ人とブルガリア人の皇帝」と位置づけました。

シメオン1世は生前、外征に外征を重ねます。ブルガリアの南方にあるギリシア方面、北アフリカにあるファーティマ朝まで足を延ばしました。セルビアに侵攻に進攻した際、仲裁に入ったのがローマ教皇。ここでも撤退の条件として皇帝の称号を使うことを約束させます。

ソ連の一部になるまでツァーリという称号を使用

それ以降、イヴァン・アセン2世の時代に最盛期となった第二次ブルガリア王国、第一次世界大戦そして第二次世界大戦を経験しているブルガリア王国に至るまで、ツァーリという称号が使われ続けました。第二次世界大戦が終わったあと国民投票が実施され、王政は廃止されました。

ブルガリアの最後のツァーリとなったのがシメオン2世。このときの彼の年齢はたったの9歳でした。シメオン2世はエジプトに亡命。ブルガリアはソ連の共和国のひとつになりました。名称もブルガリア人民共和国となり、ツァーリという呼称が使われることもなくなりました。

日本にはツァーリは存在するの?

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日本には皇室という伝統があります。そのため、王政を敷く際に広く使われていたツァーリという称号が浸透していてもおかしくないのですが、日本で使われたことはありません。それは一体どうしてなのでしょうか。

日本の天皇はエンペラー?

日本の天皇は英語にするとエンペラーと訳されます。またドイツ語で訳されるときは、ツァーリと語源が同じカイザーが使用されました。となると、ロシア語にする場合はツァーリとするのが自然な流れになるでしょう。しかしながらツァーリはもちろんカイザーも天皇を表現するにはどうしても違和感があります。

この違和感の原因のひとつとなるのが、ツァーリやカイザーの語源がカエサルであること。カエサルは、個人名であると同時に、後継者というニュアンスがあります。そのため、その派生語であるツァーリやカイザーも同様。最高権力者を意味するあけであり、本来は皇帝を意味する称号ではありませんでした。

血統ではなく政治的な連続性を意味するツァーリ

ロシア語には、皇帝を意味する称号としてインペラートルが存在しています。こちらの英語訳はエンペラー。つまり日本の天皇は、歴史的にカエサルの後継者ではないので、ツァーリよりもインペラートルのほうがニュアンスとしては近いと言えるでしょう。

ヨーロッパの国々がこだわったのはローマ帝国の後継者となること。本来のヨーロッパの皇帝はオーストリアのハプスブルク家、ドイツのホーエンツォレルン家、ロシアのロマノフ家の3家のみ。ツァーリは皇帝という血統的な意味ではなく、あくまでその地の支配者である、政治的な意味のもと使われてきました。

日本の天皇をカエサルの後継者と呼んだらさすがに違和感しかありません。日本はローマ帝国の栄光とは歴史的に無縁だからです。けれどエンペラーが適切かというとそれも微妙。エンペラーというと、領土を超えて広域なエリアを支配し、多様な民族を束ねている印象があります。日本の天皇が政治的に権力を持った時代はありますが、支配していた領土や民族は限定的。やはり天皇は天皇としか表現できない気がしますね。

ツァーリは国家の歴史を説明するうえで欠かせない称号

ツァーリは、単なる最高権力者というポジションをあらわすだけではなく、国家の歴史を説明するうえで欠かせない称号として使われ続けました。ヨーロッパは古代から勢力争いが過酷。国や権力を維持するために優れた人物を養子に迎えることが当たり前に行われていました。そのため血統的な連続性を説明することは不可能。だからこそ自分の立場の正当性を証明するために権力者たちはツァーリという称号にこだわったのです。ヨーロッパの歴史の特異性を理解するうえで欠かせない用語と言ってもいいでしょう。

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ソビエト連邦ヨーロッパの歴史ロシア世界史

帝政ロシアの権力の象徴「ツァーリ」の歴史や使用方法を元大学教員が簡単にわかりやすく解説

ロシアの皇帝を意味する称号がツァーリ。帝政ロシアにおける権力の象徴ともいえる称号です。世界史の教科書で目にしたことがある人も多いでしょう。

今回は、ツァーリとはどんな称号なのか、それが生まれた歴史的背景なども含めて、世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していきます。

ライター/ひこすけ

アメリカの歴史と文化を専門とする元大学教員。ロシアやソ連についても興味があり、気になることがあったら調べている。今回はロシアの権力者の象徴的な症状であるツァーリについて調べてみた。

ツァーリとは何か

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ツァーリとは帝政ロシア時代に使われていた公式な言葉。ロシア皇帝の絶大な権力をあらわす称号として、その使用が広まっていきました。帝政ロシアのイメージが強いツァーリですが、当時はブルガリアや現在のウクライナに該当するキエフ王国でも定着。ローマ帝国と並ぶ新たな帝国の出現を国内外に周知させることがその意図でした。

スラヴ語圏で使われている君主の称号

ツァーリは使用される国により若干発音が異なります。ロシア語ではツァーリ。一方、ブルガリア、セルビア、ウクライナではツァールと発音されました。中世の東ローマ帝国の皇帝について表現するときに使われていたのがバシレウスという称号。ツァーリも同様に、東ローマ帝国の王という意味合いで使われていました。

それが徐々に独立。皇帝よりは立場が低いものの、公爵よりうえの大公よりは上の身分として、ツァーリという称号が定着していきます。さらに騎馬民族の君主を意味するハーンの代わりにツァーリという称号が使われるという事例もでてきました。

ツァーリの語源はカエサル

ツァーリはもともとラテン語のカエサルを意味する言葉。その言葉がスラヴ語として変化してツァーリとなりました。カエサルは、共和政ローマ末期の政務官だったガイウス・ユリウス・カエサルを思わせるでしょう。帝政を敷いたアウグストゥスは、カエサル家の養子になり、カエサルの後継者となりました。

それから代々、後継者の皇帝たちはカエサルを名乗るように。その名残から、ローマ皇帝や東ローマ皇帝の称号としても、カエサルという言葉が使われていきます。カエサルという称号は、周辺の国々に広まっていく過程で発音が変化、ツァーリもしくはツァールとなっていきました。

東ローマ帝国との決別をきっかけにツァーリが登場

ロシアで初めてツァーリと呼ばれたのはヴァシーリー2世とされています。フェラーラ・フィレンツェ公会議に調印したことで、東ローマ皇帝が異端とされたのことがその理由。モスクワの君主をツァーリと呼ぶことで東ローマ帝国とは別に独自の帝国を築こうとしたことが分かります。

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